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Isocrates



一揃いの競走馬について(1/5)

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The Ancient Greek Worldによる




[1]
 さて、一揃いの競走馬については、父が〔これを〕取得したのは、テイシアスから奪ってではなく、アルゴス人たちの国から買い取ってだということは、かしこからやってきている使節団、および、その他事情を知っている証人たちから、あなたがたがお聞きになったとおりである。しかるに、私を誣告するのは、誰しもがいつも同じやり方なのである。

[2]
 すなわち、私的な訴えのために私訴権を引き当てながら、告発は国事に関してなし、しかも、宣誓供述した事柄について説明するときよりは、もっと長い時間を、私の父を中傷することで暇つぶしし、法習を蔑ろにすること、あたかも、あなたがたが父に不正されたと称されている事柄、――これの償いを、自分たちが私から受けることを要求するほどなのである。

[3]
 私の考えるところでは、私的な争訟に公共の罪状の当てはまるところはない。しかるにテイシアスは父の亡命について私を非難攻撃することしばしばで、自分の事よりもむしろあなたがたの事のために熱心なのだから、これについて弁明をなさざるを得ないのである。というのも、わたし自身の危難ほどには父の名声を気にしていないかのように同市民たちの誰かに思われるなら、私は恥とするからである。

[4]
 ところで、年長者たちにとっては、短い言葉で充分であろう。民主制が解体させられたのも、父が国から放逐されたのも、同じ連中のせいであることは、誰しも周知の事実だからである。だが若年者たちのために、彼らが成人したのは事件の後であり、仲違いについては何度も聞かされてきたのだから、はるか以前から説明を始めることにしよう。

[5]
 すなわち、最初に民衆に対して策謀し、「四百人」体制を樹立した〔411年〕連中は、父が呼びかけられても連中の仲間になることを拒んだので、父が自分たちの活動に対しても強力であり、大衆に対しても忠実であるのを見て、父が自分たちにとって邪魔にならないようになるまでは、制定されたことを何も実現することはできないと考えた。

[6]
 そして、国家が最も激しく怒るのは、神々に関する事柄については、秘儀に関して過ちを犯す者がいることが判明する場合であり、その他の事柄では、民主制解体を敢行する者がいる場合だと知って、それら両方の罪状をでっち上げ、評議会に弾劾裁判を起こし、父が革命を目的に結社を糾合し、この人たちがプリュティオンの屋敷でいっしょに食事したときに秘儀を執り行ったと言ったのである〔アンドキデス、第1弁論「秘儀について」〕。

[7]
 そこで罪状の大きさに国が沸き立ち、さっそく民会が召集されたときに、〔父は〕連中が虚言していることをあまりに明晰に証明して見せたために、民会は告発者たちにこそ償いをさせられたら喜んだほどであり、父の方はシケリア遠征〔415-413年〕の将軍に挙手採決したほどであった。その後、父は中傷からすでに解放されたと考えて出航したが、連中は評議会を結集し、提案者たちを自分たちの側に引き入れて、再び事件を蒸し返して密告者たちを送り込んだのである。

[8]
 いったい、長広舌をふるう必要がどこにあろうか? 連中はとどまるところを知らず、ついには父を軍陣から呼び戻そうとしたばかりか、彼の友たちのうちある人たちを処刑し、ある人たちを国から追い出したのである。そこで、仇敵たちの権力と親友たちの災禍を聞き知って、自分が出席しても連中は裁判を受けさせず、欠席しても有罪判決を下すのだから恐ろしい目に遭うと考えたが、それでも敵国人たちのもとに逃げ込むことをいさぎよしとしなかったからである。

[9]
 むしろ、父は亡命中も国に対して過ちを犯さないようにとの配慮から、アルゴスに赴いておとなしくしていたほどだが、連中は暴慢にも、あなたがたを説得して、父をヘラス全土から放逐し、標柱に名を書き上げ、アルゴス人たちのもとに使節団を派遣して、引き渡し要求させようとするほどであった。そこで、身にふりかかった害悪をどうしたらよいか行き詰まり、ありとあらゆるところから閉め出されて、他に何一つ自分に救いのないことが判明したので、最終的にラケダイモン人たちのもとに庇護を求めざるを得なかったのである。

[10]
 じっさい、起こった事は以上のとおりである。だが仇敵たちは暴慢に満たされたあまりに、かくも無法に放逐された父を、あたかも恐るべき事をしでかした者のごとくにこれを告発し、中傷せんと企てて、デケレイアを要塞化し、島嶼を離反させ、敵国人たちの教師となった、というのである。

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