第13章 伊曽保物語
インターネットで蝉を追う
第14章
バイユーのタピスリー
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フランス北西部のノルマンディー中部カルバドス県にバイユー(Bayeux)と呼ばれる小さな町がある〔左図〕。ここには、11 世紀のノートル・ダム大聖堂が残ることで有名であるが、さらに有名なのは、この大聖堂所蔵のいわゆる「バイユーのタピスリー」である。
タピスリー(つづれ織)と呼びならわされているが、じっさいは刺斥壁掛けで、約 70m× 0.5mの麻布地に、青、緑、黄等濃淡 8 色の毛織糸を使用。ノルマン人のイギリス征服(いわゆる"Norman Conquest"1066年)のエピソード ウェセックス公ハロルドの偽りの誓いがギョーム〔征服王ウィリアム1世〕による征服とハロルドの敗北と死を招くという因果物語 が、様式化の中にものびやかに描かれている。 Bayeux Tapestry じつにすばらしいサイトである。
バイユーの司教(ギョームの異父弟)のため 1066‐77 年ころカンタベリーで作られたといわれるものであるが、11 世紀の風俗を知るための最も確実な稀有の資料として、また当時重要な美術品のカテゴリーであったこの種の作品の唯一の残存例として貴重である。
が、われわれの関心は、この壁掛けの縁絵にある。多くの鳥獣の意匠に混じって、どうやら、イソップ寓話が描かれているらしいのである。
1064年夏、エドワード懺悔王〔在位1042-66〕の下で宰相を務め、近衛軍団の司令官でもあったウェセックスの大豪族ハロルド伯は、サセックスの港の近くにある小さな教会に立ち寄って、ローマ巡礼のための航海安全を祈祷し、ついでに船遊びを楽しもうとした。
ところが、思いがけず嵐に遭い、イングランドの対岸、ノルマンディの東北ポンテュー地方を流れるソンヌ河の河口州に流れ着き、ポンテュー地方の領主ガイ伯に捕らえられる羽目に陥った。これの身代金を払ったのが、後の征服王=ノルマンディー公ギョームであるが、イソップ寓話とおぼしき縁絵は、この箇所に最も多く登場する。
左の図柄は、全体で3カ所に出てくる。
2番目の図は、ギョーム公がノルマンディの西隣ブルターニュ地方の領主コーナン伯を攻めるため、ハロルドを伴ってモン・サン・ミッシェル大寺院に出陣する場面の下縁に、
3番目の図は、ハロルドがイングランドに帰還する場面であるが、ここは上縁に出てくることが注目される。
〔Ademar 15〕
烏がどこかの明かり窓からチーズをかっぱらってきて、食おうとして、高い木の上に止まった。狐がそれを見てうらやましくなって、次のように話しかけた。
「おお、烏どの、そなたの翼のなんとみずみずしいことか! 御身に声さえあれば、いかな鳥も御身にはかなうまじきを……」 そこで烏が声をも持っていることを見せびらかせようとして、チーズを取り落とした、それをすぐさまずる狐が、がめつい歯でかっぱらった。どれほどの儲けものを失ったか、おのがうかつさを嘆けど、もはや詮なし。
言葉巧みにほめてられて喜ぶ者は、ぶざまな後悔を償いとするが常である。
〔Phaedrus I_13, Babrios 77, Romulus I_14, Walter 15, Marie 13, Perry124「烏と狐」〕
〔Ademar 3〕
狼と仔羊が小川にやってきた。狼は川上に、仔羊は川下のずっと離れていた。このとき、ならず者は生唾をおさえきれず、いいがかりをつけて言った、「なんでわしの飲んでいる水を濁らせるんや?」
ふさ毛〔の仔羊〕、「どうしたらそんなことができるんですか、水はあなたの方からぼくの飲んでいる方へ流れてくるんですから」
狼、「六ヶ月前、おまえはわしの悪口を言うたやないけ」
答えて言う、「ぼくはまだ生まれていません」
狼、「おまえの親父がわしの悪口を言うたんや」
こうして、非道にも、〔仔羊を〕つかまえて引き裂いてしまった。
偽りの口実をつくって、無実の者たちに襲いかかる連中がいるものだ。
〔Phaedrus I_1, Babrios 89, Romulus I_2, Walter 2, Marie 2, Perry155「狼と仔羊」〕
この図も2カ所に出てくる。
2番目の図は、ギョーム公の軍勢がイングランドに攻め渡ってきた場面の下縁である。
〔Ademar 54〕
子を孕んだ雌犬が、〔繁殖用〕雌豚に、あんたの小屋でお産をさせてくれと頼みこんだ。豚はその頼みを聞いてやって、お産をするために中に入れてやった。お産の後で、子犬も元気になったので出てゆくよう頼んだ。すると雌犬が頼みこむので、その願いを聞いてやった。さらに後になって、自分が小屋を使う必要が生じたので、立ち退くよう改めて要求した。すると雌犬が怒って相手に云った。
「何をごちゃごちゃ言うてんのよ? おまえさんがあたしにいちゃもんつけるのは何でなのよ? あんたがあたしたちより強いっていうのなら、そりゃいつだってあんたにここを返すけどさ」
何も物を持たぬ者は、善人たちから物を借りようとするとき、おべんちゃらを言うものだが、そのおべんちゃらで、善人たちに大変な損害をかけるのだ。
〔Phaedrus I_9, Romulus I_9, Walter 9, Perry 480「孕んだ雌犬」。アデマールでは、お人好しは豚になっているが、パエドルス以来、相手は同じ雌犬になっている〕
この図も2カ所に出てくる。
もう一カ所は、ハロルドがイングランドに帰還する場面の上縁である。
〔Ademar 64〕
狼が、呑みこんだ骨が喉に突き刺さり、痛さのあまり、たくさんのお礼を約束して、誰彼となく、とげを抜いてくれと報酬をかけて頼んでまわった。やっとのことで鶴が、その厳かな誓いを真に受けた。長い首を〔狼の〕喉に預けて、わが身を危険にさらして、狼をなおしてやった。その後で、約束どおりお礼を求めたところ、
「恩知らずめ」と〔狼が〕言った、「わしの口に突っこんだ頭をそっくり返してもらっておきながら、このわしからお礼まで要求するつもりとはな」
悪党に親切にして、その見返りを求めるのは、二つの点で誤りである。ひとつは、助けるにあたいしない者を助けるのはよろしくないということ、もうひとつは、助けても感謝を求めることはできないということである。
〔Phaedrus I_8, Babrios 94, Romulus I_8, Walter 8, Marie 7, Perry156「狼と鷺」〕
この図は、ハロルドの船出の場面に出てくる。
〔Ademar 49〕
獣たちが、力の強いライオンを自分たちの王様にしたとき、ライオンは王者らしくふるまって、よい評判を得ようとした。そこで、それまでの行いを改め、生き方を変えることにした。つまり、いかなる動物も害せず、血の流れるいかなるものにも手をつけぬと誓い、神聖不可侵の信頼を得ようとしたのである。しかし、結局は、自分のしたことを後悔し、自然本性を変えることに堪えられず、ほかの動物を秘密の場所に連れてゆき、悪巧みを胸に、自分の口がひどいにおいがするかどうかと質問するということをし始めた。そうして、「におう」と言う者も、「におわない」と言う者も、ことごとく八つ裂きにして、肉の欲求を満たしたのである。多くの動物たちにこんなことをしでかしていたが、あるとき、猿を自分のところに召し寄せて、自分の口がいやなにおいがするかどうか尋ねた。猿は、「陛下の口はシナモンとまごうばかりのかおりがし、〔そのかおりは〕神の祭壇そっくりです」と言った。ライオンは、このおべっか使いを殺すことを思いとどまった。しかし、罠にはめるために、手を変えた。〔底本はここで欠損がある。他の写本にて補うと、ライオンは病気のふりをして、医者たちが、その異常のないのを診察して、「軽いものをお召しあがりください」と言ったのをよいことに、猿が食いたいと言って、たちまちさるが食事に供された〕。
しゃべる者も、沈黙する者も、罰は同じ。
〔Phaedrus IV_14, Romulus III_20, Marie 29, Perry 514「ライオンの王様」。マリイ・ド・フランスでは、ライオンが外国で暮らすことになり、狼が後任の王位に就く話になっている。
なお、図で、ライオンと獣たちとの間に立っているのは、鳥であろうか……? その意味でも、これを通称「Wolf-King」と比定するのは、わたしとしては納得しがたいが、一応、権威にしたがっておく。〕
この図も、同じ場面に、上図に続いて出てくる。
〔Ademar 4〕
鼠が、もっと簡単に河を渡れるようにと、蛙に助けを求めた。蛙は自分の後ろ脚に鼠の前肢をひもで結わえた。そうして、河の中程まで泳ぎ出た。すると蛙は裏切り者に変じ、水の中にもぐり、相手もいっしょに引きずりこんだ。こうして、〔鼠の〕屍体が浮かび上がって、水面を漂っているところに、トビが飛んできて、獲物になりそうなものを見つけた。鼠を引っさらったところ、その友達の蛙も引っぱりあげた。こうして、他人の命を売り渡した裏切り者は、同じように破滅の憂き目をみ、自分もまた食べられてしまったのである。
他人に害をなす者は、自分もまた破滅するのだ。
〔Phaedrus I_13, Romulus I_3, Marie3, Walter3, Perry 384「鼠と蛙」〕
この図は、ハロルドがノルマンディーに漂着し、ポンテュー地方の領主ガイ伯に捕らえられる場面に出てくるが、
もう1カ所は、決戦となったヘイスティングスの戦いを前にしたギョーム公の騎兵隊の場面の上縁に出てくる。
〔Marie 94, Perry 680。ここでは、マリイ・ド・フランスの原文と梗概を挙げておく。わたしはまったく読めないが、古フランス語とはこんなものかと、眼にするだけでも意味があるのではないかと……(^^ゞ〕
Del buc e del lu
Par veil essample tuis escrit,
E Ysopus le cunte e dit.
Un bucs entra en une lande.
4 Si alot quere sa viande.
Guarda, si vit un lu venir -
Ne pot esturner ne guenchir!
Enmi la lande s'arestut.
8 Li lus demanda, que ceo dut
Qu'il seit en cele lande mis -
E qu'il aveit dedenz quis?
Li bucs respunt, 'Jeo vus fui.
12 Tant cum jeo poi. Mes ore sai de fi,
Que jeo ne poi fui[r] avant!
Pur ceo vus sui ale querant.'
Li lus li dist, 'E jeo te ai quis
16 Par tuz les bois de cest pais -
Ceo m'est avis, un an entier.
Mut aveie grant desirer
De manger de ta char, que est saine -
20 Si n'ies mie chargie de laine.'
'Ore m'avez,' fet li bucs, 'trove!
Si vus requer par charite
Que aucune merci e pardun
24 Facez cest vostre cumpainun.'
Li lus li dist, quant il l'oi,
'Tu n'averas ja de mei merci!
Kar ne te puis terme doner,
28 Que jeo te veie vif aler.'
'Jeo ne quer terme,' dist li bucs,
'Fors tant que jeo die pur vus
Une messe, autre pur mei,
32 Sur cel tertre, ke jo la vei.
Tutes les bestes qui l'orrunt,
Que as bois e as viles sunt,
Ferunt pur nus a Deu preere.'
36 Li lus l'otreie en teu manere:
Hors de la lande amdui en vunt,
Ensemble vienent tresque al munt.
Li bucs esteit desus muntez.
40 Li lus fu tut aseuirez,
Desuz remist, si atendi.
Li bucs leva en haut sun cri.
Si durement aveit crie,
44 Que li pastur sunt hors ale
E cil que pres del munt esteient
E as viles entur maneient.
Le lu virent, si l'escrierent -
48 De tutes parz les chiens huerent.
Le lu unt pris e decire,
E il ad le buc apele-,
'Frere!' fet il, 'bien sai e vei,
52 Malement avez prie pur mei.
Bien poi entendre par le cri,
Que ceo ert preere de enemi.
Mut est mauveise ta pramesse.
56 Unc mes n'ol peuir messe!'
'Par ma fei, sire,' dist li bucs,
'Tut autresi priai pur vus,
Cum vus vousistes pur mei feire;
60 Kar fel estes e de put eire.
Ja ne poeie jeo merci aveir,
Que jeo vesquisse tresque al seir;
Pur ceo m'estut de mei penser,
64 E vus leisser e ublier.'
Ceo veit hum de meinte gent
Que quident tut a escient
Que autre deive pur eus preer
68 E Iur message bien porter.
Si parolent le plus pur eus
E Ieissent si ublient i ceus,
A ki il eurent bel premis -
72 Ne lur fu unc fors li pis!
[梗概]
山羊が森の中で狼と遭遇した。逃げることもできないので、狼にこう言う、 自分はもう狼から逃げられないと悟った。だからあなたに食べてもらおうと、自分からあなたを捜していたのだ。ついては、食べられる前に、自分のためとあなたのために最後の祈りをしたい、と。狼が快く了承したので、山羊は丘の上に登って、大声で祈りをあげた。それを仲間や、番犬や、あげくには百姓たちが聞きつけて、山羊を助けに集まり、狼を捕らえて殴り殺そうとする。
〔Perry696=シュタインヘーヴェルのイソップ寓話番外拾遺集(Registrum Extravagantium Esopo Ascriptarum)第7話「狼と驢馬(De lupo et asino)」〕
[梗概]
森の中で驢馬を見つけた狼が食い殺そうとする。すると、驢馬が言う、 自分はおとなしく食べられましょう。でも、この場所でむざむざ食べられて、不面目な評判を立てられるのだけはいやだ。もっと森の奥深くで食べてほしい、と。狼が承知する。ついては、あなたの奴隷として、わたしの首に縄をかけてほしい、そしてあなたはわたしの主人として、わたしがあなたの首に縄をかけよう。こうして二匹は連れだって行く。しかし、道が違うことに狼が気がついたときには、驢馬は狼をぐいぐい引っ張って、自分の主人の屋敷に連れてゆく。狼が殺されそうになるのは言うまでもない。
〔この寓話は、国字本『伊曽保物語』下巻5に採録されている〕
- 次の図は、ハロルドを捕らえたポンテュー地方の領主ガイ伯のもとに、ギョームから使いが来る場面である。
〔Ademar 20〕
小鳥たちが群れつどっていたとき、亜麻の種をまいている人を眼にしたが、何とも思わなかった。燕は、それが何を意味するのかを知っていた。そこで小鳥たちを呼び集め、それが大変危険なことを説いて聞かせた。小鳥たちは笑うだけだった。種が芽を出したとき、燕は繰り返し言った、「これは危険なものだ、行って、引き抜いてしまおう。もしも成長したら、〔人間は〕網を作って、そうなったら、人間の考案したものにとらえられて、逃げ出すことはできない」。しかし小鳥たちは燕の言葉あざ笑って、その忠告を馬鹿にした。だから燕は人間たちのところへ行き、その軒下だけに巣をつくるようになったのだ。そうして小鳥たちは、燕の警告を無視したために、今も網に捕らえられつづけているのである。
〔Romulus I_19, Marie 17, Perry 39〕
第9章 テクストの変容・挿絵の変容〕
以下、何らかの寓話なり伝承なりがありそうだが、よくわからない図を列挙しておく。
〔Perry188「ライオンの皮を被った驢馬」?〕
『ジャータカ』第1巻の第12話に、「水禽と海」という話が出てくる。この話は、ギリシアに伝わるカワセミの転身譚を連想させるので、興味が尽きない。〔話の概要は、自然誌「カワセミ」の項を見よ〕。しかも、『ジャータカ』のこの話は、ペルシア/アラビア〔『カリーラとディムナ』の第1章〕を介して、ヨーロッパに伝えられたのである。
さて、『ジャータカ』の本文に、次の格言が登場する。
天空の落下を恐れて、水禽(ティッティバ)は足を挙げて横たわる。
自分の心に生じた慢心は誰にわかろうか。
ところで、13世紀初め、イギリスのOdo of Cheritonの寓話に、次のような話が登場する〔Hervieux VII, Perry 589〕。
スペインに、"Bird of Saint Martin"というちっぽけな鳥がいた。その脚は細くて長かった。聖マルティヌスの祝日に近いある日、やけつくように熱い太陽の下で、この小鳥は木の枝に仰向けになり、両脚を上にさしあげて云った、「見よ、太陽がおっこちそうだ。だが、あたいが支えてみせよう」。するとその時、木の葉が1枚落ちてきた。その小鳥は恐れをなして叫んだ、「ああ、聖マルティヌス、あなたのちっちゃな鳥を、どうして守ってくださらないのか!」
ハロルドを捕らえたポンテュー地方の領主ガイ伯は、しかし、ギョーム公に脅迫されて、ハロルドを公の国境まで連行する(次図)。
ギョーム公は、ハロルドを伴って帰る途中、とある教会に立ち寄る(次図)。
1066年、エドワード懺悔王が嗣子なくして亡くなったので、遠戚のハロルドが王位に就く。これに対してギョームが王位継承権を主張し、イングランドを攻め、ヘイスティングスで決戦に及ぶが、その戦場に向かうハロルド(次下図)。
この周縁に描かれている「けっして宮廷的とはいえない」裸の男女の図が、バイユーのタピスリーを謎につつんでいる。
寓話の発展において、イギリスが果たした役割は周知のことである。アーサー王の伝説に織りこまれた宮廷文化のモデルは12世紀後半のイギリスにそのルーツを遡ることができるとともに、マリー・ド・フランスが文盲者たちによって語り継がれてきた数々の物語を洗練したフランス語に置き換えて『寓話』を著したのはヘンリー2世の宮廷においてであった。これまでは、ゴシック写本の周縁部の挿絵が、イギリスで独自につくりだされたと考えられてきたが、現在ではたしかだとは言いがたくなっている。とはいえ、アングロ・ノルマンの宮廷文化が、周縁部表現という新たな叙述の形式の誕生において果たした役割については議論の余地はない。14世紀の『オームズ ビー詩篇』や『ラットレル詩篇』にまで連綿と続く、イギリスの周縁部イメージ群の〈大いなる伝統〉をたどろうとするならば、まず手始めに、中世に制作されたあらゆる世俗物語表現の中でももっとも見事な周縁部を有し、布の中に広大な範囲にわたって叙事詩のごとくにえんえんと物語を繙いている、《バイユーのタピスリー》から始めるべきであろう。このタピスリーでは、周縁部に動物たちが表現され、中心部で展開する歴史的な事実についての注釈の役割を果たしているが、そのうちのいくつかは、後にマリー・ド・フランスによって彼女の『寓話』の中に転用されでいるのである。しかもデイヴィッド・バーンスタインが説得力を持って論じたように、これらの動物表現は、中心部でくりひろげられる歴史的行為について事実をまったく転倒してしまうような種類の注釈なのである[註1]。中には、反逆者ハロルドが捕らえられ、ノルマンディー公ギョームのもとに連れていかれる場面の周縁部のように、かなり大胆な表現もいくつかある。そこでは、右手で手綱を握り、左手首に鷹を載せた姿をした馬上のハロルドの下で、勃起した大きな一物を持つ男が、差恥に秘所を隠す女に向かって腕を開いている。お世辞にも宮廷的とは言いがたいこの裸体の男女は、ハロルドが手を染めようとしている恥ずべき反逆について、人々の注意を引こうというのだろうか。あるいは、女性の肉体とハロルドがおちいろうとしている罠との間に、何か類似関係があるというのだろうか。いずれにしても、この男女のひきつったようなぎこちない手足を縫いとった刺繍家は、非常に重要な事件の記録の周縁部を飾るモティーフのために、新たにデザインを考案したというよりも、すでに男性の美術家がつくりあげていた構図をそのまま使ったものと思われる。
このことはジェンダーに関わる重要な問題を提起することになる。しばしば見てきたように、周縁部には、公的な言説から排除されたものが表現される。ミニアチュール、象牙、タピスリー、彫刻においても、中心に据えられる宮廷のく公的>イメージでは、女性は宮廷風な愛の場面で求愛される貴婦人として雛壇に祀りあげられている。これに対して、周縁部では、一見女性たちは人形だのイコンだのといった受動的な役割を単に写しだすだけの存在から解放されているように思われるかもしれない。しかし、それもまたイリュージョンなのである。意識の逆転、お よび意識の解放は、権力を握る人々のためにのみ、つまり地位を維持し、変化を止めようと必死に抵抗しようとしている人々のためにのみ機能する。ヴィクター・ターナーの<リミナリティー(境界性)>という概念に異議を唱えるキャロライン.バイナムは、儀式における立場の逆転は、女性にとってはまず不可能であり、「女性は、男性の側にとってのみ十分に意識することができる」と論じている[註2]。フィリッフ・ヴェルディエが明らかにしてきたことだが、周縁部は中世の女性にとっては解放の場ではない[註3]。ほとんどの場合、男性によって、男性のためにつくられたイメージの場なのである。男性による武勲という終わりなきゲームの傍観者として周縁に女性を縛りつけたり、結婚という闘争の中で男性に立ち向かう者として女性たちを表したり、アリストテレスに馬乗りになる細君フィリスという当時人気のあった周縁的イメージの中で女性たちを優位に立たせたり、あるいは近づくどんな男たちをも誘惑する官能的なセイレーンに女性を見立てたりという具合に、中世の周縁美術において女性は明らかに根の深いミソロジー(女嫌い)の犠牲者であり、女たちは圧制的な男性優位の杜会的構図の縮図の中に封印されている。こうした女性への処遇は、聖書や詩篇、時祷書では予想できないことではない。カトリックの教義では、女性の肉体は邪なものであるのだから。ところが、宗教関係のものとはちがって、女性がより積極的な役割を果たしている(と、私たちが考えがちな)騎士道物語の周縁部でもまた、女は貶められているのである。ここでもまた、私たちが〈俗〉対〈聖〉と分けて考えがちな文化領域と空間とは、互いに重なりあっていたり、関連しあっていることを認めざるをえない。そればかりか、言説の周縁部は、結局のところ私たちの意識を常に支配的な中心部に引き戻す役割を果たすにすぎないと思い知らされるのである。周縁部でも所詮、女性たちは、農民や家臣、さらには他の抑圧された集団と同じく糞を食べるほかはない存在なのである。
(マイケル・カミール『周縁のイメージ 中世美術の境界領域 』p.156-158)
[註1]David Bernstein, The Mystery of the Bayeux Tapestry, Chicago, 1987, p.124-33
[註2]Caroline Walker Bynum, "Women's Stories Symbols: A Critique of Victor Tuner's Theory of Liminality", Anthropology and the Study of Religions, ed. R.L. Moore and F.E. Reynolds, Chicago, 1984.
[註3]Cf. Verdier, op. cit. ; V. Sekules, "Women in the English Art of the Fourteenth and Fifteenth Centuries", The Age of Chivalry: The Art of Plantagenet England, ed. J.J.G. Alexander and P. Binski, London, 1987.
ノルマンディ公ギョーム率 いる侵入軍は、センラックの丘の上で迎え撃つアングロサクソン軍に地勢的にも 兵力的にも劣っていた。ギョームはノルマン弓兵による得意の遠距離攻撃を大 楯に防がれ、重装騎兵による突撃も大斧で防がれ、死傷者が続出する。しかし勢 いに乗ったアングロ軍の一隊は丘を駆け下り、主力との連絡を欠いてしまう。苦境にあったギョームは騎兵の機動力にものを言わせ、別働隊を背後から強襲。 乱戦の中でアングロ軍指揮官(国王)ハロルドが戦死し、勝敗は決した。
バイユーのタピスリー下縁に描かれた累々たる屍体(下図)は、なまなましい衝撃力を持っている。
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