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Caste(カースト)

 カースト制度を作ったのは、インド・ヨーロッパ系の父権制をとった部族たちであった。彼らは、太古の新石器時代に、母権制社会に侵入し、その多くの中心地を破壊した。そして社会に階層があるのは大地母神、すなわち究極的な権力を有する女神、が権力を持っているためだとした。彼らの後裔で東方に侵入した者たちは、アーリア人と自称して、インドの北西部を征服した。そして、昔は文化が栄えていたその地に「暗黒時代」をもたらした。それは紀元前2000年の中頃のことであった。のちに同じく「暗黒時代」と言われた中世において、西欧の聖職者たちがやったのと同じように、アーリア人の聖職者たちもカースト制度を作って、土着の民を身分いやしき者に追いやった。そして、神の命令によるものだと言って、カースト制度を堅持した。

 この制度の教えるところによると、身分いやしき者に生まれた人々は、すべて、たとえ自分が覚えていなくても、前世において犯した罪のために、どうしても罰ある生を送らねばならない、ということであった。そういう人々は自分の運命を甘受し、一生懸命働いて、目上の者に従うのが義務であって、そうすれば、再び生まれかわったときは、身分が上がる、と教えられた。こうした教えは、階層制を維持する方法としては、人知が考え出した最も効果的な方法であった[1]

 アーリア人で好戦的なアシールAesir〔太古、スカンジナヴィアにあった母権制部族を征服した者〕の支配のもとで、「カーストも職業も、いずれも、それは自然秩序の法則が人間界に反映したものと考えられる」[2]とされた。チュ一トン人のカースト社会の父親はリグ-へイムダル(「海の住まいの王」)であり、母親は3体からなる大地女神であった。

 リグ-へイムダルは、その3体の女神のうちでいちばん老齢である曽祖母神エッダと寝て、スレール(「奴隷」の意)という子をもうけた。へイムダルは、つぎに、祖母神アンマと寝て、カルル(「自由農民」の意)という名の子をもうけた。さらに、へイムダルは母神モージルと寝て、ヤルル(「貴族」の意)という名の子をもうけた。以上3人がカーストの祖であった。

 このリグ-へイムダルのまたの名をラムRam(男根)と言った。彼はのある神として生贄になった、スキュルド、アーサー、および異教の他の英雄たちと同じく、彼も海の9番目の波から生まれた。『リグの魔法の歌』によると、彼は9人の乙女から生まれた、という。 9人の乙女とは「太古の神のような人類」の娘たちのことであって、前出の3体の女神が更にそれぞれ3体ずつになって、計9人になったものであった。この3体の女神はどこでも母親-花嫁を表した。 9人の乙女は、海の冷たいカと生贄の血で、リグを強い者にした[3]

 リグ-へイムダルはヴェーダの火の神アグニに似た存在であった。アグニは海から生まれた子とも言われ、死んで海に帰った、という。アグニは、定期的に再生してはダライラマに化身する、という説もある。ダライラマも「海の子」の1人なのである。『リグ・ヴェーダ』によると、アグニは「叢を食らうことなく、赤々と燃え立ち、海の中で輝きわたる」[4]者であった。これは海が白熱しないのに発光したことを言ったのではなく、血というものは海のに火(体温の要素)を注入してできたものである、という古代の考えを比喩的に言ったものである。 point.gifElements.生贄として死んでいく神が血で大地母神を受胎させたように、に浸かって消えなんとする火は、冷たい海のを温かくて赤い生命の血に変えたのである。こうした昔の考えが背後にあって、北欧神話やヴェーダ神話に、「火との交合」という場面が見られるのである。

 東西にあったアーリア人の社会には、このカーストとは別に、社会的地位のない人々がいた。たとえば、インドの不可触賎民がそれである。「を運び、たきぎを切ること」が彼らの仕事であった。雑用を引き受けて、それを忠実に行なえば、立派だと言われた[5]。聖書に、触れてはならないが、「たきぎを切り、をくむもの」(『ヨシュア記』 9 : 21)として生かしておかれた除け者についての記述があるのは、偶然の一致ではなく、それはもともとインド・ヨーロッパ圏に発した伝承なのである。ヤハウェの律法学者たちは、そうした考えは自分たちの祖先から発したものである、と言ったが、しかし、それがカースト制度に対する極東の考えから来たものであることは明らかなことであった。


[1]de Camp, A. E., 294.
[2]Campbell, Or. M., 416-17.
[3]Turville-Petre, 147, 150-53.
[4]Branston, 140.
[5]Campbell, Or. M, 459.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



力ースト caste

 内婚的で個人の帰属変更を許さない身分、身分制度を意味してきた社会人類学、(階層分化研究)の用語で、南アジア社会の研究では“ヒンドゥー教"と関連するとみなされた重要概念だった。上記の通説的定義からはインドの身分(力一スト)間に厳格な序列があって身分間の社会関係が制限・類型化されているとの印象をうけるが、実際には被差別(または指定 scheduled)身分とそれ以外の身分との間の差別を除けば、特記すへき身分的断絶がないのが善通である。さらに、どの身分の構成員も身分制度の存在は認めるが自らの身分についての宗教的説明を理解しこれに満足しているのは稀で、身分制度の維持が所有・使役その他の特権を集中する支配身分(dominant caste)の努力なしには考えられない、などの南アジア社会の現実は比較的よく知られている。

 通説的カーストの複雑な意味は、単語としてのカーストがもつ歴史の偶然的産物であり、世界各地のカーストとよばれる諸現象には生得的身分・身分制度以外の共通点はないとみてよい。(性道徳上の)清純さ・宗教的敬虔さを意味したラテン語 castus (反対語 incestus、インセストの語源)の女性形 casta がルネサンス期のスペイン・ポルトガル語では家系・血統を意味するようになり、大航海時代に世界各地の生得的身分を意味する一般用語として普及した。このcasta を単純に英語化してカーストとよんでいるとみなすべき事例が東部および南部アフリカ、カリプ海沿岸地域などに多くみられる。植民地政府との関係と混血により多様化した容貌とを基準にして設定した人口の大区分を便宜的にカーストとよび、植民地支配がもたらす諸問題を人種的または時には宗教的に説明するのにこの大区分を用いることが少なくなかった。中央・西アジアなどのイスラム圏およびその周辺で出身集団〔民族〕と対応すると考えている身分にカーストの語をあてるのもボルトガル語 casta の用法の延長であろう。

 カーストとインド文化との間に想定きれてきた特別な関係を理解するには、単語としてのカーストの歴史をやや詳しく知る必要がある。革命期に排他的・保守的な特権的貴族身分を意味したフランス語形 cast が、その英語化の時点(1830年代)にスベイン語 cast を直接英語化して用いていた cast の同音同形語 “鋳型・ステレオタイプ"と交錯し、さらに原語 castus の宗教性を再吸収したとみると、“宗教的原理による変更不能な生得的身分"の意味でカーストを用いた経過を理解しやすい。cast[e] が19世紀中葉までの約20年間に cast を駆逐したから、1870年代以降英語を主要媒体として発達した文化人類学・南アジア研究では、caste の宗教性・不変性などの特殊な意味を強調するのを不自然に感じなかった。同時期のイギリスによるインド帝国建国に際し、帝国各地の生得的身分を総称するのに南アジアにとってはー外国語にすぎないカース卜を便宜的に用いた一方で、政治統合のモデルを古代に求めた結果、力一ストを古代の4ヴァルナ( varna 四姓制度〕の分化したものと理解しようとしたのが出発点となり、その後ヴァルナ関係文献などを利用した研究者がカーストを理論化した過程で、カーストをインド固有の古代的・宗教的制度とみる傾向が支配的になった。英領植民地支配に必要だった多数の現地人官吏の養成機関での教育を通じて、厳密には外来思想であるヴァルナと中近世身分を関係させる理論がインド現地に琉入した。多くは農村部に生まれ地域的な通婚関係を背景とした現地人官吏が英領都市に職を求めると、子弟の*結婚に*際し地域性は異なるが身分の同じような相手を選択する必要が生じたからカースト類似性の指標となるヴァルナ・身分関係理論は有用だった。しかし、1960年代以降の民族誌的調査により、インド各地の身分制度には関係文献などから想定していた要素(内婚性、職業性、宗教性、自治性、ジャジュマーニー制)が不完全である、欠落する、または地域的には存在するが、全インド的ではない、などの事実が明らかになり、比較的ー般性が高い要素(コメンサリティーなど〕がとくにインド固有でないことも明らかになりつつある。このため復雑で特殊インド的な属性を付け加えられたカーストの存在を、南アジアの生得的身分・身分制度の多様な民族誌的現実から帰納的に実証しようとするのは不可能に近い、とみるのが現状では妥当である。ただし、カースト、サブカーストなどの多様な意味でやや広く使用されているジャーティ(jâti サンスクリット語源説には問題があり、ウルドゥー語源の可能性がある)以外にインドの生得的身分をさす適当な総括的用語がないので、南アジアの文化人類学的記述では、今後も“カースト"を便宜的に用いざるをえない。その場合でも、前世紀以来の難解な意味を付さないでこの語を用いていることに充分留意すべきである。(佐々木明) (『文化人類学事典』)