寺院または至聖所を表すサンスクリツト語はgarbha-grha (「子宮」)であった[1]。
アルゴスの年中行事であるアプロディーテー例大祭は、ヒュステリアHysteria(「子宮」)祭と呼ばれた[2]。
大地・海・空を支配する太母に捧げられたギリシア最古の神託所は、デルポイDelphiという名前であったが、この言葉は delphos (「子宮」)に由来する。
巨石墳墓や塚は、死者を再生させるための「子宮」に見立てて造られていた。その膣のごとき墓道を見ると、新石器時代の人々は大変な苦労をして、土や石で子宮に似た構造物を造りだしたことがわかる。tomb (「墓」)とwomb (「子宮」)とは言語学的にも関連がある。ギリシア語tumbos〔tuvmboV〕とラテン語tumulusは、「膨れる、受胎している」という意味のラテン語tumereと同語源であった。tummy (「ぽんぽん」)という言葉は同じ語根に由来すると考えられている[3]。
子宮-神殿や子宮-墓という連想から、速い過去の母権制時代が思い起こされるが、この時代には、女性による生命、魔術だけが効き目があると考えられていた。極東の円蓋のある埋葬用の仏舎利塔の意味するものは、子宮-墓からの再生であった。極東では聖者の遺骸は、garbha (「子宮」)と呼ばれる建物の中に安置された[4]。塚、ミケーネのトロス(「穹窿墓」)、洞穴神殿や他の似たような構造物との類似点は、現在ではよく知られている。キリスト教の大聖堂も、身廊外陣nave(元来、「腹部」の意)と呼ばれる空間を中心に据えた。洞穴や玄室は大地、すなわち大地母神の「胎」に掘られたものと言われた。「誕生」を表す聖書表現は「大地の胎からの分離」である。
元型としての子宮象徴は、過去と同じく現在でもよく使われている。もっとも、必ずしもつねによく使われるものとして認識されているわけではないが。パウル・クレーによれば、「あらゆる機能がそこから生命を引き出してくる、すべての運動の中心的器官のもとに住みたい、と思わないような芸術家が果たしているだろうか。あらゆるものを解く泌密の鍵が隠されている自然の子宮に、創造の原初の地に住みたいと思わないような芸術家がいるであろうか」[5]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
1 始まり、朝を表す。
あなたの民は、あなたがその軍勢を
聖なる山々に導く日に
心から喜んでおのれをささげるであろう。
あなたの若者は朝の胎から出る露のように
あなたに来るであろう。(『詩篇』110_3)
2 夜を表す。
the foul womb of night.〔漆黒の闇のふところ(『ヘンリー五世』4, コーラス〕
3 子宮wombと墓tombとの関連:
(a) I may be plucked into the swallowing womb Of this deep pit, poor Bassanius' grave.〔俺の方がこの深い穴の吸い込むような胎内へ引きずりこまれてしまうかも知れない、バッシアナスの墓穴の中へ(『タイタス・アンドロニカス』2, 3)〕。
『リチャード二世』2,1:『ソネット詩集』3:86を参照。
(b) D・トマスの詩には、いたるところにこの例がみられる。
4 不妊の胎は(冥界、乾燥した大地、火と同じように)けっして満たされることがない。
すなわち陰府、不妊の胎、水にかわく地
「もう、たくさんだ」といわない火がそれである。
(『箴言』30,16)。
5 female, mother, vulva.
(『イメージ・シンボル事典』)