女性を象徴する聖なる大がめ。祝福された再生を与えるために、死体を容れる子宮に擬した容器として、エレウシースの秘儀において用いられた。かめまたは壺は、パンドーラー(「万物を与える者」)の姿をとった女神自らを表した。Pandora. 太母と、この再生と復活の容器を同一視する考え方は、ほとんどの古代文明に共通するもので、古代においては、あらゆる種類の壺やかめの製造は、普通女性の仕事であった[1]。
キリスト教の風習では、「かめ」pithosは「箱」pyxに変わり、キリストの身体は「箱」に封入された。そのためエラスムスは、パンドーラーの神話を、すべての悪を女性に帰そうとする父権制社会的思考で書き換えたときに、この2つの容器を混同し、「かめ」は「箱」となったのである。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
犬儒派のディオゲネースが住居としていたのは、大樽ではなくて、ピトスであった〔『哲学者列伝』第6巻23節〕。クレータ島では、死んだ子どもたちは、胎児の姿勢にもどして、ピトスに入れられた。ピトスは、この場合、母胎であり、生命の物質的、精神的源泉である。源泉への一種の回帰を意味していた。
『イーリアス』では、ピトスは、ゼウスの決定を象徴している。ピトスの中には、この神の決定が収められている。神殿の門前には、2つのピトスが置かれ、一方には善、他方には悪が入れられる。ゼウスは、かわるがわる両方から、それを取り出し、善と悪とが人間に降りかかるようにする〔Il. XXIV_527〕。人間に対する、こうした神の冷淡さが支配している、こうしたシンボルは、やがて、偶然とか神の摂理とかの理論へとなっていく。
〔アジア〕 より一般的なピトスの象徴的意味は、インドで知られているもので、水、とくに〈女性〉のシンボルである。ドラヴィダ族からおこった礼拝では、《女神》自体が、ピトスで表される。
古代の聖画像では、紅おしろい壺(anjani)が、デーヴィ(女神)の表象であった。
非常に古くから存在する、「壺の踊り」は、豊穣のシンボルであるが、そこでは壺の性的なシンボルが強調されている。壺が内包する水は、示現の実体そのもので、示現は天上の豊かな豊穣から生まれてくる(ELIY, GOVM, LEBC)。
(『世界シンボル大事典』)
パンドーラーもやはり豊穣のピトスを持っていた。しかし、反フェミニスト作家ヘーシオドスによって、そのピトスは悪の源泉に変えられた。
pyx←Lat. pyxis←Gr.puxivVである。puxivVは柘植の木、ないし、柘植の木でつくられた箱を意味する。
バーバラ・ウォーカーは、木箱から棺桶を連想し、(たしかに、キリスト教で pyx は聖体の容れ物に用いられた)そこにpivqoVとの共通性を見ようとした。放埒な連想である。
puxivVは、貴重品(例えば、ルキアノス『嘘好き、または、懐疑者』21では薬品のような)を入れる木箱であって、棺桶としては用いられない。