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群小ソフィストの正義論



Kritias断片集

(3/3)





B.著作断片集(2/2)


《散文的断片集》

〈『アテナイ人たちの国制』〉

30.[おそらくB 53-73がここに属する]


『テッタリア人たちの国制』

31.アテナイオス『食卓の賢人たち』XIV 662F
 「しかし、テッタリア人たちは、衣裳や暮らしぶりに関して、ヘラス人たちの中で最も贅沢な者たちであるということは同意されている。これこそが、彼らがヘラスの地にペルシア人たちを引き入れた動機であって、彼らは連中の華美と贅沢を求めたのである」。彼らの贅沢さについては、クリティアスも『テッタリア人たちの国制』の中に記している。


『ラケダイモン人たちの国制』

32.アレクサンドリアのクレメンス『雑録』VI 9[II 428,St.]
 また、エウリピデスが、「父母の代より厳格なる暮らしぶりを修得せるは、生まれ善ろしき人たちなり」[断片525、4〜5]と詩作したとき、クリティアスは書いている。
 「もちろん、私は人間の誕生から始めたい。いかなる場合に、身体において最善にして最強の人たちが生まれるのか? それは、生みの親が体育訓練し、旺盛に食し、身体を鍛錬し、また、生まれ来る子の母親の方も、身体において強健にして、体育訓練をする場合である」。


33.アテナイオス『食卓の賢人たち』XI 463E
 飲酒には国ごとに独特の仕方があるとは、クリティアスが『ラケダイモン人たちの国制』の中で次のように述べているとおりである。
 「キオス人とタソス人とは、大きな酒盃(kylix)で右回りに、アッティカ人は小さな酒盃(kylix)で右回りに、テッタリア人は碗(poma)で、自分の望む相手のために乾杯する。これに対してラケダイモン人たちは、各自が自分のところの盃で飲み、飲み干した分だけを、酒つぎの僕童が〈注ぎ足す〉」。


34.アテナイオス『食卓の賢人たち』XI 483B
 またクリティアスは『ラケダイモン人たちの国制』の中で次のように書いている。
 「これとは別に、暮らしのためのごく細々したものとして、履き物はラコニア地方のが最善であり、衣服も〔ラコニア地方のが〕身につけるに快適至極にして便利至極である。ラコニア地方の飲用容器 (kothon)は出征用の必需品であって、背嚢に入れて最も運びやすい。何故それが出征用なのか、説明しよう。兵士にとっては、しばしば清浄ならざる水を飲まざるを得ない。そこで、先ず第一に、飲み水があまりはっきりとは見えないということ。第二に、この飲用容器は縁(ambones)を有しているので、清浄ならざる部分はその内側に取り残されるからである。」

プルタルコス「リュクルゴス伝」9,7
 だからこそ、道具類の中でも手回りの必需品、つまり寝床とか腰掛けとか卓とか、こういったものは、彼ら〔ラケダイモン人たち〕のところで製作されているのが最善であり、ラコニア地方の飲用容器(kothon)すなわち水飲み碗(ekpoma)も遠征用として最も評判が高いとは、クリティアスの主張のとおりである。なぜなら、やむを得ず飲む飲み水の、見た目に辟易するのが、〔容器の〕色で隠され、泥も内側にぶつかって縁(ambones)に付着するので、飲み水は比較的清浄なのが口にできるからである。

ポルクス『辞林』VI 97
 ラコニア地方の飲用容器(kothon)[すなわち水飲み碗(ekpoma)]。容器の周縁の突端は、土鍋(chytra)のそれのように縁(ambones)と呼ばれている。 ポティオス『辞林』の kothon 参照。


35.アテナイオス『食卓の賢人たち』XI 486E
 またクリティアスは『ラケダイモン人たちの国制』の中で〔書いている〕。「〔ラコニア地方の道具類が匹敵するのは〕ミレトス製寝床とミレトス製腰掛け、キオス製寝床とレナイア製卓である」。

ハルポクラティオン 「リュキア製の」(ディデュモスの引用に続けて)。
 どうやら、この文法家は知らなかったらしい、――このような成句が個人名から発生するのを見出し得る人はおらず、むしろ、国や習慣〔の違い〕から生ずるのだということを。「ミレトス製寝床」とクリティアスは『ラケダイモン人たちの国制』の中で述べている。


36.エウスタティオス『オデュッセイア』第8巻376行への注解 p.1601,25[スエトニウス『遊びについて』からか?]
 こういう遊びは古来の習慣であり、ラケダイモン人たちの競技である球技(sphairomachia)は土地柄であった、と人々は主張する、……とりわけその特徴とするのは、舞踏の種類、つまり、球を使っての遊びだということであったと、次のように書いた人も明らかにしている。はさみ踊り(thepmaustris)とは両足を使った激しい舞踏である、と。とにかくクリティアスは次のように主張している。「高く跳びあがり、着地する前に、両足を交互に動かせる、これこそがはさみ踊りといわれるものであった。」
アテナイオス『食卓の賢人たち』XIV 629D 参照


37.リバニオス『弁論集』25
[63]
 ラケダイモン人たちはヘイロテスたちの殺害を公認する道を自分たちに開いていたが、これについてはクリティアスが主張しているとおり、ラケダイモンでは奴隷たちと自由人たちとはきわめて厳重に〔区別されていた〕。クリティアス本人が主張する以外の何ものでもないが、これらヘイロテスたちに対する不信ゆえに、スパルタ人は家にある盾の握り紐を取り外している。戦場ではしばしば敏速さを必要とするから、こんなことはできないけれども、〔スパルタ人は〕いつも槍を持って巡回し、〔ヘイロテスたちが〕盾ひとつ持って革命を起こしても、その仕方ではヘイロテスたちに勝てると思っているふうである。さらに、錠前をも工夫し、錠前の方が連中の策謀よりも強力だと考えているのである。
[64]
 これこそは、彼らが不安と同居しているのみならず、希望の内にひそむ恐怖のために息つくことさえままならぬ証拠である。したがって、朝食の時も、眠るときも、何か他のことに取りかかるときも、家人たちに対する恐怖のために武装する、こんな者たちが、おお、カライクレスの子よ、どうして純粋の自由を享受し得ようか、――ポセイドンといっしょに奴隷たちに襲撃され、同じような好機が来れば、同じような目に遭わされるという見本を示されている者たちに。ともあれ、彼らの王たちが監督官たちに対して決して自由でなかった(王を投獄することも殺害することも認められていたのだから)ように、総じてスパルタ人たちは自由を奪われていたのである。家人たちのもとにいる敵といっしょに生活しているのだから。
 さらにB60 参照。


〈『(国名不明の)国制論』〉

38.ポルクス『辞林』VII 59
 ズボン(anaxurides)のことはskeleaiとも呼ばれている。この名称はやはりクリティアスの手になる『国制論』の中に出てくる。


『箴言集』(第1巻、第2巻〉

39.ガレーノス『ヒッポクラテス「診療所内において」注解』I 1
 (視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚、そして認識力とによって知覚されうる対象)18巻 B 654 Kuhn編
 知覚(aisthesis)についてのこのような説明法こそが、表象されるもの〔すなわち、知覚〕についてのストア派的説明法である。だからまた、キュイントスの弟子アイピキアノスも、ストア派哲学を歓迎していたので、この説明法を認めた……

655,7
 すなわち、「認識(gnome)」に対する「知覚」という用語に対して、ヒッポクラテスが援用されていると彼は主張している……

652,2
 さらに、「認識」という名称についても言及し、昔は「理性(noos)」とか「悟性(dianoia)」とか――ただし「思索(ennnoesis)」とは違う――言われていたと言っている。そこで、これには多くの証拠があるが、そのうちわずかを例証しよう。クリティアスは、『箴言集』第1巻の中に、次のことを書いている。「対象は、その他の身体部位によってのみ知覚されるわけではなく、また、認識力によってのみ認識されるわけでもない」。
 さらにまた〔次のようにも〕。「人間たちが認識するのは、通常、認識力が健全な場合である」と。


『講義』(第1巻、第2巻〉

40.ガレーノス 同上[B39に続けて]
 また『講義』の第1巻で、「認識力が充分なようにあなた自身が鍛錬したなら、それら〔知覚対象〕によってかくのごとくに不正されることは決してなかったであろう」と、また本書においてと同様、『講義』の第2巻においても、知覚機能と認識力とを区別して、しばしばアンティポンと同様に述べていた。


41.ヘロディアノス『言葉の特異な使い方について』p.40,14
 クリティアスの作品『講義』における「直截性(orsotes)とは衝動(horme)の間違いである。


41a.プラトン『カルミデス』161B
 というのは、たったいま私は思い出したのですよ。かつて誰かがこう言うのを聞いたことがあるのを。つまり、慎み(sophrosyne)とは自分のことを為す(ta heautou prattein)ことだ、と。(162A参照)。


『恋あるいは諸徳の本質について』

42.ガレーノス『ヒッポクラテス「術語集」』XIX 94 Kuhn編 (ヒッポクラテス『流行病について』III 17,11[III 134 L.編]の陰鬱症の女性に関説して)
 陰鬱症:クリティアスは『恋あるいは諸徳の本質について』の中で、この名辞を次のように説明している。「これに対して陰気な人とは、些細なことでもくよくよし、まして大きなことでは、その他の人たちよりも深く、あるいは、長時間〔くよくよする〕人のことである。 B48 参照。


『民会演説のための序』

43.ヘルモゲネス『弁論形態論』Rabe編、B401,25[A 15を見よ]


〈出典不詳散文より〉

44.アイリアノス『ギリシア奇談集』X 13
 クリティアスは、アルキロコスが自分で自分のことを口を極めて悪口していると言って非難している。「なぜなら」と彼は主張する、「やつが自分について次のような世評をヘラス人たちの間に広めさえしなければ、私たちは聞き知ることはありえなかったであろう――彼が女奴隷エニポの息子だったということも、貧乏と窮乏とが原因でパロスを見捨ててタッソスへ赴いたということも、そこに到着するや、その地の人たちに対して敵対者となったということも、まして、友たちのことも敵たちのことも等しく悪口するを常としたなどということも。かてて加えて」と彼は言った、「やつが姦夫であったということも、やつから学び知らないかぎりは、私たちは知り得なかったであろうし、好色漢(lagnos)にして暴慢者(hybristes)であったということも、いや、それらのこと以上に最も恥ずべきことだが、盾を放棄したということも〔私たちは知り得なかったであろう〕。要するに、アルキロコスは自分自身にとって善き証言者ではなかったのである。自分自身に対してこのような評判や、このような噂を後に残したのだから」。以上の点でアルキロコスを非難するのは、私ではなくて、クリティアスである。


45.アイリアノス『ギリシア奇談集』X 17
 クリティアスは言う、――ネオクレスの子テミストクレスは、為政に携わり始めるまでは、手持ちの家産として3タラントンしか持っていなかった。しかるに、国家公共事の指導者となり、次いで亡命して自分の家産を没収されたとき、100タラントン以上の家産を所有していることが判明した。同様にまたクレオンも、国家公共事に参画する前は、自分のものも自由にならなかったにもかかわらず、50タラントンを家に残したのである、と。


46.アリスティデス『弁論集』II 15 Schm.編 [クセノポン『饗宴』の冒頭「しかし私に思われるところでは」について]
 彼のこの言葉が、「しかし私に思われるところでは」というような言明的な言い回しで始まっていたなら、この言葉はもっと堅実なものになりえていたであろうし、こういった人たちの誰かの作というよりは、むしろクリティアスの作と思われたことであろう。


47.アリスティデス『弁論集』II 50 [クセノポン『饗宴』1,4[「例えば、将軍たちや騎兵指揮官たちや政治家志望者たちというような、むしろこういう人たちに」について]
 もしもあなたが、逆の意味に解釈して、「権力の点でも、名誉の点でも、それに類した能力の点でも、その他の人たちをはるかに凌駕しているとみなす相手、――このような人たちを選出するような連中は、正しく行っているようには私には思えない」というふうに言ったなら、こういう論法は昔のソフィストたちの誰かのものと言うよりも、むしろクリティアスのものと思われたことであろう。


48.ディオン・クリュソストモス『弁論集』21,3[II 267 Arn.]
 それとも、あなたは知らないのか?――「三十人」のひとりクリティアスが、男たちの中で最美の姿は女たちの姿であるが、しかし逆に女たちの中では正反対であると主張したということを。そうすると、アテナイ人たちが、父祖伝来の法習を書き直すために、彼を立法者に選んだのは義しかったことになる。彼はそれらの何一つも残さなかったのだから。A4 参照。


49.偽ディオニュシオス『弁論術』6II 277,10 Us.-Rad.
 すなわち、カライスクロスの子で「三十人」の一人によれば、生まれ来たった人間にとっては、「生まれきた以上は死んでゆかねばならず、生きているかぎりは、応報から逃れることをえないということ以外に、確実なことは何もない……」。


50.ピロストラトス『ソフィスト伝』序 p.1,9 クリティアス。
 つまりは、わたしの知っているところでは、ソフィストのクリティアスも、父祖の代から〔言及することは〕なかったが、ホメロスだけはその父親とあわせて言及している。ホメロスの父親は河であったという驚くべきことを明らかにしようとしているのだから。


51.プラヌデス『ヘルモゲネス注解』V 484 Walz編
 例えば「ピュティア祭の競技で(to agon pythion)」という表現で。これでは一般的で平凡であるが、クリティアスは〔語順を〕逆転させて言った。「ピュティア祭競技で(to pythion agon)」と。


52.プルタルコス「キモン伝」16
 だが、エピアルテスが、アテナイ人たちに敵対する国家を援助することはもちろん、復興することも妨害し反証し、そのままにしてスパルタの慢心を挫くべしと主張したとき、クリティアスの言うには、キモンは祖国の優勢をラケダイモン人たちの利益よりも後に置いて、多くの重装歩兵とともに救援に出向くよう民衆を説き伏せた、とクリティアスは主張している。


53.ポルクス『辞林』II 58
 探査する(diopteuein)〔という語〕をクリティアスとアンティポンとが〔使っている〕。


54.同 122
 クリティアスの作品では、弁論家(rhetor)は話し手(logeus)でもある。


55.同 148
 手の早いこと(tachycheir)、これはクリティアス〔の用法〕による。

56.同 III 116  また、クリティアス〔の用法〕によれば、あさましさ(rhyparia)。


57.同 IV 64
 クリティアスはキタラのための讃歌を歌曲(prosodia)と呼ぶことを好んだ。


58.同 165
 クリティアス言うところの「2ドラクマ取りたち(didrachmiaroi)」。


59.同 VI 31
 また「痛飲する(to peraitero pinein)」を「盃を重ねる(epikothonizesthai)」とクリティアスは呼ぶ。


60.同 38
 クリティアスはまた「賄い(opsonia)」とも「賄う(opsonein)」とも言ったが、「賄う」を「賄い方である(opsonomein)」とも彼は名づけた。


61.同 152-153
 偽証者たち(pseudomartures複数)〔という語〕はクリティアスの作品の中に見いだされるし、偽証者(pseudomartus単数)〔という語〕もどの作品かは知らないが〔見いだされる〕のである。また偽証する(pseudomarturein)〔という語〕も同人がどこかで言っている。


62.同 194
 解散する(diaskedannusthai)……あるいは分散する(diapephoresthai)、そうクリティアスは〔呼ぶ〕。


63.同 195
 また、全体の中の部分も、それが全体にとって必須であるかぎり、個別的部分〔であると同時に〕、全体に依拠している部分であり、全体に必須の部分〔である〕。それゆえクリティアスもどこかで主張している。「〔部分の有用さは〕全体の有用さに依拠する場合にのみ、それとの関係において成り立つ」と。
 〔原文は意味がとりにくく、全体と部分との関係について述べているものと解して、上のように訳してみた。乞う、ご教示〕


64.同 VII 78
 また衣裳を売る者たちは、クリティアスの用語では着物売り(himatiopolai)である。


65.同 91
 またクリティアスが足袋(podeia)と呼んだものは、それが毛氈のものであれ足を包むものであれ、これをアイスキュロスは『プリュギア人』[断片259]の中で巻き脚絆(pellytra)と呼んでいる。


66.同 108
 彫金師(daktylioglyphoi))。これはクリティアスの命名である。


67.同 154
 弦糸商(chordopoles)、そうクリティアスは言っている。


68.同 177
 香料煮(myrepsos)。クリティアスがそう名づけたのである。


69.同 179
 髪飾りをつけた(kekryphaloplokos)、そうクリティアスは称した。


70.同 196-197
 さて以下の語は、大部分がクリティアスの言っているものだが、彼よりもさらに響きのよさを競う人たちの多くも〔使っている〕。青銅売り(chalkopolai)、金物売り(sideropolai)、野菜売り(lachanopolai)、……チーズ売り(tyropolai)、……下剤売り(syrmaiopolai)、まいはだ売り(styppeiopolai)、羊毛売り(eriopolai)、乳香売り(labanotopolai)、……薬根売り(rhizopolai)、茴香〔ウイキョウ〕売り(silphiopolai)、青物売り(kaulopolai)、道具売り(skeuopolai)、屑拾い(spermologoi)、種子売り(spermatopolai)、陶器売り(chytropolai)、……薬売り(pharmakopolai)、……針売り(belonopolai)、……小鳥売り(pinakopolai)……これはまた鳥商人(ornithokapeloi)ともクリティアスは言っている云々。


71.同 VIII 25
 さらにクリティアスは私訴において無罪放免(apolysai)ないし勝訴(nikosai)の宣明をうけること(apophenai)を、無罪判決を得る(apodikasai)と称した。われわれなら無罪評決を得る(apopsephisasthai)と〔いう〕ところだが。また、一年間を通しての裁判(to di' holou tou etous dikazein)のことを、裁判しとおす(daidikazein)と〔言ったの〕も同じ人である。


72.同 IX17
 クリティアスの用語法でも、市域常住者(astytrips)とは、市域監督官(astynomos)のことである。


73.同 161
 エウリピデスの言う「教育のよさ(eupaideusia)」[断片1100]も、クリティアスの言う「のみこみのよさ(euxunesia)」も〔同じ意味である〕。


《偽作ないし疑わしい断片集》

74.[Rysselのグレコ・シリアン文書[Rheinisches Museum, 51、1896、531以下]の中の格言(4番、11番、15番)は、名前の形式の点で疑わしく、内容的にソフィストたちに関係していない]。


75.プラトン『国家』II 368A
 拙悪でなくあなたがた〔グラウコンとアデイマントス〕のために、おお、あの人〔アリストン〕の子らよ、エレゲイアの初めをグラウコンの愛者〔クリティアス〕は詩作しました、メガラの戦いであなたがたが勇名をはせたときに。こう言って。
  アリストンの子ら、名高き人の神的な生子。



[補遺]

12a

 パピュルスに残る梗概の終末部が、G.Gallavottiによって出版された。Rivista di Filologia e di Istruzione Classica, n.s.XI (1933), p.179; A. Korte, Archiv fur Papyrusforschung,XI (1935), p.258参照。

  プリュデウケスに一騎打ちをいどみしも、討ち果たされたり。
  ラダマンテュス、この勝利には
  喜びしも、娘たちのためには
  嘆きいたるに、アルテミス現れて
  ヘレネに命じたまいしは、二人の
  死にし兄弟には名誉を授くべし、と。
  また、彼の娘たちは、将来、女神にならんと告げたり。
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15a

 85行の残簡を含む「オクシュリンコス出土パピュルス集」No. 2078の5つの断片が、Huntによって出版された。A.Korte,Archiv fur Papyrusforschung,X (1932),p.50以下; W.Morel, Bursians Jahresber,LIX (1933),p.159以下参照。  断片1はおそらく序曲からのもので、話し手はペイリトゥスであろう(Korte)。1行目から5行目は、以下の出だしの部分をとどめているにすぎない。

1 わたしはつまずいた
2 〜によって
3 下に
4 出かけて
5 ヘレネを
6 祭壇
7 神的狂気は
  眩惑を送りつけた。〈というのも、かつて〉ネペレ〔雲〕を
  妻として持ちたるにもかかわらず、〈暴慢に満たされた噂を、〉
  テ〈ッサリア〉人たちの間にばらまきしがゆえなり、〈クロノスの〉
  娘と交わりたりと。
  かかる自慢話のために
  神々から報いを受けた
  狂気の刑車にかけられて
  責め苛まれる者どもの仲間入りをしたのである
  人々に聞いてももらえず。〈わが身を墓にも〉
  おおわれることなく、ボレアス〈〔北風〕の子に〉
  散り散りにされた
  父は神々に過ちを犯したゆえに
  しかしわたしはあの苦難の時も……

 以上がHuntによる補足であって、Korteによる補足は17行目だけである。15行目、パピュルスはωχないしωλをとどめている。

 断片の2と3は、ヘラクレスとテセウスとの対話である。詩行の22-23は末尾をとどめているだけである。

23行の末尾は「労苦」
24 ヘラクレス …………今は快適に思われる。
  テセウス
25    〈けっして……〉、ヘラクレスよ、〈あなたを〉なじるつもりはない、
     〈だが、とどまらねばならないのだ〉、信頼する愛友を
     不運に見舞われたまま見捨てるのは〈醜いこと〉だから。
   ヘラクレス
     〈あなたにとっても〉、テセウスよ、またアテナイの国家にとっても
     相応しいことをあなたは語った。不運な者たちの
30    いつもあなたは味方なのだから。だが、〈わたしにとっては〉、
      口実をたずさえて祖国に帰るのはみっともないことである。
     なぜなら、どれほどエウリュテスが悦ぶとあなたは思うか、
     わたしがこのことであなたを助太刀したと聞いたなら、
     苦闘のはてに労苦は不首尾に終わったということであろう。
  テセウス
35    いや、あなたがお望みのことに対しては、わたしの〈全面的な〉好意を
     あなたは得ているのだ、――〈あてにならないそれではなくして〉、自由人らしく、
     敵には敵意を、〈友には〉好意をという。
     あなたとわたしの前には…〈欠損〉…言葉がある。
     あなたは言うのか…〈欠損〉…言説を。

 Huntによる補足は、25行目のουτιと26行目である。30行目はKorteによる。この対話から、本編B27も派生しているのである。
 残りの詩行はほとんど理解不能である。47行目は終句に「すべての賽は投げられた」があらわれる(アリストパネスの断片673 Kock編、メナンドロスの断片65,4 Kock編 参照)。ルビコン河を渡るさいのカエサルのこの言葉は、メナンドロスの引用でさえなく、慣用的な言い回しだったのだ。(上掲書のp.165,7の注を参照)。
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