面白絵解き俳句 8

磯野香澄俳句の世界五の四琥珀彩の四季より
(この書は一巻を通じて情け無いとか、かなんとか、怖いとか癖のある句で構成しているものです)

竜巻で唸る竹薮比良八荒
たつまきで うなるたけやぶ ひらはっこう
「今津に座禅草が咲いているて新聞に載っていたし見に行こう」
「そんなもん知らんで」と乗り気の無い彼。
「小浜へ行く方に沼があってそこに変わった形の花が咲いてるのやて」
「行くのやったら行っても良いけど」
「人家が終わった辺りを川の方へ行ったら沼があってすぐ分かるそうやし」
彼は不承不承ハンドルを河の方へ切った。
人家の裏に百メートル程の竹薮が見えた。東側へ回ると溝の様な小川の縁に遊歩道が付いていて、其れを除けば普通の新興住宅地だ。彼は入り口らしい所を行き過ぎて車を止めた。
「一人行って来い」
「何や行かひんのん?」
「ここで寝てるさけ一人行って来い」
小雨が降っているが折角来たのだから仕方無い一人で行こう。
『こんな竹薮の沼、目の悪い私一人では危ないのに』
仕方なく車を降りて私は少し引き返して小川に橋の架かっている所迄来た。
小川の橋を渡るのに遊歩道へ上がった。
“突風だ”傘が反対になってオチョコの形になってしまった。私は急いで傘を引き戻して差すのを止めて傍にあった防火小屋の様な小さい建物の脇に寄って風を避けた。
『何やこれは』
車道は無風状態で一歩遊歩道へ上がったら台風が吹き荒れている。
『どうしよう、風が止むまで待たんとしようが無いなあ』と辺りを見ていた。
暫くすると新興住宅の方から、幼稚園児位の男の子を連れた夫婦がこっちへ来る。三人共アノラックを着て完全防備だ。その人達は私の前を通る。
「済みません、座禅草を見に行かはるのですか」と私は声を掛けた。
「そうです」奥さんが答えてくれた。
「私も一緒に連れて下さい」とすかさず頼む。
「どうぞ」快い返事。しめたと思ったのも束の間、三人は小川の土手を降りて小川を一跨ぎして向かい側の土手を上がって、沼の遊歩道へ上がりサッサと薮の中へ消えてしまった。私も同じ様に土手を降りて小川を一跨ぎしてやっと遊歩道へ上がったら、そこは竹が沢山倒れていて通るに通れない。でも風は音だけでもう無風状態だ。でもこんなにひどく竹が倒れているとはこの入り口の当りだけ風が吹くのだろうか。
『こんなとこよう行かんなあ。道路はのんびりしているのに、此処は入ったとたんに嵐の中や。それにしてもあのキツイ風はどうなったんや。音だけゴオゴオ聞こえているけど』と思いながら竹に阻まれてもたもたしている私。
ふと見ると前の方にさっきの幼い子が倒れた竹を跨いで私の方へ来る。そして黙って竹を押さえて私が跨げる様にしてくれた。両方から倒れている竹を次から次から押さえて、私を通してくれる。
私は感動してその子に一杯お礼を言った。
その子は幼くて何も言葉を発しない。その子に付いて大分行くと先の夫婦が待っていてくれて「あすこに座禅草咲いていますよ」と指を差して竹の根に残り雪の間に紫の頭巾をかぶった様な十五センチばかりの花をみつけさせてくれた。
「ああほんとあれが座禅草ですか」と一旦返事をして、それより早く此処まで連れて来て貰ったのを、「今坊ちゃんに竹の中を通して貰ったんですわ、私はぐずぐずしていてどうしようも無かったのに、ちゃんと通してくれはったんです。嬉しいて本当に有難う御座いました」とお礼を言う。
夫婦は優しく笑いながら座禅草が「あこにもある向こうにも咲いている」と言って教えてくれる。静かな薮の中だが上の方でゴーゴーと嵐の音がする。
「奥さん上を見やはったら」とその人は言いながら上を見上げるので今度は私も上を見た。背の高い竹が上の方でグルグル回って揺れている。
「うわー目が回る」
「本当や目が回る」と私も上を向いてクラクラした。
下を見れば穏やかな雪解けの沼に不思議な形の花が、玩具のスコップを立てた様に地面から出ている。
これは何と言う奇妙な光景だろう。
幼子に助けて連れて来て貰った事、竹薮の中の不思議な沼、そこに不思議な形の花が残雪の間から出ているとか、それに薮の外側は大嵐、もう色々な思いが心の中でからむ。そんな異次元にいる様なひとときを過ごして裏の出口から又幼子にサポート?して貰って車道へ出た。薮から一歩出て車道へ上がると、もう普通の町だ。
今の時期は比良八荒と言って天候が荒れる時だが、この不思議な現象は此処だけのものだろうか。でもここは比良山系の北のはずれだ。これも一つの比良八荒の季節現象なのだろう。

春一番跳び込み台の柵跳ばし
はるいちばん とびこみだいの さくとばし
琵琶湖大橋から近江八幡への湖岸道路が開通した。当時は走行しているのは自分達だけと言う、とても快適なドライブが出来た。
以前は、安洲河の河口近くにある琵琶湖マイアミと言う水泳場へは、琵琶湖大橋からややこしい道を通って、野洲河の堤防を河口迄行くと言う説明も出来ない様な行き方をしていた。
こうして書いていると風景は良かったし、懐かしい気もするが湖岸に直線道路が出来て、マイアミの水泳場が車の中からでも見下ろせる様になり、景色が単純になったが琵琶湖の眺望が良くなった。
それ迄は泳ぎに行く夏場だけより行かなかった野洲河辺りを、何時でも突っ走るようになった。夏には混雑する水泳場も、冬は此処が水泳場かと思う程、誰も居ない淋しい浜の風景だ。でもそこに一つだけ水泳場だと言う目印がある。それは飛び込み台が岸から少し離れた所に淋しく立って居る。秋から冬、冬から春先へと何度かドライブして見慣れた風景だ。“あれっ”「跳び込み台の立つ所が無い。三日前に通った時はちゃんと有ったのに」
「そう言えば昨日きつい風が吹いたなあ」
「春一番が吹いたと新聞に載っていたわ」
「そうか春一番が跳び込み台を吹き跳ばしたんやなあ」下に木の柵がぶかぶか浮いているのを見て彼。
「あんなもん跳び込み台を跳ばしてどうする」
「跳び込み台は上に載った人間を跳び込ませるもんや。自分が跳び込んでどうする」
「春一番も悪い奴やなあ、跳ばすもんを間違がっとるやんか」と何時もの悪乗りジョークだ。
自分で跳び込んでしまって台無しになった情け無い跳び込み台。
私達は骨組だけになって何となく滑稽な跳び込み台を見て笑った。

平成十九年九月   磯野香澄

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