作句上のコツ
二十四、何故佳いのか ここに「終戦日飯盒一つ残りけり」と言う句が有ります。この作品を例に“なぜ佳いのか”と言う事を分析してみたいと思います。 大事な方を戦争で亡くされ、そしてそれから半世紀以上経ってもその悲しみは消えず、たった一つ残った飯盒を拠り所に大事な人の事を思い出しての作品です。 表現がシンプルなだけに読み手には広く大きく思いを飛ばす起爆剤となっています。この句の場合“残りけり”と現実そこに飯盒があるのです。それは目に見える景色なのです。作句の技術として普通の場合“残りけり”とすると“けり”が無駄になるのですが万に一つと言った確率でその冗漫故にその作品を完成させる事が有ります。この作品がそれです。本来なら何処でと言う場所が書けていないと映像が見えないのですが、この場合主として作者の詠嘆が表現されていて、映像としては飯盒が一つ見えるだけです。でもこの飯盒は強烈にイメージを誘います。そして“残りけり”とある所に作者の思いと現実の風景の両方を表現する力があります。又“残りけり”と書かれただけで書いて無い場所が判ります。いつも言っている事ですが、一つの言葉で心と景色を表わす事が出来た場合、良い出来上がりになるのです。又終戦日と言う言葉も現実に八月十五日と決まった日で、この日は日本人にとって過去に、又これから先にも様々な事を思い起こさせる日なのですから、句の表面には八月十五日に飯盒がひとつあったと言うだけですが、表現が単純化されているだけ内容が深くなりました。もうあの日から半世紀以上になろうと言うのに、こう書かれると鮮烈に戦争の余波が浮かび上って来ます。たった一つ残った飯盒から今迄の日本の繁栄やそこをピークに今日に至った状態迄想いが駆け巡ります。もう一つ同じ作者の“終戦日飯盒の傷古くなり”と言うのがありますが、この場合は六十年も経てば古くなるのは当り前と言えますし、全体に意図的に仕上がっているとか、読み手を引き込む力が弱いのです。この二句は同じモチーフでも「残りけり」と言われた方が、句の持つ力が段違いに強くなります。良い句かどうかは、読み手にどれだけイメージを湧かせるかにかかっています。同じ自分の思いや感じた事でも自分だけに終わらず、読み手が自分の句だと思える所迄書き込むのが作句上のコツです。 平成二十一年七月 |
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