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犬儒派作品集成

ガダラのメニッポス

〔紀元前3世紀前半〕



[略伝]
menippus.jpg
VELÁZQUEZ〔1599-1660〕
Menippus
1639-41
Oil on canvas, 179 x 94 cm
Museo del Prado, Madrid

 〔シリアの〕ガダラ出身。強い影響を与えた犬儒派の著作者。おそらく紀元前3世紀初めの人。
 信用の置けない伝記(Diog. Laert. 6_99-101)は、彼をメトロクレースの弟子で(95)、テーバイ市民になったとする(99)。古代文献では「真面目で滑稽な人(spoudoge/loij)」つまりは諷刺家として二度言及されるが(strabo XVI_2_29; Steph. Byz. entry under (Ga/dara)、おそらく彼の自称であったろうこの語は、彼がユーモアあふれる道徳的訓話の専門家であったことをうかがわせる。しかし、彼の作品が、彼が主人公として登場するルゥキアーノスのそれとぴったり一致するように想像するのは、魅力的ではあるが危険である。

 彼の作品は、題名以外ほとんど知られていない。それらの作品とは――Diaqh~kai)すなわち『遺言状』(哲学者たちの遺言状のパロディーか?)、『神々の手になるかのように装われている書簡集』(? ルゥキアーノスの『サトゥルナリア』参照)、Ne/kuia)すなわち『降霊術』(犬儒派のクラテースや、プリウスのティモーン(c. 320-230 BC)の伝統を受け継ぐパロディーで、おそらくホラティウスのSat. 2.5 や、若い方のセネカのApocol.、ルゥキアーノスの諸作品に影響を与えた。この作品の軌跡は、Diog. Laert. VI_102にも跡づけられよう)、『酒宴』(Ath. XIV_629 F.参照)、『アルケシラオス』(アカデメイア学園学頭アルケシラオスのことであろう)、Dioge/nouj pra~sij)すなわち『ディオゲネースの売却』(Diog. Laert. VI_29-30; ルゥキアーノス『哲学諸派の売り立て』参照)。
 メニッポスは、作品のなかでomnigenum carmenを用いたと言われる('Probus' on Verg. Ecl. 6. 31, discussing Varro's Menippean Satires)。彼が一般的な犬儒派の伝統を守り、引用にしろパロディーにしろ、それらが重要な役割を演じていること、セム的・アラビア的'prosimetrum'の影響が指摘されてきたこと等を疑う理由はない。古代の理論は、ゆるやかな様式のなかにprosimetricなあらゆる形式を表すために、「メニッポス流諷刺」を必要とはしなかったということが、現代でも学者の常識であることは強調されなければならない。

R. Helm, Lucian ynd Menipp (1906);
J. Hall, Lucian's Satire (1981).

(OCD, R. L. Hu.)

book.gif ディオゲネース・ライエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第6巻8章「メニッポス伝」
book.gif ルゥキアーノス『メニッポス、あるいは、冥界下り




書簡(Epistula)[Sp.]』

[底本]
TLG 0052
MENIPPUS Phil.
(3 B.C.: Gadarensis)
1 1
0052 001
Epistula [Sp.], ed. R. Hercher, Epistolographi Graeci. Paris:
Didot, 1873 (repr. Amsterdam: Hakkert, 1965): 400.
(Q: 62: Epist.)





"T"
メニッポスから、頭陀袋ひとつ携えた者たちに
1
 あなたがたは正しく行いなさい、飢え、渇き、凍え、地面に寝ることを。なぜなら、これらはディオゲネースの法――ラケダイモーン人たちの立法者リュクゥルゴスにしたがって成文したもの――が規定するところだからである。あなたがたのなかに聴き従うことなき者があれば、病気、邪眼、苦痛、そして、この合唱団から出てくるありとあらゆるものに引き渡され、さらには痛風、嗄れ声、下腹から突き上げる雷鳴のごとき鼓腸fu~saiが彼らに取り憑くであろう。シノーペーに由来する義しく神的な法を冒涜したからである。

2005.12.21. 訳了。

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