磯野香澄俳句の世界五の四琥珀彩の四季より
(この書は一巻を通じて情け無いとか、かなんとか、怖いとか癖のある句で構成しているものです)
探梅や足を取られる榾の径
たんばいや あしをとられる ほだのみち
梅を楽しむのに市街地にも色々良い所があるが、やはり農村風景の梅畑の風情は日本人としての、心の底へ回帰させてくれる。
まして私の場合は若かった時に結核で療養した梅林のある青谷は、第二の故郷と心の底に強く浸み込んでいる。
春先になって梅の便りが聞かれると早々と青谷へ足が向いてしまう。
花にはまだ早くて剪定の音が聞こえて、観梅客を迎える用意をしている風景に出合う。
梅の木を剪定している音が聞こえて、これから春がやって来ると言う早い時季に、これも風流と俳人の多くは目を覚したばかりの梅林に、花の一つを求めて俳諧する癖がある。
私も御多聞に漏れず自然の営みの全てに畏敬を感じ楽しみたい方だから、その日も冬と変わらない様な梅畑の中をうろついていた。
小徑には剪定をしたばかりの枝が積んである。そんな所に一つ白い物が見える。
「あっ、あこに咲いている」と近寄ってみようとその小さい白い花を目指して進んで行った。『おとととと』これはこれは梅の枝の切り落としの中。上ばかり見ていたのでほだの中へ入ってよろよろ。
あああ足は痛いしストッキングは破れるし。目の先には可憐な梅の花。
この二センチばかりの白い花が見たく二時間かけて来たのだ。
白い花は私のそんな思いとは程遠く楚々と咲いている。
花の蘂までじっくり見て『これで良かった。足は傷つきストッキングが破れたのも風流なものだ』と満足してほだの中から抜け出た。
青谷には梅林が五箇所程あって、梅畑の中でメインはやはり療養所(今は総合病院)のバス停の一つ手前のバス停から入る様になっていて、道のすぐ横から始まるのと反対に橋を渡って少し上流とに二箇所ある所だ。ここでの思い出をちょっと付け加えて見ると、バス停の辺りはぼんぼりを立てて観光客を誘致している。その導きに嬉しい気持ちになって橋を渡って、少し上流の入り口から入って、丁度見頃で美しい梅畑の中を子供と三人でゆっくりと歩いて中の方へ入っていった。すぐに山手になって少し勾配があるが、これも良い感じだとどんどん奥の方へ入って行った。その内に道は行き止まりになってその奥は美しい風景だ。
梅の木の下へ入って後ろを振り向くと良い眺めだ。入り口のぼんぼりから道があってその通りに進んで来て行き止まりになった梅の木の下だ。お弁当を食べるのにこんなに良い場所はないと三人で腰を下ろしてお弁当を開げた。誰もいないと思っていたのに、
「こらぁ何処へ入っとるのや」と男の怒声。
『何処へ入っているのやと言われても、案内の通りに梅を見ながら一番奥まで来て梅ノ木の下で腰を下しているだけだ』
「何でや何処にも入っていけない様な目印は無いのに」でも仕方ない。
子供に可愛そうな思いをさせたと思いながら弁当を閉まってそこを後にした。
魚を捕らえるのにもんどりと言う仕掛があるが、それを川の底に仕掛けて置いて、入り口は入りやすく
奥まで入ると出られなくなって捉えられるみたいに、この梅林は入り口はどうぞどうぞと、ぼんぼりを飾り立てて導いておいて、奥まで入ったら捉えられた様な騙まし討ちに合った気がした。
子供を連れていなかったらこれも風流と楽しみに擦り替える所だがと思いながら、しょんぼりしている子供を連れてメインの梅畑へ戻った。
焼け跡の若草山に子連れ鹿
やけあとの わかくさやまに こづれじか
奈良の若草山は伊勢神宮と共に日本人なら知らない人は無いだろう。
一月の十五日頃に枯れた草を山焼きして、新しい新芽が出るのを促す行事があるがその頃は、色んな動物にとって食べ物の一番少ない大変な時の様だ。
奈良の鹿も少し芽吹き始めた草を求めて山の中を移動しているみたいだ。
車で若草山の上へ出る観光道路を上がって行った。そこは平坦な尾根になっていて道路から大分広く赤土の地面が露出していた。そして一メートル余りの削られた所があってその上は、こんもりと自然の山頂の形が残っていて少し青い物が見える。
そんな少しばかりの草を求めて子連れ鹿の群がいて、野生の鹿の様子が見えて嬉しい気もしたが、こんな少しの草を探して移動しているのだなあと思って見ていた。
その内に鹿の群は山焼きされた若草山の頂上の方へ行き、親子で立ち止まって下の方を見ている様だ。
尾根に居ると焼かれている所が見えないので、鹿はそこに草が生えているだろうと子供を連れて見に行ったのだと後ろからその様子を見ていた。
本当の野生だったら大変だろうが、まあ県が管理しているので鹿は何とかなっているのだろうと思ったが、それにしても鹿の親子の淋しそうな様子は目に焼きついた。
そして私は先に鹿が少しの青いものを食んでいた赤土の切り取られた上の形とか、雰囲気で直感的に古墳が崩れた跡では無いかと思った。
草の生えている所が残っていて優しい気がしたのだが、そこが古墳の跡だと思える勘が当っているか、確かめたくなって管理事務所へ電話で聞いてみた。
すると今でもその近くに“みみなり古墳”が有りますと答えてくれた。今の人に崩れてしまった古墳の事を聞いても無理だと思ってそれ以上は聞かなかったが、私はその地面の平らな広さと言いその端に残っている形と言い崩れた古墳の跡に違いないと思っている。
そして焼け跡に立った鹿の姿と、古墳の端と思える所に、親子で草を探していた鹿の姿が対照的に思い出される。
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