水晶の鳥形日本式三連双晶

 水晶には様々な双晶が知られているが,日本式双晶だけを取り上げてもその繰り返しや組み合わせの違いによって,多様な形態のものが出現する.
 実は,このような双晶は,10年ほど前にはほとんど知られていないもの( 「水晶の鳥形日本式三連双晶」本誌27号,1997) であった. しかし今日では群馬県南牧村の三ッ岩岳から産出した世界的に稀な日本式双晶の組み合わせによる双晶(星野,2002;高田・星野,2002)のおかげで,想像もつかなかった不思議な形態の水晶が知られるようになった.

 筆者(本誌編集人)は鉱物の結晶形態を研究の対象にしているが,こうした不思議な形態の記載に深く関わってきた.そしてこのような未知の日本式双晶の組み合わせを知るたび,身体が震えるほどの感動を味わった.
 今日,鉱物の結晶形態を主な対象として研究している研究者は極めて限られており,ほとんどいないといっても過言でない.そのため,このような不思議な形態をした水晶の双晶は,もっぱら結晶形態の記載をその大きな特徴にしている“ペグマタイト誌”で扱われ記載されてきた.
 しかしながら,その実体はすべて明らかにされたわけではない.まだまだ,これから先,何処で,どんなものが見つかるか,それはいまだ全く藪の中である.
 ここでは,これまでに“ペグマタイト誌”に報告された不思議な水晶の形態を記事から抜粋する形で簡単に紹介したい.

 話は少しそれるが,水晶の双晶で有名なエステレル式双晶は,高温石英,水晶(低温石英)のいずれについてもかなり古くから知られた双晶で,故櫻井欽一先生によっても写真で紹介されている.しかし,日本式双晶と違って,水晶の双晶としては稀な上に判定する基準がわかりにくく,著名なコレクターの持っている“エステレル式双晶”でさえ,筆者が見た範囲では,結構,多様なもので,明らかに違っていると思われるものまで様々であった.
 世界中で,水晶(低温石英)のエステレル式双晶の結晶図を描いたものは,一つもなく,確認する基準がよく分からなかったからである.そのため,30年以上も前から,何人もの友人・知人に「エステレル式双晶の結晶図を描いてほしい」という要望を何度も受けた.
 しかし,いくら理屈は解っても,実物を見ないで想像で描くことはできない.そのため,乙女鉱山のエステレル式双晶と思われる水晶の形態を詳しく測角して,正真正銘のエステレル式双晶であることを確認してから,結晶図を描いて報告したのは,本誌32号(高田・今井,1998)が最初であった.
 この結晶図が発表されてから,“判定基準”が明確になり,岐阜県田原,京都府広野,長野県小川山,等々で続々とエステレル双晶が発見されるようになった.

 話を元に戻すと,鳥形日本式三連双晶についても,同じようなこことが起こっている.本誌27号(1997)に記事と結晶図を掲載した2年後,加藤・寺島・渡辺(1999)らによって長野県御陵山林道から,また,その半年後には高田・鶴田(2000)によって奈良県五代松鉱山から見つかった.また,星野由紀夫さんが三ッ岩岳から多様な日本式三連双晶を発見したのは5年後の2002年であった.

長崎県 奈留島

長野県 御陵山林道

奈良県 五代松鉱山

群馬県 三ッ岩岳

ペグマタイト27号(1997)

ペグマタイト39号(1999)

ペグマタイト42号(2000)

ペグマタイト53号,54号(2002)

鳥形日本式三連双晶60゚型

鳥形日本式三連双晶120゚型