作句上のコツ

作句上のコツ
季語とは

俳句に目覚めた当初大方の人は他の人の句を見て、俳句とはこんなものだと漠然と認識する様です。十七字の中に季語を入れるものだと教わり、そこで自分の思った事の中に無理やり季語を入れて、何とか十七字の中に押し込もうとします。その結果他人から見れば何を言っているのか、分からない様な出来上りでも、自分では分かっているので、それで出来たと思っている事が多いものです。日本中で五百位の結社があるかと思いますが、その大部分は毎月五句投句する中で、良いのだけを誌上に掲載する形式を取っている処が殆どです。初歩の人は当然掲載句数は少なく、五句ともどうしょうも無い時は、会員であれば一句を直して必ず掲載されます。従って後の四句は没になるのです。何回か重ねて行く内に少しづつ分かって来て、一句とか二句とか自分の力で作れたのが誌上に掲載されます。その頃に親しくなれた先輩に教えて貰う事も出来ますが、それらはほんの少しより身につかずそんな事を繰り返して五、六年がすぐ経ちます。この様なケースが大方の俳句を作ろうとしている人達の実状です。作句上のコツ等教えている処はどこにも無いのです。京都俳句の門下は毎月掲載されているのが普通で、どこでもその様な指導があるのだろうと思っていて、何とも感じていないと思いますが、この項は八回目になりますが、どこにもやっていない俳句の極意を分かりやすく書いている欄なのです。どうかここに書いてある事を貪欲に自分のものにして欲しいと思います。
今月は季語について話しているのですが、まず季語は無理やり入れるもので無く、句を作ろうと思ったその事は季節の中で生じた事ですから、自然に生き、感じた事を詠んでいるのです。まず季節があるのです。言い替えれば季語を詠んでいるのです。従って無理やり季語を入れると言う事はあり得ません。人は季節の中に生きていてそれを詠むのですから、俳句とは季語が中心になっていると、認識するのが基本的な作句上のコツです。   十九年十二月

作句上のコツ
季語について

俳句で言う季語とは季節感の感じられる言葉の事です。俳句は原則的に季節の営みを書くもので、十七文字で完結する句の事です。中には無季の句と言って季節に関係の無い事を書いた句がありますが、季語の入っていない句は余程で無いと俳句とは言えません。それは何故かと言いますと、俳句は連歌の第一句目が元になっているからです。俳句が確立されたのは三百年余り前で、それ迄は連歌と言って何人かの人が集まって、誰かが最初の句を出すと、次の人がそれを受けて、その句に自分の言いたい事を付け足して、又次の人に回すと言うやり方で、次々と渡して行く言わば言葉遊びだったのです。その一番先に切り出す句を発句と言ってその句は挨拶句になります。日常でも初めて会うと誰でも挨拶をします。「お早よう」とか「良いお天気ですね」「寒いですね」「紅葉がきれいになりましたね」「もう十二月
になってせわしいですね」とか人に会えば挨拶の言葉が口をついて出ます。この様に何でも挨拶から始
まります。(これは日本人特有らしいですが、四季折々に変化する日本列島の風土が仲間意識を強くして、人との和とか礼儀とかの意識を育てた様ですが)とにかく日本人は何でも挨拶から始まります。連歌の
様な大勢の人が集まってする場合は、まず挨拶からと言うのも己づと分ります。その挨拶の第一句目を、松尾芭蕉と言う人が、連歌から独立させて俳句と言う形を確立させたのです。こうしてもともと連歌の発句が独立して出来たものですから、当然発句の挨拶の要素を引いているのです。「夕べからえらい雪
ですね」と言う挨拶ですと雪と言うのが寒いとか冷たいとか美しい風景が想像出来る言葉です。この雪
がどんなだったかを高度に書いたものと考えれば俳句に季語が何故必要かと言う事が理解出来ると思います。これが分れば無季の句が如何に弱いかと言うのも、ここに元があるからと納得出来ます。従ってこの季語と言うのは、とても働きもので俳句の良さの大半を担っているのです。俳句は季節の挨拶の高度なものと思えば作るのが楽になります。俳句は挨拶と思って書くのも秘められたコツです。十九年末

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