title.gifBarbaroi!
back.gif群小ソフィストの正義論・目次へ


群小ソフィストの正義論



Thrasymachos断片集



*底本はH.Diels-W.Kranz, Die Fragmente der Vorsokratiker, Dublin/Zurich,1966
*[]はD-Kの補足、〈〉は欠損箇所の補い、〔〕は訳者の補足。


A.生涯と著作


1.スーダ辞典
 トラシュマコスはカルケドン人、ビテュニア地方の カルケドン出身のソフィスト(この人物は初めて 〔文の〕周期性(periodos)ならびに分節(kolon)を闡明し、現在の弁論法を導入した。哲学者プラトンならびに弁論家イソクラテスの学徒(mathetes)[?])、著したのは、『審議用弁論集』『弁論術』『遊技』『弁論の題材』である。


2.アリストテレス『詭弁術駁論(Sophistici elenchi)』33.183b 29
 しかし、現在名声を博している人たちは、代を継ぐようにして部分的に先導した多くの先達たちから受け継いで、かくも拡張させてきたのである。最初期の人たちの後には テイシアスが、テイシアスの後にはトラシュマコスが、そしてこの人の後には テオドロスその他多くの人たちが、多くの点で貢献してきたのである。


3.ハリカルナッソスのディオニュシオス『リュシアス伝』6
  以上の諸々の卓越性とともに、私はリュシアスにきわめて驚くべき卓越性を見出す。この卓越性を最初に示したのはトラシュマコスだと テオプラストスは主張しているが[『修辞法について』断片3 Schmidt編]、私は リュシアスだと考えている。というのも、私に思われるところでは、当時、後者は前者に先んじていた(私が言っているのは、両者ともに人生の盛りをむかえていたとしても、ということである)………。では、私が言うその卓越性とは何か? 想念を圧縮・研磨して表出する修辞法――一法廷弁論やあらゆる真実の争いに特有・必要な修辞法――である。


4.アリストパネス『宴の人々(Daetales)』[前427年上演]断片198、5行目以下。[ ガレノス『ヒッポクラテス用語集』XIX 66 Kuhn編より。息子と父親との対話]
息子 もちろん、あなたは時間に打ち倒されるでしょうよ。
父親 その「打ち倒される」というのは弁論家たちの言いぐさだ。
息子 あなたのその話はどこに落着するのですか?
父親 アルキビアデスの言いぐさだよ、その「落着する」というのは。
息子 どうしてなんですか、いちいち詮索して、悪く言うのは。善美なふるまいをしようと(kalokagathein)修練している人たちのことを。
父親 はてさて、おお、トラシュマコスよ、こんなはったりかましをしているのは、何という名の共同弁護人なんですかね?



5.アリストテレス『弁論術』Γ 11.1413a 7
 また、ニケラトスのことを、プラテュスに咬まれた ピロクテテスだと言ったのも〔比喩であって〕、これは、ニケラトスが吟唱の競演でプラテュスに敗れ、髪は伸び放題でばさばさのままなのを見て、トラシュマコスが譬えたものである。


6.アリストテレス『弁論術』Β23.1400b 19
 コノンがトラシュブウロスのことを「大胆な策謀者(thrasyboulos)」と呼び、ヘロディコスがトラシュマコスのことを「いつもおまえは大胆な戦闘者(thrasymachos)だ」と〔呼び〕、ポロスのことを「おまえはいつも若駒(polos)だ」〔と呼んだ〕ように〔これらはみな比例的比喩である〕。


7.ユウェナリス『風刺詩集』VII 203
 多くの悔いをつくるは、むなしい不毛の肘掛け椅子。あたかも、トラシュマコス[?]の臨終が示せしごとく。
古注  アテナイの弁論家で、首を吊って死んだ。


8.アテナイオス『食卓の賢人たち(Deipnosophistae)』X. 454 F
 パリオン人のネオプトレモスは、その『碑文について』の中で、カルケドンにあるトラシュマコスの墓標には次の碑名が刻まれていると言っている。
  その名は、テータ、ロウ、アルパ、サン、イ、ミュウ、アルパ、ケイ、ウウ、サン。
  祖国はカルケドン。しかして、その術知は知恵。


9.キケロ『弁論家論(De Oratore)』III 32,128
 [プロディコス、トラシュマコス、プロタゴラス]この人たちは、一人一人がみな、あの時代、事物の自然についてもきわめて多くのことを述べもし、書きもした。


10.プラトン『国家』I 336 B
 さて、トラシュマコスは、わたしたちが対話している間にも、しばしば話に割り込もうとしていましたが、しかし話を最後まで聞こうと望んでいる同座の人たちに引きとめられていました。ところが、わたしが以上のことを言ってわたしたちが休止するや、かれはもうじっとしていようとはせずに、野獣のように、身構えてわたしたち目がけて、ひっさらおうと襲いかかってきました。そこでわたしとポレマルコスは恐れ慌てました。で、かれは満座に向かって大声疾呼して言いました、「なんという饒舌がさっきからあなたがたをつかまえて離さないことか、おおソクラテス。………(金松賢諒訳)
同編 338 C[=本章B 6a]参照。


11.アリストテレス『弁論術』Γ 8.1409a 2
 もうひとつ残っているのがパイアン調である。〔弁論家たちが〕これを用い始めたのはトラシュマコスのころからだが、それがいかなるものであるかをは彼らは言うことができなかった。


12.キケロ『弁論家(Orator)』13,40
 イソクラテス………彼には、トラシュマコス〔の文体〕は、また、ゴルギアス〔の文体〕もそうだが、小さな文節に細切れになっているようにみえた――とはいっても、彼らは一定の技によって言葉を結びつけた最初の人と伝えられているのであるが――、他方、トゥキュディデス〔の文体〕はあまりにぶっきらぼうで、充分にまろやかとはいえないように見えたので、文章を言葉によって広げると同時に、これを抑制した文節で満たそうとした最初の人となった。


13.ハリカルナッソスのディオニュシオス『イサイオス伝』20
 明確な言葉を選りすぐり、論争的弁論術めざして修練した人たちのうち――ここに属するのは、ラムヌウス区民アンティポンや、カルケドン人トラシュマコスや、アテナイ人のポリュクラテス、「三十人」を指揮したクリティアス、『反ホメロス論』を書き残した ゾイロス………トラシュマコス〔の文体〕はといえば、純粋、平明であり、述べたいことを見つけだし、これを簡潔巧妙に述べることにかけて恐るべき人物で、そのすべては弁論用言説や演示的言説に関するもので、法廷用言説は残さなかったが、この点はクリティアスについてもゾイロスについても同じであって、ただ、表現様式の点で互いに相違していただけである。


14.スーダ辞典
 ウェスティノスは、別名イウリオスと呼ばれたソフィスト。『パンピロス用語集94巻の摘要』『デモステネス著作集からの語彙抜粋』『トゥキュディデス、イサイオス、イソクラテス、弁論家トラシュマコスおよびその他の弁論家たちの著作集からの抜粋』。




B.断片集


《『国制について』》

1.ハリカルナッソスのディオニュシオス『デモステネス伝』3[p.132, 3 Radermacher-Usener]
 第三の修辞法は、これら二つ[すなわち、厳粛なのと平明なのと]から混合し合成したものである。これを初めて調和させ、現行の秩序に確定したのが、テオプラトスが思っているように[『修辞法について』断片4 Schmidt編]カルケドン人トラシュマコスであったのか、あるいは誰か他の人であったのか、わたしは言うことはできない。しかし、継承・発展させ、ほとんど完全無欠の域にまでもたらしたのは、弁論家たちの中では、アテナイ人イソクラテスであり、哲学者たちの中では、ソクラテス学徒のプラトンであった。というのは、デモステネスを除けば、これらの人たち以上に、必要不可欠なことや有用なことをより勝って修練した人たちとか、美しい話し方や修飾語の付け方をより善く立証した人たちとかを、他に見つけだそうとするのは詮無いことだからである。とはいえ、トラシュマコスの修辞法が、はたして本当に中間様式の源泉のようなものであったとしたら、この企てこそは、どうやら、まじめに取り合う値打ちがあるようだ。たしかに、〔彼の修辞法は〕何とかほどよく混合されており、おのおのの〔の修辞法〕から有用な部分のみを取り入れているからである。もっとも力量の点では、彼が望んだほどには発揮できていないのだが、次は民会演説の中のひとつから採った事例である。

 「願わくは、おお、アテナイ人諸君、昔のあの時代に生き合わせたかったものだ、――そこでは、若者たちは沈黙していれば事足り、事態が演説を余儀なくさせることもなく、年長者たちも正しく国家を管理していたあの時代に。しかるに、精霊がわれわれをかかる時代に供したもうたからには、――その結果、この国の〈支配を他人が言うままに〉聞き入れ、災禍だけは自分たちが〈甘受し〉、しかも、こういった事態の中でも最も大事なのは、それが神々の御業ではなく、まして運命の仕業でもなく、管理者たちの所業であるからには、発言も余儀ない次第である。なぜなら、不感症の人か、あまりに辛抱強い人であろうから、――自分に対して罪過を犯すことを望む相手にそれを容認し続け、他人の策謀や悪行の責めを自分が背負いこもうとするような人は。いや、われわれにとって過ぎ去った時はもうたくさんだ――平和の代わりに戦争に陥り、数々の危難をくぐりぬけてこの時代に達したことだけで〔たくさんだ〕。われわれは過ぎし日をいとおしみ、来るべき日を恐れていたのだが、同心(homonoia)の代わりにお互いに対する敵意と紛争状態とに行き着いたことだけで〔たくさんだ〕。そして、他の人たちであれば、善きことどもの多さに傲り高ぶり、党争をなすところを、われわれは善きことどもにめぐまれても正気を保っていたにもかかわらず、悪しき状況のもとに狂気にとりつかれた――他の人たちなら正気に返るのが普通の状況下に。されば、何なりと知っていることを述べるに、何を逡巡することがあろうか、――現状に苦痛をおぼえ、もはやかかる事態が決して起こらないよう、何らかの手だてを持っていると信ずるに至った者なら、誰であろうと。

 そこで、先ず第一に、弁論家たちであれ、その他の人たちであれ、お互いに意見を異にしている人たちについて、わたしがこの弁論の中で明示したいのは、むやみに愛勝する連中が被らざるを得ないのと同じ事態を被っているということである。すなわち、彼らはお互いに反対のことを言っていると思っているのだが、同じことを為しているのだということ、まして、相手の言葉も、自分たちの言葉の中に含まれているのだということに気づかないのである。というのは、両者が何を探究しているのか、初めから考察してみられるがよい。先ず第一に、彼らに紛争をもたらしているのは、祖国の国制であるが、この国制は、理解するに最も容易であり、全市民にとって最高度に共通な存在である。もちろん、われわれの考えの及ばぬことは、古人たちの言葉に耳を傾け、年長者たちがみずから眼にしたこと、これは目撃者たちから聴くべきである………」

 さて、これが、トラシュマコスの表現法といったものであり、両様式の中間であって、混合の具合よろしく、いずれの様式に向かうにも都合のよい糸口である。


『ラリサ人たちのために』

2.クレメンス『雑録(Stromateis)』VI 16
 なるほど、『テレポス』[438年上演]の中でエウリピデスは、「われらはヘラス人でありながら異邦人たちに隷従すべきであろうか?」と言っているが[断片719 Nauck編]、トラシュマコスは『ラリサ人たちのために』の中で言っている。「われらはアルケラオスに隷従すべきであろうか、ヘラス人でありながら、異邦人に?」と。


『大術知』

3.アリストパネス『鳥』880行への古注
 テオポムポスの言葉[断片115。ペロポンネソス戦争が始まるとき、アテナイ人たちの祈願へのキオス人たちの参加をめぐって]と同じことをトラシュマコスも『大術知』の中で主張している。

 この『大術知』に属するのは、『弁論の題材』を除けば、以下の特定標題のもとに引用されている諸断片である。


4.アテナイオス『食卓の賢人たち』X 416A
 またカルケドン人トラシュマコスは、『序論』のある箇所で、ティモクレオンが大王のところにやっていって彼から歓待され、多くのものを満喫したと言っている。そこで大王が、この後どんな働きができるか尋ねたところ、数え切れぬくらいのペルシア人たちをぶちのめせると言った。そして、次の日、多くのペルシア人一人ずつに勝利し、その後で拳闘の型をして見せた。そこでその訳を〔大王が〕尋ねたところ、近づいてくるやつがいたら、これぐらいの数殴り倒せる力が残っているということですと彼が言った。


5.アリストテレス『弁論術』Γ 1. 1404a 13
 しかしながら、これ[すなわち、弁論における演技性]について述べることを手がけてきた人たちが、わずかではあるがいる。たとえば、『同情論』におけるトラシュマコスのように。


6.プラトン『パイドロス』267C
 しかし、老年や貧困に引きずられ〔哀れをさそう〕愁嘆の言葉に関しては、あのカルケドン人の力量は術の上で勝っていたようにわたしには見える。そのうえまた、この人は多衆を怒らせるばかりか、今度は逆に、怒った人たちを呪歌をもって宥めることに凄かった――彼が自分で言うところによれば。また、どんな理由の誹謗でも、それを起こしまた却けるに最も有力であった。

ヘルメイアス 同箇所への注。Couvreur編『プラトン「パイドロス」注解』p.239,8
 カルケドン人とは、すなわちトラシュマコスのことである。彼は次のようなことを教示した。「なすべきことは、裁判官を愁嘆場に引き込み、哀れをさそうことである。老年、貧困、生子、それに類したことどもを嘆き悲しむことで」


6a.プラトン『国家』I 338C
 わたし[トラシュマコス]は主張します、正義とは強者の利益にほかならない、と。


7.プルタルコス『食卓歓談集(Quaestiones convivales)』I 2,3 p.616 D
 [食卓の席順を決めるさいは]あたかも比較の練習問題をするように、アリストテレスの『トピカ』やトラシュマコスの『打倒論』を手に持たなければならない。有用なことは何を仕遂げるでもなく、むなしい名声を市場や劇場から宴席に持ち込んで。


7a.ピロデモス『弁論集(Volumina Rhetorica)』II 49[Sudhaus編による補充 Leipzig,1895, p.42以下]
 さらにまたメトロドロスも、『詩作について』第1巻の中で[A.Korte編 断片20以下。Jahrb. f. cl. Phil. Suppl. 17(1880)548]、ソフィスト的弁論が術知を有していることを、充分に傍証しているようである………大衆の中で大衆にとって有用なことがらについて述べるにしても、トラシュマコスから、あるいは、彼らの中の他の誰からも術知を学ばなかった人たちは………政治的言論や弁論的言説やに関するこういった術知を持っていると称する人たちのうち、トラシュマコスや他の少なからざる人たちは、自分たちが有していると称する術知の目的を何一つ達成していない。


表題不明著作より

8.アレクサンドリアのヘルメイアス『プラトン「パイドロス」注解(In Platonis Phaedrum scholia)』p.239,21 Couvreur編[『パイドロス』267C=本章B6「〔トラシュマコスの〕力量」への注]
 [トラシュマコスは]自分の著作の中で、次のようなことを記している。すなわち、神々は人間のすることをご覧になってはいない。さもなければ、人間界における善きことの中でも最大のもの、つまり、正義を見過ごしになさることはないからである。要は、われわれの見るところ、人間たちがそれ〔正義〕を行うことはないからである。
back.gif本編・冒頭へ
forward.gifクリティアス断片集へ
back.gif群小ソフィストの正義論・目次へ
back.gif表紙にもどる