「女友だち」の意で、ギリシアにおける高級聖娼(身分の高い神殿娼婦)の称号。高級聖娼は、父権制の古代ギリシアにあって、男性と完全に対等な関係を維持していた唯一の女性だった。中世初期のキリスト教の尼僧たちと同様に、ギリシアの高級聖娼たちも正式の結婚をしなかったが、それは、自分たちの財産権を父権的婚姻法によって奪われないためだった。彼女らは、妻になった女性たちとは違って、何の束縛も受けずに、学園へ通ったり、サロンを設けたり、さらには、当時の社交的知的生活の面で重要な役割を果たすことができた。
ヘタイラという称号は、古代エジプト語のheter(「友情」)と関連があったかもしれない。heterの象形文字には、2人の女性が両手を握り合っている姿が使われていたからである[1]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
ふつうポルノイという言葉は最下層の売春婦について使われ(英語でいえばwhoreがいちばん適訳だろう)、それ以外の者たちに向かって言うときは、侮蔑の言葉になる。いっぽう婉曲表現ヘタイラhetairaは、文字どおりの意味は仲間とか相手役といったほどのもので、もっと上等な高級娼婦をさすのに好んで使われた言葉である。そしてこの上下二つの間にいろいろな名称があり、その中には肉切り人、橋の女、教区労働者、公共の女、走る人、しけ込み、雌オオカミ、さいころ、仔馬、蠕動壺、地面を叩く奴、寝室用品などといった表現も含まれていた。〔……〕。
売春婦のヒエラルキーの中で、このポルノイより少し上に位置したのが街娼である。彼女たちは置屋で客を待つのではなく、街頭とか居酒屋とか、それに似たような場所へ出かけていって客を捜す。かなり年輩の女が多かったらしく、おそらくもとはヘタイラだった者が不幸に見舞われて落ちぶれたものと思われる。地方の居住者で都市の繁華街に稼ぎに出てきた者もいれば、ホテルや居酒屋の使用人(あるいは奴隷?)で、客にサービスをするためにそこに雇われていた者もいた。〔……〕。
これら街娼の一ランク上にいるのがフルート奏者やキターラ奏者、踊り子、曲芸師、その他もろもろの女芸人で、彼女たちは稼ぎの足らない分を売春で補っていた。〔……〕。
そして最後に、売春婦の社会階梯(ヒエラルキー)の頂点にたっていたのがヘタイラで、彼女たちは女性として他のいかなる同性も並びえないほどの地位を享有していた」(バーン/ボニー・ブーロー『売春の社会史 古代オリエントから現代まで 』筑摩書房、p.69-75)