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供犠(Sacrifice)

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 人間であれ、動物であれ、古代文明の生贄の犠牲者はほとんどつねに男性であった。シヴァの崇拝者は雄の動物のみを生贄に供した。神自身が、雌の動物は殺してはならないと命じたのである[1]。雄は消耗してもよかった。適切な繁殖量に比してつねに数が余っていたからである。

 人間の生贄の場合でさえ同様のことが言えた。生贄は男であって女ではなかった。「グループの繁殖力は成人男子の数よりは成人女子の数によって決まる」[2]。したがって最も初期の祭壇上では、「生命」を与える女性の血に模して、男性の血のみが流された。部族の先祖とされるトーテム獣が、母としてより父として考えられることが多いのはこの理由による。動物の血や肉は、女性の体内に取り入れられて、人間の子孫をつくると考えられた。そして「殺されたものが何であろうと、そのものが父親になる」という掟があった[3]。犠牲者はまた神であり、王であった。

 アマゾーン女人族のサカイ人すなわちスキタイ人は、バビロンのサカイアの祭りを始めたが、この祭りでは、を殺す初期の慣習を緩和して、の身代わりの生贄として罪人にを宣告した。選ばれた犠牲者は聖王であり、あらゆる可能な方法で、真の王と同一の者として扱われた。彼はの衣服をまとい、王座に座り、王の愛人たちと床を共にし、王笏を用いた。5日後に衣装を剥がされ、鞭打たれ、そして「天と地の間」に吊されるか、あるいは串刺しにされた。後のユダヤ人の聖王たちにまで影響を及ぼした磔刑の儀式の原型である[4]

 鞭打ちと刺殺は豊穣の呪術として、身代わりの王に涙と血を流させるために行われた[5]。バビロンの聖典は述べている。「もし王が打たれたとき涙を流さなかったら、悪い年の前兆である」[6]。王あるいは身代わりの王は死ぬとただちに「神になった」。彼は天界に昇り、天界の父(すなわち本来の部族の父を象徴する最初の犠牲者)と一体となった[7]。おそらく神格化と不死性の特権を得るという約束のもとに、犠牲者は喜んでを受け入れたのであろう。これと同様の約束がキリスト教の殉教者を引きつけたのとよく似ている。

 王あるいは王の身代わりの人間を、儀式として殺すことが残酷で非文明的であると考えられるようになったとき、動物の犠牲が代わりに用いられた。そこで動物と人間を同一視するための儀式が考え出された。たとえばエジプト人は「偽物を用いて自らのを先にばそうとして、人間の代わりに動物を捧げたが、縛られてひざまずき喉もとに刃をあてられた男の像を描いた印象を殺される動物につけて、彼らの意図する行為の象徴とした」[8]

 ブタはしばしばエジプト、インド、中東において「神聖」であり、「汚れている」(sacer)生贄として特別に扱われた。このことはユダヤ人がブタ肉を食べない理由を説明するものである。生贄に供される「ブタ-神」ヴィシュヌに対応する西欧の神は多い。たとえばアプロディーテーであるブタ皮をまとった神アレスがそうである。彼の子どものポボスPhobos(敗走)、デイモスDeimos(恐怖)、ハルモニアHarmonia(和解、調和)は、犠牲者の観点から見た奉納劇の3つの場面を表しているかもしれない[9]

 肉は浪費してはならなかった。そこで初期の神学者たちは生贄が丁重に神に捧げられたことを装う方法を考え出すのに懸命であったが、実際は彼ら自身が消費するために肉を取っておいたのであった。ふつう行われる方法は、動物の食べられない部分だけ、あるいは血液のようにすぐに集めて使うことのできない部分だけを神に捧げるやり方であった。生贄の動物から血を抜きとる「コーシャ」(ユダヤの掟による屠殺法)は、本来はユダヤ人の考えたものではなかった。これは崇拝者が大地母神に動物の血を捧げ、自分たちのために肉を取っておいたオリエントに共通の方法であった[10]。ヒンズー教徒と同様に、ユダヤ人は、動物の霊魂はその血の中にあると説いた(『レビ記』第17章11)。

 ギリシア人は、生贄の最上の部分を奪われて憤る神々を持ったが、彼らはそれをゼウスの古い競争者であるティーターン族のプロメーテウスのせいであるとして、罪を転嫁した。最初の生贄の雄ウシが屠られたとき、プロメーテウスはそれを、脂肪の下に隠された骨の部分と、内臓の下に隠された肉の部分とに分けた。そしてすべての神々のためにどちらの部分を取るか選ぶようにゼウスを招いた。ゼウスは脂肪を選んだ。後になって策略にかかったことを知ってゼウスは大いに怒ったが無駄であった[11]。しかしこれが神々に捧げる食物の基準となったのであって、ヤハウェに捧げるときでさえ同様であった。「だれでも火祭として主にささげる獣の脂肪を食べるならば、これを食べる人は民のうちから絶たれるであろう」(『レビ記』第7章25)。

 ユダヤ人は彼らの捧げ物に関してギリシア人よりいっそうけちでさえあった。ときにはヤハウェは獣の脂肪さえ得られなかった。ヤハウェの得たものはその匂いだけであった。レビ族の祭司は「燔祭」を合法化した。それは供物を祭壇の前で揺り動かし、その後で祭司が食べてしまうことを意味した。「その胸を主の前で揺り動かして、燔祭としなければならない……その胸はアロンとその子たちに帰する」(『レビ記』第7章30-31)。しかしユダヤ人はローマ帝国の影響下にあった他のどんな民族よりも長い間、特別な場合には人間を生贄にささげる習慣を保持していた[12]。この伝承からエルサレムの生贄となって死んでいくクリストスchristos(「油を塗られた者」)の像が生じたのであった。

 聖書の生贄の概念に関してE・C・スタントンは記した。「人々はつねに、彼らが教会や聖職者に与えたものはすべて『主』に与えられているという考えに惑わされてきた。まるで宇宙の創造者たるものが、われわれの持っているものを何でも必要としているかのようである。あらゆる惑星とその住人を創造した『無限の存在である神々』が、その上で神に捧げるために、動物を殺したり焼いたりするように自らの創造物に命じるというのは、何とつじつまの合わない考え方であろうか。宗教の名において、聖職者が、あらゆる時代と国々おいて人々に対して演じてきた欺瞞を見ると、まことに哀れを催す」[13]


[画像出典]
紀元前7〜8世紀のマヤの古典期の人身供犠を描いた絵。
(立川武蔵『女神たちのインド』せりか書房、1990)


[1]Mahanirvanatantra, 103.
[2]M. Haris, 39.
[3]Campbell, P.M., 129.
[4]H. Smith, 135.
[5]Frazer, G.B., 328.
[6]Stone, 143.
[7]Frazer, G.B., 513.
[8]Elworthy, 82.
[9]Graves, G.M. 1, 67.
[10]Neumann, G.M., 152.
[11]Graves, G.M. 1, 144.
[12]Cumont, O.R.R.P., 119.
[13]Stanton, 132.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)