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群小ソフィストの正義論



Kritias断片集

(2/3)




B.著作断片集(1/2)


《ヘクサメトロス(六脚韻詩)》

1.アテナイオス『食卓の賢人たち』XIII p.600D
 この〔エロス〕神は、かの万人の口の端にのぼる知者アナクレオンが、かつて常に賛美せるところなり。されば、最も勝れたクリティアスも彼についてかく言う。
  かつて女たちのことを旋律にのせて詩歌を編みし
  かの甘美なるアナクレオンをば、テオス市はヘラスへと向かわせたり、
  酒宴の刺激、女たらし、
  笛の競争相手、大琴好み、甘美なる人、苦痛の癒し手を。
  汝への友愛は老いることなく、死ぬこともあらじ、
  水が 盃(kylix)の酒に混ぜられたるを
  酌してまわる僕童が乾杯の酒を右回りに配るかぎりは
  また、神聖な夜祭をば、女たちの合唱隊が執り行うかぎりは、
  また、銅製の娘たる衡皿(palastinx)が コッタボスの高みに座し
  至高の頂にて騒神ブロミオス〔バッコス〕の雫を〔受けるかぎりは〕……


《クリティアスのエレゲイア詩》

2.アテナイオス『食卓の賢人たち「摘要」』I p.28 B
 クリティアスもしかりである〔つまり、各国の独自性を列挙している〕。「 コッタボスは……〔以下、全行引用〕」。そしてアッティカ製の陶器が真に称揚されている。

XV 666 B
 先ず第一に、 コッタボスの起こりはシケリアの遊びであり、これを最初に発明したのはシケリア人たちであると、カライスクロスの子クリティアスは『エレゲイア詩集』の中で、次のような言葉によってそう主張している。「 コッタボスは……〔以下、初めの2行引用〕」。

〔未刊行資料〕Bekk. Lex. VI「ギリシア文献集(Anecdota Graeca)」I 382,19 [ ポティオス『辞書A』73,3 Reitzenstein編]
 言葉の助け(alexiloga):文字のことを僭主クリティアスはそう呼んでいた。[10行目]

   コッタボスはシケリア地方に生うまれた卓越した作品であり、
  これを標的に据えて、われら、酒の残り滴で〔弧を描いて〕命中させる。
  さらにまた馬車も、シケリア製が美しさと豪奢さとで最も勝れている。
        ※     ※     ※
  テッタリア製では玉座である、――四肢にとって華奢きわまりない座。
  婚礼の新床でとりわけて美しいのは
  オイノピオンの海辺の都市なるミレトス製とキオス製。
  テュレニア製の黄金の鉢は勝れ
  何かの用途で住居を飾る鉱石もまたすべて〔勝れている〕。
  ポイニキア人たちは文字を言葉の助けとして発明した。
  テーバイは戦車の台座を最初に組み立て、
  運搬用舟艇を〔発明したのは〕海の番人のカリア人たち。
  大地の車輪〔=轆轤〕と窯の生子、有用な家政者たる、
  いとも名高き陶器を発明せしは、
  マラトンに美しき勝利牌をうちたてしかの都市〔=アテナイ〕なり。


3.マリウス・テオドロス『韻律について』VI 589,20 Keil編
 ダクテュロス〔長短短格〕の六脚韻詩の韻律はオルペウスによって最初に発明されたとクリティアスは言っている。
  参照 DK.68(DEMOKRITOS) B16と註。


《『アルキビアデスに寄せて』》

4.ヘパイスティオン『韻律要綱』2,3
 (融音について)つまり二つの短母音が一つの短母音になること、これは他の韻律においては見出されるが、……叙事詩にはめったにない。あたかも、クリティアスが『アルキビアデスに寄せて』というエレゲイア詩において、アルキビアデスという名前〔の使用〕を許されるとは思っていなかったように。
 すなわち、彼は主張する。
  今こそクレイニアスの子たるアテナイ人アルキビアデスに
  花冠せん 新しき様式にて賛歌して。
  いかにしてもこの名をエレゲイア詩に調和させるを得ざりしも、
  今こそ破調になることなくイアンボスの中に置かれるゆえに。


5.プルタルコス「アルキビアデス伝」33
 とにかく、呼び戻しの決議は、これよりも先に決定されていた。それはカライスクロスの子クリティアスが起草したもので、彼みずからが『エレゲイア詩集』の中で詩作し、その中でアルキビアデスに好意のほどを思い出させているとおりである。
  しかして汝を帰還させし発議、これを全体会議にて提案し、
  起草し、この事業を実行せしは我なり。
  しかして我らが口舌の極印は以下の言説にあり。
参照 B 75。


《『均衡のとれた国制』》A 22参照
〈『ラケダイモン人たちの国制』〉B 32-37参照

6.アテナイオス X 432 D
 酒宴の際に行われる乾杯というものを行う習慣は、ラケダイモン人たちにはなく、そういう方法によってお互いに友愛を深めるという習慣もない。このことはクリティアスがその『エレゲイア詩集』の中で明らかにしている。
  これもまた、しきたりとして定まったスパルタの習慣なり、すなわち
  酒はつがれた同じ酒盃(kylix)で飲むこと、
  名前を呼んで乾杯を回すこともせず、
  また一座の右回りにぐるりと〔酒盃を〕回すこともしないのは。
   ※     ※     ※
  徳利(angos)の発明はアシア生まれのリュディ人の手になる。
  また、乾杯を右に差し出し、
  乾杯を捧げんとする相手のために、名を呼んで乾杯することも。
  かくて、かかる飲酒によって口舌をゆるめ、恥ずかしいおしゃべりに堕し、
  身をものろのろとさせる。眼にはぼんやり霞がかかり、
  失念が記憶を精神から消失させ、
  理性は踏み迷う。戦争奴隷たちも不埒な態度をとる。
  しかるに、ラケダイモン人たちの壮丁の飲みかたは、
  みなの心を快い希望と、友愛と、
  そして舌を程よい笑いとに導くだけの量。
  かかる飲酒は身にも有益、
  思考にも所得にも〔有益〕。さらには、アプロディテの業にも美しく、
  労苦の避難所たる眠りにもかなっている、
  また、神々の中でも、死すべき者たちにとって最も歓ばしき「健康」にも、
  「敬神」の隣人たる「慎み」に対したてまつっても〔かなっている〕。

そして、さらに続けて彼は言っている。

  なぜなら、程をこえた酒盃の乾杯は、
  喜びは一瞬、苦痛は全時間。
  されどラケダイモン人たちの暮らしぶりは一様である。
  程々に食し飲するのは、思慮と労苦が可能なるためだから。
  過度の飲酒によって身を酔わせる日は定められてはいないのだ。


7.エウリピデス『ヒッポリュトス』264行への古注
 「過度を慎め」という箴言は七賢人の一人のもので、クリティアスによれば、これこそがキロンに帰せられるという。

ディオゲネス・ライエルティオス I 41 作者名なし。
 賢者キロンは、ラケダイモン人であって、次のことを言ったのは彼である。
  過度を慎め。盛時にこそ美しきものはすべて現成する。


8.プルタルコス「キモン伝」10
 「三十人」の一人となったクリティアスも、その『エレゲイア詩集』の中で念願している。――スコパス家の富と、キモンの雅量と、ラケダイモン人アルケシラオスの勝利とを。


9.ストバイオス『詞華集』III 29章,11 クリティアスの〔作〕
 より多くの人たちが、自然本性によってよりは、むしろ、修練によって善き人となるのだ。


《劇作》

10.作者不詳『エウリピデス伝』p.135,33
 これら〔エウリピデスの諸作品〕のうち、次の3編は偽作である。『テンネース』と『ラダマンテュス』と『ペイリトゥース』と。
 後の17参照。Wilamowitzは、サテュロス劇として、『シシュポス』を付け加えている(Analecta Euripidea p.166)


〈『テンネース』〉

11.テネドスの名祖については、 コノン『神話集』断片28 参照[ ポティオス『古典文献解題』126 p.135 b 19 B]


12.ストバイオス『詞華集(Anthologium)』III 2,15
 エウリピデスは『テンネース』の中で〔言っている〕。
   ああ、今の世代に正義は存せず。


〈『ラダマンテュス』〉

12a.「補遺」!


13.『反アッティシシズム辞典』Bekker版 p.94,1
 奪い去る(aphairein)の代わりに、奪い取る(exairein)を用いて。エウリピデスは『ラダマンテュス』の中で。
   誰も私たち〔の命〕を奪い取る(exairein)人はいませんから……


14.ストラボン『地誌』VIII p.356
 エウリピデスは……『ラダマンテュス』の中で。
   彼らは隣国エウボイアの土地を所有して……


15.ストバイオス『詞華集』II 8,12. IV 20, II,61
 エウリピデスの『ラダマンテュス』
  われらの人生には、さまざまなる恋慕が存する。
  すなわち、ある者は生まれよろしきを得んことに焦がれ、
  ある者にはそのようなことは気にもならず、
  蓄財の父と家人たちに呼ばれたいと望む。
  また他の者は、何一つ健全なことには心を留めず、
  口を開けば、悪しき大胆さもて隣人たちを言いくるめるを喜びとする。
  また、はかなき者たちの中には、美よりも先に醜き利得を
  求める者たちもあり。かくのごとくに、人間どもの生き方は迷走する。
  されど我は、それらのいずれにも与るを欲せず、
  むしろ栄光ある名声を得るを望まん。


〈『ペイリトゥース』〉

15a.「補遺」!


16.助祭にして大教会会計検査官のヨハンネス『ヘルモゲネス『力強い文体のための方法について』注解』Rabe編144以下。 コリントスのグレゴリオス『ヘルモゲネスについて』B 445,7 Rabe編
 (エウリピデスも、「ゼウスは、語られきたれるごし」はanophoraであり、「真をもって」はbebaiosisである)これらの詩句は、エウリピデスの二つの劇作品、いわゆる『ペイリトゥース』と『賢夫人メラニッペー』との中に見いだされる。これの梗概とか場面とかをここに挙げるのは、多くを学ぶことを歓迎する人たちにとって時宜を逸するものではない。さて、『ペイリトゥース』の梗概は次の通りである。ペイリトゥースはペルセポネに求愛するため、テーセウスといっしょにハデスの館へと降り、ふさわしい報いを受けた。すなわち、みずからは石でできた不動の椅子に固定され、大口あけた竜たちに見張られ、テーセウスの方は友を置き去りにすることを醜いことと考えて、命よりもハデスの館での生を選んだのである。だが、ケルベロス退治にヘラクレスがエウリュステスに派遣され、力尽くで怪獣に打ち勝ち、地界の神々のおかげでテーセウス一統を目下の責め苦から解放し、たった一つの功業で対抗者をてなずけ、不運な友たちにあわれみをかけた。とにかくこの劇の中でアイアコスが登場してヘラクレスに向かって言う。

  はて、何としたことか? 誰かが意気込んで、
  こちらへとやって来るのが見える、何とも大胆なる心もて。
  述べ上げるべし、客人よ、かかる地にきたるは何者なるか
  またいかなる理由によるかを。

するとヘラクレスが彼に言う。[TGF p.547, エウリピデス断片集591N]

  すべてを包み隠さず言うにためらいなし。
  我が祖国はアルゴス、しかして名はヘルメス、
  あらゆる神々の父なるゼウスから生まれし者。
  すなわち、我が母の貞節なる新床に来たりたるは
  ゼウスと、真をもって語られ来たれるごとし。
  また、この地にやむを得ず来たりたるわけは、エウリュステスの
  支配に服したが故なり、彼は我を遣わして、ハデスの犬を
  生きたるままミュケナイの門前に連れ帰るよう命じたるなり、
  見たいがためにあらずして、際限もなき労苦を
  我がために考えついたと思いしがゆえなり。
  かかる難行を追い求めて、エウロペをぐるりと回り
  アジア全土の隅々にまで赴きたるなり。


17.アテナイオス『食卓の賢人たち』XI 496 A
  香油入れ(Plemochoe)は……エレウシスにおける秘儀の最終日に(祭具として)使用され、このことから、この日はPlemochoaiとも呼ばれている……これについては『ペイリトゥース』の作者――僭主クリティアスであれエウリピデスであれ――も次のように言及している。   この水差しで大地の裂け目に
  我ら黙祷して注ぎかけるために。


18.アレキサンドリアのクレメンス『雑録』V 35[II 349,18 St.]
 これらのことについて、その聖櫃の上に描かれた物語が、可考的宇宙の秘密――多衆には覆い隠され閉ざされてきた――を漏らしている。かてて加えて、その黄金の装飾も、その両者それぞれが六つの翼を持っているが、それがある人々の思うように二頭の熊を表しているのであれ、あるいはむしろ二つの半球であれ、ケルビムという名前によって多くの知恵を明示しそうである。とにかく、それらは両方で十二の翼を持ち、円環をなす獣帯と、それに従って運行する時間とによって、知覚されるべき宇宙を示している。思うに、この悲劇も自然論を語っているのである。「疲れを知らぬ……軸を」と。

アリストパネス『鳥』179行への古注
 つまり、天極(polos)というものを、先人たちは最近の人たちとは違って、何らかの印とか回転軸に近いものとは考えず、包摂者全体と考えていたのである。エウリピデスは『ペイリトゥース』の中で、「そしてアトラスの天極を見張っている」と、それ自体が回転すると同時に、それによって万物が運行するもののごとくに〔述べている〕。
  疲れを知らず、永遠に流れゆく流れもて満たされたる
  時は進み行く。
  自分一人で自分を生みつつ。そして二頭の熊(星座)は
  翼のすばやき羽ばたきもて
  アトラスの天極を見張っている。

 アトラスとは、影響を受けざる天極にして、迷動せざる球体として存在することができ、おそらくは終生不動と考える方がよりよいであろう。


19.アレキサンドリアのクレメンス『雑録』V115[II 403,14 St.]
 劇『ペイリトゥース』の中で同人〔エウリピデス〕はまた次のようにも詩作している。「汝……〔以下、全行引用〕」。
 (Apollonius Rhodius『アルゴナウティカ』IV 143への古注、および、エウリピデス『オレステース』982行への古注が1-2行目を引用。
  サテュロス『エウリピデス伝』(「オクシュリュンコス出土パピュルス集」IX)p.140)は、1-4行目を引用)。

  汝、自生者、天空の
  紡ぎ車の中にあって、万物の生成(physis)を紡ぎ出すもの。
  汝の周りに光はめぐり、夜陰もめぐり
  きらめく夜、見分けもつかぬ星星の群も
  休むことなく舞いめぐる。

 つまり、ここにおいて、彼が自生者と言ったのは、制作者(demiourgos)たる理性のことであり、後から来るものは秩序の上に配置され、この中に光と闇という対立物もまた存するのである。


20.プルタルコス『倫理論集』7「友人の多いことについて」p.96C
 友たちが幸運なときには、それを何一つ享受せず、〔友たちが〕不運に陥るや、いっしょに破滅してしまう人たちがいる。それも、知を愛して優美な人たちこそが、とりわけそういう目に遭うこと、あたかもテーセウスが、懲らしめを受けて捕らわれたペイリトゥースのために
  羞恥という、鍛冶されざる枷につながれた
ごとくに。


21.ストバイオス『詞華集』II 8,4 エウリピデスの『ペイリトゥース』に。   次の言葉に新しい意味を与え、
  最初に発言したのは、けっして、
  訓練を受けたことのない心の持ち主が発したのではない。
  運というものは、よく思慮する者たちに味方する、と〔いう言葉を〕。


22.同 III 37,15 『ペイリトゥース』から。
 善き性格は法律よりも危なげがない。なぜなら、前者はいかなる弁論家といえども、決してこれを歪めることはできないが、後者は、弁論によってこれを上へ下へとかき乱して、しばしば傷つけるからである。


23.同 IV 53,23 エウリピデスの『ペイリトゥース』の中に。
 それでは、死ぬ方が悪く生きるよりも勝っているのではないのか。


24.Welckerによれば、『ペイリトゥース』が出所という。エウリピデス断片集 作品名不祥865
  名声は、気高き人を、大地の内奥においても明示する、

同 936
  いや。まだ息のあるうちに、ハデスがわたしを受け入れたのだ、

 Wilamowitzによれば、同 964もそうである。また、 ポティオスの『辞書A』91,18。
  母のない(ametoros):エウリピデス〔の用例〕。「アピドノスよ、母なきガイア〔大地〕の子よ」


サテュロス劇『シシュポス』

25.セクストス・エンペイリコス『諸学者反駁論』IX「独断論者反駁」54
 さらにまた、アテナイ市において僭主支配した人たちの中の一人クリティアスも、次の発言からして無神論者の一団に属するように思われる。つまり、いにしえの立法者たちは正しい行いと過った行いとの監視者のようなものとして、神というものをこしらえ、何びとも、神々による応報を用心して、隣人に対してひそかに不正することのないようにさてた、というのである。彼の手になる記述は以下のとおりである。「原始、……〔以下、全行引用〕」。

アエティウス『学説史』I 7,2
 さらに悲劇作家のエウリピデスも、アレイオス・パゴスを恐れたために、包み隠さず言うことを拒み、次の仕方で表明した。すなわち、この思想の唱道者としてシーシュポスを登場させ、彼の口をかりて次の考えに賛意を表したのである。「原始」と彼は主張する、「……仕えている時代があった」[1、2行]。
 そのうえで、法習の登場によって無法状態が解消されたと彼は主張する。すなわち、法は公然たる不正を封じることはできたが、しかし、多くの者たちが秘かに不正するのが常であったので、この時にある賢明な人物が、虚言を用いて真理を見えなくしなければならない、つまり、「生体が存在して、これはそれ〔不正事〕を耳にし眼にし知慮することができるというふうに」[17、18行]人間どもを信じさせなければならないと思いついたのである。この箇所ではまた、エウリピデスは主張している。「天空の星影のきらめきも、賢明なる……「時間」の仕業である」と[33-34行]。

  原始、人間どもの生活が無秩序で、
  獣的で、力の下僕たりし時代ありき、
  この時、義人たる者たちにも何らの褒賞あらず、
  また逆に、悪しき者たちにも懲罰はなかりき。
  しかるにその後、われ思うに、人間どもは法律をば
  懲罰者として制定せり、そは、裁きが等しく
  万人の僭主となり、暴慢をば奴隷とせんがためにして、
  しかして、過てる者あらば、罰するを常とせり。
  その後、なるほど法習は
  人間どもが公然と暴力によって事を為すことを妨げはせしも、
  〔人間どもは〕ひそかに為すを常とするにいたりしゆえ、まさにこの時に、われ思うに、
  先ず、ある利口にして賢明なる人物の考案せるは、
  神々に対する畏怖をば死すべき者たちのために発明することなり、かくて
  悪しき者たちに恐れのごときもの生じたり、たといひそかに
  何かを為し、言い、考えるとも。
  ゆえに、神的なるものを登場させし所以たるや、
  精霊ありて、そは不滅の生を得て栄え、
  理性もて耳にし、眼にし、無量に知慮し、
  これに心を傾け、神性をおびているゆえ、
  はかなき人間どもの間で言われる一切のことを聞き、
  また、為される一切のことを見ることができる。
  そして、もし汝が黙々として何か悪事をたくらむとも、
  そは神々に気づかれずにはすまじ。なぜなら、非常に
  優れた知慮が〔神々に〕内在するゆえに、と。これらの言葉を語って、
  彼は教訓の内でも最も快適なるのを登場させたのである
  真実をば偽りの言論をもって覆い隠して。
  さらに、神々の住まい給うところと彼の主張せるは、ここ、
  ――言えば人間どもを最も驚愕させうるところ、
  まさにそこから、はかなき人間どもに恐怖も、
  また、辛労な人生に利益ももたらされると判断したところ、
  つまりは、はるか上空の蒼穹である。ここに看取したためである、――
  稲妻のあるを、また雷の恐ろしき轟きを、
  はたまた、天空の星影輝く生体、つまりは
  賢明なる巧みたる「時間」の美しき刺繍を。
  また、そこから星のひかり輝く灼熱の塊も運行し、
  湿った降雨も大地へと歩み来るからである。
  そこで、かかる恐怖もて人間どもを取り囲ませ、
  その恐怖によって、またみごとにその言葉でもってダイモンをば
  それにふさわしい場所にこの人物は住まわせたとともに、
  無法状態をば法習をもって抑え込んだのである。

そしてわずかな説明をした後で、彼は続ける。

  さて、ある人物がこういうふうに説いてたので、初めて、
  精霊的な種族が存在するということを死すべき者たちが信じるにいたったのだと私は思う。


〈出典不詳劇集から〉

26.ストバイオス『詞華集』I 8,11:
  影とともに、たちまちにして時は老いゆく。


27.ストバイオス『詞華集』III14,2 クリティアスの〔作〕。 B15a(「補遺」)参照。
  されど、友たちを喜ばせるために、どんなことでも
  やって付き合うような者は、刹那の快楽をば
  その後から敵意へと変えてしまう。


28.ストバイオス『詞華集』III 23,1 クリティアスの〔作〕。
  されど恐るべきは、思慮分別もない者が、あるように思われているときである。


29.ストバイオス『詞華集』IV 33,10 クリティアスの〔作〕。
  しかし賢明な貧しさよりも暗愚な富裕さをば
  同居人として邸内に有す方が勝っているであろうか?
Vgl. B94 Anm.
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