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back.gif第12章 東方系イソップ寓話


インターネットで蝉を追う

第13章

伊曽保物語






 日本におけるイソップ寓話の翻訳は、文禄2年(1593年)、天草のイエズス会の学校(コレジオ)から出版されたローマ字本と、出版年代ははっきりしない(慶長元和頃と言われている)が古活字本との二系統があるが、共通の翻訳祖本があったろうと推定されている。そして、この翻訳祖本の欧文原本は、シュタインヘーヴェル集成本の異本の一つであろうとされ(小堀桂一郎)、これがほぼ定説となっているようである。しかし、ローマ字本/国字本の内容と過不足なく対応するシュタインヘーヴェル集成本(ないしその異本)は、今のところまだ発見されていない。

 国字本『伊曽保物語』と、シュタインヘーヴェル集成本(復元版)とを比べてみると、シュタインヘーヴェル集成本になくて『伊曽保物語』にある話は、イソップ伝に2話(「中間とさぶらひと馬をあらそふ事」「伊曽保人に請ぜらるる事」)、寓話集に4話(下17「鼠の談合の事」下28「鳩と狐の事」下30「人の心のさだまらぬ事」下34「出家と盗人の事」)ある。この一つひとつについて、もう少し詳しくみてゆこう〔出典は、岩波大系本〕。 —
 〔下13「獅子王と驢馬の事」は、シュタインヘーヴェル集成本74「驢馬と狼」と同じである。シュタインヘーヴェルの狼が獅子になっている点、注目される〕。

  • イソップ伝中(上14)「中間とさぶらひと馬をあらそふ事」
     ある中間、主人の馬に乗りて、はるかの余所へおもむく所に、さぶらひ一人行あひ、則怒つて云、「我侍の身としてかちにて行くに、汝は人の所従なり。その馬よりおりて、我を乗せよ。しからずは、細首斬つて捨てん」といふ。中間心に思ふやう、「此途中にて訴うべき人なし。とかく難渋せば、頭を刎ねられん事疑ひなし」。是非にをよばず、馬よりおりけり。侍わが物顔にうち乗て、かれを召つれ行くほどに、さんといふ所に難なく着きける。中間そこにてののしるやう、「わが主人の馬なり。返し給へ」と云。侍馬に乗りながら、「狼藉なり。二たび其声ののしるにおゐては、運気を刎ねん」といひければ、中間いんともせずして、その所の守護識に行きて、この由を訴う。

     去によつて、守護より武士をつかはし、かの侍を召し具しけり。かれとこれとあらそう所決しがたし。守護に理非を分けかねて、伊曽保を呼びて検断せしむ。いそ保これを聞きて、まづ中間を語らうてひそかに云、「かのさぶらひ糾明せん時、汝はあはてて物いふ事なかれ」といましめらる。中間謹んでかしこまる時に、伊曽保のはかり事に、うはぎを脱いでかの馬のつらに投げかけ、さぶらひに問ひけるは、「此馬のまなこ、いづれかつぶれけるか」と問。侍返事に堪へかねて、思案する事千万なり。思ひわびて、「左の目こそつぶれたる」と申。其時うはぎを引きのけて見れば、両眼誠にあきらかなり。これによつて、馬をば中間にあたへ、かのさぶらひをば恥ぢしめて、時の是非をば分けられけり。

     どこにでもありそうな話だが、出所不明。


  • イソップ伝中(中7)「伊曽保人に請ぜらるる事」
     えしつの都にやんごとなき学匠ありけり。顔かたち見ぐるしき事、いそほにまさりてみにくく侍れど、をのれが身の上は知らず、いそほが姿の悪しきを見て笑ひなんどす。

     ある時、わざと金銀綾羅をもつて座敷を飾り、玉を磨きたるごとくにして、山海の珍物を調へ、いそほをなん請じける。伊曽保この座敷のいみじきありさまを見ていはく、「かほどにすぐれて見事なる座敷、世にあらじ」と讃めて、なにとか思ひけん、かの主のそばへつつと寄り、顔と唾を吐きかけけるに、主怒つて云、「こはいかなる事ぞ」と咎めければ、いそ保答云、「我この程心地悪しきことあり。然に、唾を吐かんとてここかしこを見れ共、誠に美々しく飾られける座敷なれば、いづくにおゐても、御辺の顔にまさりてきたなき所なければ、かく唾を吐き侍る」といへば、主答へて、「さてもかのいそ保にまさりて才智利性の人あらじ」と笑ひ語りけり。

     ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』第2巻8章(75)に、アリスティッポスの逸話として伝わる有名な話である。
     ペリーによれば、中東経由でオドー・ド・シェリトンの寓話集〔13世紀〕に入っているという(Perry 634)。Hervieux版(IV, p.304)。


  • 下17「鼠の談合の事」
     ある時、鼠老若男女相集まりて僉議しけるは、「いつもかの猫といふいたづら者にほろぼさるる時、千たび悔やめども、その益なし。かの猫、声をたつるか、しからずは足音高くなどせば、かねて用心すべけれども、ひそかに近づきたる程に、油断して取らるるのみなり。いかがはせん」といひければ、故老の鼠進み出でて申しけるは、「詮ずる所、猫の首に鈴を付てをき侍らば、やすく知なん」といふ。皆々、「もつとも」と同心しける。「然らば、このうちより誰出てか、猫の首に鈴を付け給はんや」といふに、上臈鼠より下鼠に至るまで、「我付けん」と云者なし。是によて、そのたびの議定事終らで退散しぬ。

     其ごとく、ひとのけなげだてをいふも、只畳の上の広言也。戦場にむかへば、つねに兵といふ物も震ひわななくとぞ見えける。しからずは、なんぞすみやかに敵国をほろぼさざる。腰抜けのゐばからひ、たたみ太鼓に手拍子とも、これらの事をや申侍べき。

     ボナーの『宝石Edelstein)』(第60話)に見え、その前は、やはりオドー・ド・シェリトンの寓話集(54a)に見える(ということは、カトリック教会にとって、これは説教用素材として、重用されていたということになろう)。
     さらにさかのぼれば、アラビア語の『カリーラとディムナ』のアヤ・ソフィヤ写本(「ねずみの王ミフラーヤズ」)に入っている。『カリーラとディムナ』はパンチャタントラを中心とした訳書だが、パンチャタントラには見あたらない。最も古くから猫を飼い慣らしたのはペルシア人だから、あるいはペルシア起源の寓話か?


  • 下28「鳩と狐の事」
     ある時、うへ木に鳩巣をくふことありけり。しかるを、狐その下にあつて、鳩に申けるは、「御辺は何とてあぶなき所に子を育て給ふや。この所におかせ給へかし。雨風の障りもなし、穴にこそおくべきけれ」と云ければ、をろかなる者にて、誠かと心得て、その子を陸地に産みけり。しかるを、狐すみやかに餌食になしぬ。其時、かの鳩をどろひて、木の上に巣をかけけり。然るを、隣の鳩教へけるは、「さても御辺はつたなき人なり。今より以後、狐さやうに申さば、「汝この所へあがれ。あがる事かなはずは、まつたくわが子を果たすべからず」とのたまへ」といへば、「げにも」とていひければ、狐申けるは、「今よりして、御辺の上にさはがする事あるまじ。但、頼み申べき事あり。その異見をば、いづれの人より受けさせ給ふぞ」と申ければ、鳩つたなふして、しかじかの鳥と答ふ。

     ある時、かの鳩に教へける鳥、下におりて餌食を食みける所に、狐近づきて云、「そもそも御辺、世にならびなきめでたき鳥なり。尋申たき事有。其故は、塒に宿り給ふ前後左右より烈しき風吹時は、いづくにおもてを隠させ給ふや」と申ければ、鳥答云、「左より風吹く時は、みぎのつばさにかへりをさし、右より風吹く時は、左のつばさにかへりをさし候。前より風吹く時は、うしろにかへりをさし候。うしろより風吹く時は、前にかへりをさし候」と申。狐申けるは、「あつぱれその事自由にし給ふにおゐては、誠に鳥の中の王たるべし。ただし、虚言や」と申ければ、かの鳥、「さらばしわざを見せん」とて、左右に頸をめぐらし、うしろをきつと見る時に、狐走りかかつて喰らい殺しぬ。

     そのごとく、日々人に教化をなす程ならば、まづをのれが身をおさめよ。我身の事をばさしおきて、人の教化をせん事は、ゆめゆめあるべからず。

     この話は、前段と後段とに分けられる。話の内容を類型的に示せば、以下のごとくである。 —
      前段[I]鳥類Aが卵を/雛をBに食い殺されたので、復讐をしようとする〔この話の探究は、ウィリアムズ「メソポタミア寓話の文学史」に基づいて中務哲郎『イソップ寓話の世界』p.142ff. が祖述している。なお、point.gif『自然究理家(Physiologos)』第34話の註をも参照〕。
      前段[II]単独で復讐すれば、話はそこで完結するが、本話は必ずCに相談をもちかける。Cの忠告は、復讐を思いとどまるよう戒めるか、知恵を授けるかである。
     前段[III]Cの忠告に従って(あるいは無視して)、AはBに復讐する。この復讐が成功する場合(II_i)と、成功はするが、BとともにAもまた破滅する場合(II_ii)とに分けられる。

     ここまではAが主人公であるが、
     後段[IV]は、主人公がBに移り、Bが助言者Cに仕返しをする話に発展する。この場合も、Bの仕返しが成功する場合(IV_i)と、仕返しに失敗する場合(IV_ii)とに分けられる。

     [I]は、『カリーラとディムナ』第9章の「王とクッバラ」がこれに該当するといえようか〔第9章は『マハーバーラタ』第12巻を出典とする〕。Cの助言によって復讐が成功し、めでたしめでたしとなる話は、『パンチャタントラ』第1巻6話「鴉の夫婦と黒い蛇とジャッカル」に見られ〔この話は、『カリーラとディムナ』第1章に「烏とコブラと山犬」として採録されている〕、BとともにAも破滅する話は、同20話「鷺と蛇と蟹と黄鼠」に見られる〔この話は、『カリーナとディムナ』第1章に「鵜とざりがにとコブラといたち」として採録されている〕。

    ademar30.jpg この話を伝え聞いた西洋人たちは、復讐の問題よりも、騙しのテクニックと、それをやりこめる機転とに想像力をかきたてられたらしい。後段にさまざまな類話をつくりあげていった。アデマール写本〔10-11世紀〕30話「狐とシャコ(perdix)」では、木の切り株にとまっていたシャコを狐がほめ、「眼を閉じたならば、もっと美しく見えるだろう」とそそのかされ、そのとおりにして狐につかまる〔左図はアデマール写本の挿絵。シャコが眼を閉じているのがわかる〕。しかしシャコは、自分を食う前に自分の名前のシャコ(perdix)と一度言ってみてくれと頼み、狐がその名を呼んだ時、シャコは狐の口から逃れる〔シャコ(perdix)は猟師を巧みに欺くと信じられており、欺き上手の騙しあいがこの話のモチーフとなっている〕。

     マリー・ド・フランスの寓話集第60話「雄鳥と狐」では、雄鳥がやはり眼を閉じて歌うようにそそのかされ〔『伊曽保物語』下3「狐と庭鳥の事」も同じ〕、続く第61話「狐と鳩」では、獣と鳥類との間に和平の勅令が出たから仲良くしようと、狐が今度は鳩に申し出る〔『伊曽保物語』中35「庭鳥と狐との事」も同じ〕が、いずれも狐のたくらみは失敗している。

     これら数々の類話は、動物叙事詩の大きな流れ — あの「狐物語」の挿話として収斂してゆき、また、そこから、ひとつひとつの挿話が個別の寓話として独立してゆくのである。
     [参考図書]伊藤勉『動物叙事詩研究序説 — ラインケ狐を中心として — 』(山口書店、昭和19年3月)


  • 下30「人の心のさだまらぬ事」
     ある翁、市に出て馬を売らんと思ひ、親子つれてぞ出たりける。馬をさきに立てて、親子跡に苦しげに歩むほどに、道行人これを見て、「あなおかしの翁のしわざや。馬を持ちては乗らんがため也。馬をさきに立てて、主はあとに歩む事は、餓鬼の目に水の見えぬといふも此事にや」といひて通りければ、翁、げにもとや思ひけん、「若き者なれば、くたびれやする」とて、わが子を乗せて、我はあとにぞつきにける。

     又人これを見て、「是なる人を見れば、さかん成物は馬に乗りて、翁はかちより行く」とて笑ければ、又子をおろして翁乗りぬ。又申けるは、「これなる人を見れば、親子と見えけるが、あとなる子はもつての外くたびれたるありさまなり。かかるたくましき馬に乗りながら、親子一つに乗りもせで、くたびれけるはをかしさよ」といひければ、げにもとて、わが子を尻馬に乗せけり。

     かくて行くほどに、馬やうやくくたびれければ、又人の申けるは、「是なる馬を見れば、ふたり乗りけるによて、ことの外くたびれたり。乗りて行かんよりは、四つ足を一つに結ひ集め、二人して荷ふてこそよかんめれ」といひければ、げにもとて、親子して荷ふ。又人の申けるは、「重き馬を荷はんよりは、皮を剥ゐで軽々と持つて売れかし」といへば、げにもとて、皮を剥がせて、肩にかけて行程に、道すがら蠅共取り付ゐて目口もあかず。市の人々是を笑ひければ、翁腹立て、皮を捨ててぞ帰りける。

     其ごとく、一度かなたこなたと移る者は、翁がしわざにことならず。心軽き者は、つねにしづかなる事なしと見えたり。軽々しく人のことを信じて、みだりに移る事なかれ。但、よき道には、いくたびも移りてあやまりなし。事ごとによければとて、胡乱に見ゆる事なかれ。たしかに慎め。

     この話は、「ポッヂォの笑話に出、ラ・フォンテーヌに採り入れられた有名な話である。これらは筆者が対校に用ゐたシュトゥットガルト文芸協会版のシュタインヘーヴェル本に欠けてゐるといふまでのことであつて、「原・伊曽保物語」の翻訳底本となつた*その*ラテン本シュタインヘーヴェル集には採られてゐたのだ、と見るべきである」(小堀桂一郎「『伊曽保物語』原本考」(上)p.147)


  • 下34「出家と盗人の事」
     ある法師、道を行ける所に、盗人一人行きむかつて、かの僧を頼みけるは、「見奉れば、やんごとなき御出家也。われならびなき悪人なれば、願はくは、御祈りをもつてわが悪心を翻し、善人となり候やうに祈誓し給へかし」と申ければ、「それこそ我身にいとやすき事なれ」と領掌せられぬ。かの盗人も返す返す頼みて、そこを去りぬ。

     其後はるかに程経て、かの僧と盗人と行きあひけり。盗人、僧の袖を控へて、怒つて申けるは、「われ御辺を頼むといへども、その甲斐なし。祈誓し給はずや」と申ければ、僧答云、「我其日より片時のいとまもなく、御辺の事をこそ祈り候へ」とのたまへば、盗人申けるは、「おことは出家の身として、虚言をのたまふ物かな。その日より悪念のみこそおこり候へ」と申ければ、僧の謀に、「俄に喉かはきてせんかたなし」とのたまへば、盗人申けるは、「これに井どの侍るぞや。我上より縄を付て、その底へ入奉るべし。飽くまで水飲み給ひて、あがりたくおぼしめし候はば、引き上げ奉らん」と契約して、件の井どへおし入けり。かの僧、水を飲んで、「上給へ」とのたまふ時、盗人力を出してえいやと引けども、いささかもあがらず。いかなればとて、さしうつぶして見れば、何しかはあがるべき、かの僧、そばなる石にしがみつきておる程に、盗人怒つて申けるは、「さても御辺はをろかなる人かな。その儀にては、いかが祈祷も験有べきや。其石放し給へ。やすく引き上奉らん」と云。僧、盗人に申けるは、「さればこそ、われ御辺の祈念を致すも、此ごとく候ぞよ。いかに祈りをなすといへ共、まづ御身の悪念の石を離れ給はず候程に、鉄の縄にて引上る程の祈りをすればとて、兼の縄を切るる共、御辺のごとく強き悪念は、善人に成がたふ候」と申されければ、盗人うちうなづゐて、かの僧を引上奉り、足下にひれ臥て、「げにもかな」とて、それより元結切り、則僧の弟子となりて、やんごとなき善人とぞなりにけり。

     此経を見ん人は、たしかに是を思へ。ゆるかせにする事なかれ。

     『伊曽保物語』全巻の最後を飾るこの感動的な話と似た話が、やはりオドー・ド・シェリトンの寓話集(36a)に見える。

 このように見てくると、小堀桂一郎以来、『伊曽保物語』の原典としてシュタインヘーヴェル集成本のみに注意がいっているようだが、オドー・ド・シェリトンの流れを追ってみる必要があろう。
forward.GIF第13章 補説/Odo of Cheriton寓話集
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