下28「鳩と狐の事」
ある時、うへ木に鳩巣をくふことありけり。しかるを、狐その下にあつて、鳩に申けるは、「御辺は何とてあぶなき所に子を育て給ふや。この所におかせ給へかし。雨風の障りもなし、穴にこそおくべきけれ」と云ければ、をろかなる者にて、誠かと心得て、その子を陸地に産みけり。しかるを、狐すみやかに餌食になしぬ。其時、かの鳩をどろひて、木の上に巣をかけけり。然るを、隣の鳩教へけるは、「さても御辺はつたなき人なり。今より以後、狐さやうに申さば、「汝この所へあがれ。あがる事かなはずは、まつたくわが子を果たすべからず」とのたまへ」といへば、「げにも」とていひければ、狐申けるは、「今よりして、御辺の上にさはがする事あるまじ。但、頼み申べき事あり。その異見をば、いづれの人より受けさせ給ふぞ」と申ければ、鳩つたなふして、しかじかの鳥と答ふ。
ある時、かの鳩に教へける鳥、下におりて餌食を食みける所に、狐近づきて云、「そもそも御辺、世にならびなきめでたき鳥なり。尋申たき事有。其故は、塒に宿り給ふ前後左右より烈しき風吹時は、いづくにおもてを隠させ給ふや」と申ければ、鳥答云、「左より風吹く時は、みぎのつばさにかへりをさし、右より風吹く時は、左のつばさにかへりをさし候。前より風吹く時は、うしろにかへりをさし候。うしろより風吹く時は、前にかへりをさし候」と申。狐申けるは、「あつぱれその事自由にし給ふにおゐては、誠に鳥の中の王たるべし。ただし、虚言や」と申ければ、かの鳥、「さらばしわざを見せん」とて、左右に頸をめぐらし、うしろをきつと見る時に、狐走りかかつて喰らい殺しぬ。
そのごとく、日々人に教化をなす程ならば、まづをのれが身をおさめよ。我身の事をばさしおきて、人の教化をせん事は、ゆめゆめあるべからず。
この話は、前段と後段とに分けられる。話の内容を類型的に示せば、以下のごとくである。
前段[I]鳥類Aが卵を/雛をBに食い殺されたので、復讐をしようとする〔この話の探究は、ウィリアムズ「メソポタミア寓話の文学史」に基づいて中務哲郎『イソップ寓話の世界』p.142ff. が祖述している。なお、『自然究理家(Physiologos)』第34話の註をも参照〕。
前段[II]単独で復讐すれば、話はそこで完結するが、本話は必ずCに相談をもちかける。Cの忠告は、復讐を思いとどまるよう戒めるか、知恵を授けるかである。
前段[III]Cの忠告に従って(あるいは無視して)、AはBに復讐する。この復讐が成功する場合(II_i)と、成功はするが、BとともにAもまた破滅する場合(II_ii)とに分けられる。
ここまではAが主人公であるが、
後段[IV]は、主人公がBに移り、Bが助言者Cに仕返しをする話に発展する。この場合も、Bの仕返しが成功する場合(IV_i)と、仕返しに失敗する場合(IV_ii)とに分けられる。
[I]は、『カリーラとディムナ』第9章の「王とクッバラ」がこれに該当するといえようか〔第9章は『マハーバーラタ』第12巻を出典とする〕。Cの助言によって復讐が成功し、めでたしめでたしとなる話は、『パンチャタントラ』第1巻6話「鴉の夫婦と黒い蛇とジャッカル」に見られ〔この話は、『カリーラとディムナ』第1章に「烏とコブラと山犬」として採録されている〕、BとともにAも破滅する話は、同20話「鷺と蛇と蟹と黄鼠」に見られる〔この話は、『カリーナとディムナ』第1章に「鵜とざりがにとコブラといたち」として採録されている〕。
この話を伝え聞いた西洋人たちは、復讐の問題よりも、騙しのテクニックと、それをやりこめる機転とに想像力をかきたてられたらしい。後段にさまざまな類話をつくりあげていった。アデマール写本〔10-11世紀〕30話「狐とシャコ(perdix)」では、木の切り株にとまっていたシャコを狐がほめ、「眼を閉じたならば、もっと美しく見えるだろう」とそそのかされ、そのとおりにして狐につかまる〔左図はアデマール写本の挿絵。シャコが眼を閉じているのがわかる〕。しかしシャコは、自分を食う前に自分の名前のシャコ(perdix)と一度言ってみてくれと頼み、狐がその名を呼んだ時、シャコは狐の口から逃れる〔シャコ(perdix)は猟師を巧みに欺くと信じられており、欺き上手の騙しあいがこの話のモチーフとなっている〕。
マリー・ド・フランスの寓話集第60話「雄鳥と狐」では、雄鳥がやはり眼を閉じて歌うようにそそのかされ〔『伊曽保物語』下3「狐と庭鳥の事」も同じ〕、続く第61話「狐と鳩」では、獣と鳥類との間に和平の勅令が出たから仲良くしようと、狐が今度は鳩に申し出る〔『伊曽保物語』中35「庭鳥と狐との事」も同じ〕が、いずれも狐のたくらみは失敗している。
これら数々の類話は、動物叙事詩の大きな流れ あの「狐物語」の挿話として収斂してゆき、また、そこから、ひとつひとつの挿話が個別の寓話として独立してゆくのである。
[参考図書]伊藤勉『動物叙事詩研究序説 ラインケ狐を中心として 』(山口書店、昭和19年3月)