title.gifBarbaroi!
back.gif映画「西便制」の言わなかったこと


エッセイ



タブラ・ラサ(白い拒絶)

――「出来ない子」とは?――
   I. 私は 凸(`_') Fuck You!! で教師を辞めました
   II. 学校は何をするところか
   III. クラブ推薦制度の実際
   IV. 出来ない子は何が出来ないのか
   V. 出来る子は何が出来るのか



I.私は 凸(`_') Fuck You!! で教師を辞めました

 学校創立118年という長い歴史を誇り、現在生徒数は男子ばかり約1700人、ある既成大教団の建てた私立中・高等学校に勤めて19年、この3月末日をもって、私はその学校を中途退職したばかりである。退職の理由は何か? 「くそったれ!」である。

 1960年末から70年代にかけての、世に言う「学園紛争」を目近に見てきた私は、学校とか教師とかいうものの正体を全く知らなかったわけではない。そのとき私が見たものは、塀の上にさらに高く鉄条網を張り巡らせ、校門には完全装備した機動隊員がジュラルミンの盾を並べて、学生を構内に一歩も入れまいとする光景であった。学生が一人もない学校! こんな滑稽さを、しかし笑おうとした人はいなかった。

 機動隊の手を借りるまでもないということがわかると、けなげにも、背を丸めた教授たちや、教授会の命を受けた講師や助手連中が、運動家の学生たちを構内に入れないために門番をするようになった。そして、学生と揉み合いになたとき、「こいつが私を殴った」と、学生の一人を警察に突き出した講師の(そして今は大学当局の要職に就いておられる)K先生。私は、あなたが誰からも殴られなかった一部始終をずっと目撃していたのですよ!

 学校や教師のダメさ加減に深く失望していたはずの私が教師の道を選んだのは、ダメな教育現場に理想の灯をともそうと思ったからでは全くなく、ただ単に生活の糧を得るためにすぎなかった。その意味で、私は正真正銘の「デモシカ教師」であった。この称号は、しかし、私にとってはまんざらでもない。なぜなら、デモシカであったからこそ、十九年も教師をやっていられたのだし、また、デモシカであることによって、学校や教師のダメさ加減から少しは免罪されるであろうから。

 「いいインディアンは死んだインディアンだ」と騎兵隊の将軍がこぼしたという。死んだインディアンはもう自分たち白人に抵抗しないからと言うのだ。しかし、あの言葉の本当の意味は、果敢に闘ったインディアンは早々と抹殺され、腰抜けばかりが生き残ったということではなかったのか。生き残った腰抜けが、今や幅を利かせてのさばっているのが学校である。20年も30年も学校の教師をやって、存在も意識も「ガッコウのセンセイ」になり切っていながら、自分はまだ子どもたちにとってかけがえのない存在なのだと信じて疑おうともしないお前――お前こそ学校教育をダメにしている張本人ではないのか。はっきり言おう、「学校は腐敗の坩堝、教師はみんなインポ」である。「くそったれ」とは、実は19年にわたる自分の不能さに献上する訣別の辞なのだ。

 以下に述べることは、ヒラ教諭で己の生を完うしようと想っていた者が、思いがけず初志を貫くことができない状況になり、職を辞するにあたり、子どもたち(特に「出来ない」と言われる子どもたち)に対して教師がいかに蒙昧・非道であるか、恥多き己の所業を総括しようとするものである。私は、進学二流校の私立高校の教師であったという自分の限られた経験の範囲を決して逸脱しないつもりである。しかし、私の勤めていた学校はごくフツーの私立高校であったから、私の経験したことは日本の教師たちがかかえる問題とも共通していると言ってよい。どこの学校も同じだという、この画一性がまた日本の学校の問題でもあるのだが。





II.学校は何をするところか

 学校は教育をするために設置されたひとつの施設にすぎない。この謙虚さを忘れると(そして、教師たちはよく忘れるのだが)、目的と手段とが顛倒することになる。「学校なくして教育なし」、これが、学校教育にかける教師たちの自負を表しているうちはかわいいが、いつしか本気でそう思い込むようになり、その時から学校は存続することが至上命令となる。それは教師たちの死活にかかわるから、彼らにとっては切実な問題である。

 学校が存続するためには名前を売らなければならない。名前を売るにはどうすればよいか。何でもいいから他の学校のしないことをする、あるいは、既にしていることでも、それを過度に、過激にやって、これを学校案内のパンフレットにゴチック体で宣伝することである。例えば、有名デザイナーに制服をつくってもらって宣伝したり、物差し片手にスカート襞の0.5cm を計測して、しつけのゆき届いた指導と自慢したり、もっと安易なのは、校則を守らない生徒が多ければ、個性的でのびのびした校風と称するがごとくである。教師という人種とつきあっていれば、ものは言いようだということがよく学べるはずである。

 だが、もっと宣伝効果の大きい方法がある。それは、何でもいいから全国大会で優勝することである。何でもいいと言っても、文化系クラブでは世間の騒ぎぶりも地味であるから、できるだけ体育系クラブがよい。夏の甲子園は、野球部の生徒のみならず私立高校経営者にとっても夢である。たとえ甲子園でなくても、地方予選で三回戦まで勝ち進んでくれれば、その年の広告料を稼いでくれたことになる(そうである)。

 何が何でも全国大会で優勝したいと思っているだけなら、たわいなくって大した問題でもない。問題は、それが学校の知名度を高めるための単なる手段にすぎないということである。しかし、名前には質も伴わなければならない。名前に質を付与してくれるのが、大学への進学率である。有名になる、受験者が増える、それだけ大学受験に対応できるタマも増えるだろう。進学率が高まれば、ますます有名になる……。教師の発想は、恥ずかしいぐらい短絡的である。

 1974年から、日本の子どもの出生数が減少期に入った。この年に生まれた子どもたちが高校に入るのが1991年、大学に入るのが1993年からである。「学校がつぶれる!」との危機感は、学校経営者と教職員組合とをみごとな同志的関係に結びつけた。「偏差値」「輪切り」「選別」など、悪の代名詞のように用いられていた言説が、いつの間にか姿をひそめてしまった。学校生き残りを賭けて、それぞれの学校は特別進学コースを設置し、学校案内のパンフレットの冒頭にゴチック体で書き込んだのである。

 しかし、いくら進学率を高めても、まだ不十分である。親たちが求めているのは、どこの大学に合格したかという実績である。東大に入ったか入らなかったか、入ったとすれば何人入ったかで、みごとに序列がつけられる。不幸にして京大にさえ合格者を出していないような二流・三流校は、その合格者一人を出すために学校あげて血のにじむ努力を強いられる。学校あげてと言うのは、努力させられるのは、合格の可能性のある当人や教師たちだけではない。その他大勢のフツーの生徒たちも、その選ばれた生徒の勉強の邪魔をしないように、あるいは、「特待生」としての彼らの授業料を肩代わりするために、努力しなければならないのである。

 要するに、学校というところは、みずからが生き残り、生き続けるために、平気で子どもたちをダシに使うのであり、それが非難されないのは、それが子どもやその親たちの利益に合致しているとの幻想があるからにすぎない。なぜ幻想なのか。利益に与かるのはほんの一握りの者にすぎず、その他大勢の者たちは寄せてもらってはいないのだということに、誰も気づこうとしないからである。

 学校も人気商売のひとつであってみれば、その利用者が自分は利益に与かっていると思ってハッピイな気分になるのは勝手だが、現場の教師までが同じような気分に浸っているのは困ったものだ。彼らは、自分たちのやっていることが実は学校生き残りのための教育だということに目を向けようとはしない。学校という組織体があり、組織体には組織体としての思惑があるが、それとは別個に真正な教育の理念があり、自分たちはその教育の真正さを守っているのだと思っている。文学的に表現すれば、教育とは泥中に蓮を咲かせる営みであるというわけである。特に教団の建てたような私立学校の教師には、そういった精神主義の傾向が強い。受験体制は無視できない。しかし、それに執着することなく、これを超越せよ。そこにこそ悟りがある、とい うわけである。

 要は、彼らの論理はこうである。学力さえ身につけば、いくらでも大学に入学することができる。大学に入学したということは、学力が身についたということだ。だから大学入試のための勉強をして何が悪い、と。彼らには、逆は必ずしも真ならず、という命題は通用しない。かくして我々は不毛な「学力」論争の泥沼に引きずり込まれる。不毛なと言うのは、皆がああだこうだと議論しているうちにも、現実の学校の教育状況だけは、ある一定の方向に確実に動いているからである。もしかすると、学力論争は、そのことに気づかせないための目くらましなのかもしれない。現場の教師たちは、もっと自分の眼の前の生徒に目を注ぎ、その苦しみを自分の苦しみとすべきではないのか。そこにこそ、実践的課題がおのずと見えてくるはずである。





III.クラブ推薦制度の実際

 今年度、大阪の某私立大学における入学試験問題漏洩事件をきっかけに、大学のクラブ推薦制度が世間の注目を集めたようだ。
 記者会見の席で、その大学の理事長が思わず漏らしたという、「うちのような知名度の低い大学が、(今回の件について)全国中継で報道されようとは、思ってもみなかった」と。
 この理事長発言には、〃どこの大学でもやっていることなのに、なんでうちだけが血祭りにあげられるのか〃と、言いたくても言えない恨みがにじみ出ている。入試問題のコピーをそのまま持ち出したというM教授のドジさは非難されても、彼のクラブを強くしたいという無私さは、充分に信ずるに足る。

 大学のみならず高校においても、クラブを強くして学校の名前を売るために(もちろん、現場の教師たちはこんな露骨で下品な言い方はしない。子どもたちの能力の多様性を生かすために、と言うのである。おためごかしが大好きなのが教師の特性の一つである)、クラブ推薦という入学方法を採用している学校が多い。簡単に言ってしまえば、成績が悪くてもクラブ顧問の推薦によって入学できる制度である。こうして、優秀な選手には、中学から高校・大学に至る一本の輝く太いレールが敷かれているのである。

 優秀な選手ほど数が少ないから、その獲得のために各学校がしのぎを削ることになる。先ず第一に、その学校の当該クラブが強いかどうか、つまり、ここでも知名度が問題になる。第二に顧問同士のコネがあるかどうか。たいていは〇〇体育大の先輩・後輩で派閥をつくることが多い。しかしながら、義理と人情だけで資本主義の世の中が動くわけがない。入学にあたっての条件が幾つも付け加えられることになる。授業料は免除かどうか、入学支度金はあるのかないのか、優秀な選手一人につき二人の行きどころのない生徒を同時に入学させてくれるのか否か……など、その闇の深さは外から(教師自身も)窺い知ることはできない。こうしてでき上がった体育系クラブ中心主義は、文科系クラブを窒息させたのみならず、あまりに専門化しすぎて、初心者のクラブ参加を困難にさせる要因ともなっているのである。今や学校に文化の香りは ないと言っても過言ではない。

 制度があれば、これを悪用する者も必ず出て来る。受け入れる側から言えば、クラブ推薦を希望している生徒が、その種目において本当に優秀であるかどうかは、各種大会での成績以外は、潜在能力があると言う顧問の発言を信ずるしかない。生徒の側から言えば、最大の目的は、とにもかくにも先ず高校に入ることである。私が勤めていた学校では、この制度のおかげで家を一軒建てたという顧問教師の話はさすがにまだ聞いたことはないが、入学後できたらクラブを辞めたいと言う生徒は何人もいる。
 ただし、入学のためだけにこの制度を利用するという不埒を防ぐために、クラブを辞めたら退学をするという念書をとっている顧問が多い。中には、その念書を後生大事に金庫に保管し、事あるごとに生徒に見せつけるという顧問もいるらしい。しかし、この念書にどれほどの威力があるのかを実際に試してみた生徒はまだいない。試す前に、顧問、担任などが寄ってたかって退学に追い込んでゆく。クラブ推薦で高校に入ったものの、クラブを続ける気力が失せ、といって、クラブをやめたら退学しなければならず、学校に出て来られなくなり、そのまま「進路変更」の名目のもとに消えていった生徒も多い。しかし、教師の「けっぺき」癖は、制度の非情さを反省するところには向かわず、自分たちのつくった制度が利用されているのではないかという不信ばかりをあげつらうのである。利用されてたまるか、不埒なやつには死を!というわけだ。

 ところで、この制度が真に問題なのは、この制度には初めから終わりまで後ろめたさがつきまとっている点である。先ず第一に、動機が不純である。既に述べたように、ペーパー・テストに偏らず、子どもたちの能力の多様性を生かすというのは建て前で、実際はクラブを強くして、学校の知名度を高めようとの魂胆から生まれた制度である。第二に、これも既に述べたことだが、入学のさせ方そのものに、不正のつき入る隙がいくらでもある。この制度を利用する生徒は、「クラブ活動の方さえ優秀であれば」といって、「成績の方はどれほど悪くてもいい」というわけにはいかない。そこで制限が設けられる。例えば、内申書の成績が25(オール3に2が二つといった内容)以上というようにである。この数値は、高校での学習についてこられるはず だという勝手な見込みのもとに決定される。ところが、この内申書というのがまた問題である。中学校から送られてくる内申書は、公立高校に提出されるものは3学期のものである。しかも、全生徒の成績一覧表と共に提出しなければならないから、勝手な書き替えはしにくい。ところが、私立高校には2学期の成績が提出される。クラブ推薦を受けようとする生徒が、2学期だけ特別に頑張ったということは、大いにあり得る。かくして、オール3の成績の生徒のはずが、蓋を開けてみたら、オール2やオール1だったとしても、別に怪しむに足りないというわけである。

 しかしながら、この制度の真の後ろめたさは、ほかならぬ教師自身(クラブのために学校はあるのだと信じている顧問教師は別にして)が、学校にとってクラブ推薦という制度は「ないに越したことはない制度」だと考えているということである。したがって、クラブ推薦の生徒は過渡的存在として、この制度がなくなる日まで(つまり、クラブ活動の力には見るべきものがあっても学力は劣るという生徒に、もはや全く入学していただかなくても何らの支障もなくなる日まで)日陰者の扱いを甘受しなければならない。入学前は優秀な選手だと持ち上げられても、入学後は、高校三年間、一般の教師たちから、「お荷物」「厄介」「お客さん」といつも眉をしかめられながら、教室の片隅で息をひそめて過ごさなければならないということである。さも なければ、教科担当者がすぐに顧問に御注進におよぶであろうし、顧問はさっそく制裁をくらわせるであろう。「おれのメンツをどうしてくれる」というわけである。退部=退学という生殺与奪の権限を持ったクラブ顧問(一介のクラブ顧問が学校長をも凌ぐ恣意的な権限を不文律で持っていること自体が問題である)、しかもその顧問は及落の判定権を持った一般教師(各教科担当者)に頭が上がらないとなれば、生徒は身の置きどころもない。

 それなら、クラブ推薦で入ってくる生徒たちだけのクラスを別につくったらいいではないか。これを「運動科」とでも「スポーツ科」とでも、名称は好きにつければいい。そうすれば、他の生徒たちの授業がもっと進むし、本人たちも、今のようにちんぷんかんぷんの授業を聞かされているより、自分と同じくらい出来のわるい集団の中で、「わかる授業」を受けて幸せなはずだ、という議論が当然のことながら出てくる。クラブ顧問の多くは、クラブ推薦で入学してくる子はクラブさえやっておればいいのだと思っているから、自分の命令が絶対であるクラスを夢想して、もうそれだけでうっとりしてしまう。
 一般の教師たちも、「アホといっしょにしたら、アホがうつる」と考えている者が多いから、なかなかの名案だというので、賛成の挙手をしようと、てぐすね引いて待っているありさまである。「習熟度別」とか「到達度別」とか「学力別」とか、言い方はもっともらしくいろいろに変わっても、要するに、「アホがうつっては、お互いに(うつす方も、うつされる方も)気の毒だ」という考えが発想の根底にある。
 確かに、わからない授業よりも、わかる授業の方がいいにきまっている。しかし、高校生が中学生の授業を受けて幸せなわけではない(彼らには自尊心があるのだ)ということを、教師たちの多くはなかなか認めたがらない。

 姿・形はいろいろに変わっても、教師たちが議論しているのは、要するに、「お荷物」たちをどうやって学校に囲い込んでおくかということである。子どもたちを利用できる間は利用し、不必要となったらいつでも切り捨てられるように、体制の片隅に日陰者として飼っておくがごとき制度とは、教育の場においていったい何であろうか。
 しかし、子どもたちのそういう抑圧に心を痛めているような教師はほとんどいない。一般の教師たちが気にしているのは、生徒のことではなくて、自分のこと、自分が持っている評価権の権威をいかにして守るかということである。100 点満点のテストで10点代や時には一桁の点数を取る生徒に単位は認められない。と言って、クラブをさせるために入学させた生徒を安易に落第させるわけにもいかない。おまけに担任やクラブ顧問が、落第するかも知れないと、教科担当者の間を走り回っている。何が何やらわからないうちに、いつしか学年末になって、蓋を開けてみたら、9科目も赤点のあった子が、赤点1科目になっているという滑稽を演じることになる。「赤点の数が少なすぎる。評価が甘いのではないか」と、この制度を導入した張本人である管理職が難癖をつけるという破廉恥なおまけまでついてである。

 しかしながら、実を言うと、私はこの制度に積極的意義を見出す努力をすべきだと考えている。その積極的意義とは、学力(それもペーパー・テストの成績)という単一の基準によって子どもたちを評価してきた従来の方法を廃して、子どもたちの能力は多様であることを認め、その多様さを評価する立場を(口実であれ、何であれ)とっているということである。これを突破口として、教育の在り方を大きく変えられるのではないかと思うのである。

 ところが、事はさように簡単には運ばない。子どもたちの能力は多様であることを認める――これは、教師たちが現状から少しばかり姿勢を変えればできることである。しかし、その多様さを評価するとはどういうことであるのか。「よくできました」とほめてやることなら、いくらでもできる。だが、それを評価するとなると、問題は別である。評価はそのまま内申書の内容となり、子どもたち一人一人の進路を決定するのだ。教師が評価にこだわり、あれほどまでにペーパー・テストの呪縛から逃れられない理由もここにある。
 そもそも、学力というものが測定可能かということ自体が問題であることを、教師は知らないわけではない。数値によって測定可能なものしか価値を認めないところに、「学校」の問題があることもよくわかる。そして、客観性を求めれば求めるほど、測定されるのはある限られた特定の領域でしかないということも、そのとおりであろう。しかし、一片のペーパー・テストによる評価をどれほど非難されようとも、これは何がしかの客観性・公正さを保証してくれる。教師が自分の専門性を賭けて、おまえには能力があるといくら言っても、生徒も親も、一片のテストの結果ほどには納得してくれないのである。





IV.出来ない子は何が出来ないのか

 クラブ推薦制度によって(つまり、入学試験の成績によらずに)入学してくる生徒たちは、いったいどれぐらい出来ないのか。

 この制度を利用して入学してくる生徒たちの名誉のために言っておかねばならないが、彼らはみんながみんな成績劣等であるわけではない。中には、成績優秀であるにもかかわらず、クラブに憧れてこの制度で入学してくる生徒もいる。しかしそれは例外的である。多くは入学試験に届きそうにないから、この制度を利用するのだし、また、そのための制度にほかならない。
 私の勤めていた学校では、推薦制度で入学を認められた生徒も、一応入学試験を受けなければならない(生徒が、もう試験勉強をしなくてもいいと思って遊びまわらないようにという、いかにも教師らしい思いやりからなのだ)が、入学試験では、500 点満点の試験で、入学最低点よりさらに二百点も下、実に全受験生の最下位で入学してくる場合もあるのである。ところが、愉快なことに、入学後、この生徒たちがクラスの最下位になるとは限らないのである(何の操作をしなくてもである)。

 教師たちから「出来ない」という烙印を押された子どもたちは、何が出来ないのか、いったいどれくらい出来ないのか、なぜ出来ないのか……、そういったことに疑問を持った私は、クラブ推薦生徒の中でも成績の低い子の担任を意識的に引き受けてきた。
 そしてわかったことは、この子たちの理解力は他の生徒と決して遜色がないということ、先ほど挙げような、合格最低点よりも二百点も下、全受験生の実に最下位の成績をとる生徒にしてそうであるということ、しかも、入学後、この子たちがクラスの最低になるとは限らない(入学試験を突破した生徒たちの方が下位に転落し、一位から四十数位までの切れ目のない成績の序列がつくられる)ということである。これは何を意味するのか。

 佐伯胖は、『「わかる」ということの意味』(岩波書店)の中で、やる気のない子の心裡を見事に分析してみせてくれている。やる気のない子は、むしろ、やる気の根源ともいうべき要求をありあまるほど持っている、と彼は主張する。その要求とは、
1)自分が外界の変化の原因になりたいという要求、
2)自分には何らかの「能力」があることを認めてほしいという要求、
この二つである。
 しかるに、親も学校も、子どもたちが持っている根源的な要求を育み養おうとはしないで、試し(やらせる)、観察し(できない)、ばっさりと評価を下す(能力がない)。その結果、子どもたちは、自分が外界の変化に対して原因になれないのではないか、他人に「能力がない」と評価されるのではないかという不安に怯え、やる気のある子ほどやる気を出せない状態に陥る。

 「誰だって、努力すればできるようになるでしょう。ボクだって、その気になってやれば、どんなことだってできるにちがいない。『それじゃあ、全力を傾けて努力しなさい』と先生はいうかもしれませんが、どっこいそうはいかないのです。なぜなら、もしも『全力を傾けて』努力しても何の効果もあがらなかったらどうします? 結局は、本当に『能力がない』とされてしまうでしょう。だから、なるべく『中程度』の努力でとめておくのです」。

 こうやって、やればできるはずだという可能性を守るため、やらない・やれない状態をデモンストレーションしているうちに、本当に、なにも出来なくなってしまったのだ、と言うのである。

 私は佐伯のこの分析を見て、目のさめる思いがした。出来ない子は何が出来ないのか。やる気を出すことが出来なかったのだ。そして、子どもたちにやる気を出せないように仕向けている張本人が教師たちではないのか。
 私が最後に受け持ったクラブ推薦の子は、もちろん全体的に成績が悪いのであるが、特に英語がさっぱりであった。聞いてみると、中学の教師に、「おまえは出来なくてもいい。そのかわり単語を覚えろ」と言われ、試験のたびに文脈も意味もわからないままに英単語を暗記し、それで人並みな評定をもらって卒業してきたと言う。何ものをも意味しないアルファベットの羅列を覚えさせられる苦痛を、その教師は何と考えていたのであろうか。

 しかし、出来ないというのは、単にやる気を出すことが出来なかったという結果(やる気がない→やらない→出来ない)にすぎないのであろうか。彼らの人並みな理解力と彼らの出来なさとを比べ見ていると、彼らには、出来ないことへの意志、出来ることを拒否する姿勢があるように思えてならない。

 私の勤めていた学校は中学校を併設している。(私立中学校は存在自体が越境入学という問題性を含んでいるが、今はふれない)。一クラスの生徒数は約三十五人、学年二クラス。高等部は外部からの編入生徒を加えて三クラスにして、世間で言うところの特進コースを形成する。中・高一貫教育を標榜する私学の典型的な姿である。この高等部一年を落第した生徒が二人、フツーのコースの私のクラスに入ってきたことがある。一年生の再履修である。ところが、成績は最低。学年共通のテストでも、群を抜いて悪い。すべてのテストは、この二人が典型的な「出来ない子」であることを証明している。

 しかし、実を言うと、私はこの子たちが中学一年生の時に担任をしていたので知っているのだが、特に成績の悪い方の子は、中学の入学試験では上位の成績で入ってきたのだし、もう一人の子の知能指数は学年でもトップ・クラスであった。この子たちが、四年後には、「箸にも棒にもひっかからない」子として、再び私の前に暗い顔を並べている。

 本人はもとより、親とも面談を繰り返し、成育歴もつぶさに聞いたが、やる気をなくした原因を、これと言って指摘することはできなかった。生活の急変があったわけでもない。親が甘いと言えば甘いが、特にというほどでもない。口うるさいと言えば言えるが、現代では普通のことだ。もしかすると、自分にかけられた一切の期待を拒否するために、「この子は出来ないから仕方がない」とあきらめさせるために、出来ないふりをしているのではないかと想ったが、本人たちは曖昧に否定するばかりである。
 これと言って原因を指摘できないということは、逆に、それがさまざまな要因の絡まった無意識的反応であることを示しているのではないか。私には、彼らがあれほどまでに出来ない子でいるのは、出来ることを拒否し、出来ないことを意志しているのだとしか思えない。問題は、それを本人もわからない、無意識のうちにやっていることである。

 この二人の場合は、理由はともかく、やる気のないことが出来ないことの大きな原因になっていると言ってよい。しかし、出来ることを無意識のうちに拒否しているのだとしたら、いかにもやる気があるように見えながら、しかも出来ないという場合もあり得る。そうなると、本当に出来ないのかどうかの見分けはつけにくい。ただし、そういう子にかぎって、「おれは、アホやから」と、自分の方から先に防衛線を張る者が多い。あたかも、アホを売り物にすることによって、誰にも知られない自分を城壁の中にかくまっておこうとするかのごとくである。

 そんな子を三年間担任したことがある。確かに概念的な把握の仕方に弱いところがあるようにも見えた。しかし、それは、そういう問題をやってみて出来なかったと言うより、初めからやろうとしない(考えてみようともしない)ために、そう見えたのかも知れない。定期考査前に、数学の担当者が補習を試みてくれたが、一時間もしないうちに、「頭が爆発しそうだ」と言ってグランドに飛び出して走り回っていると報告してくれたこともある。
 定期考査の一週間前にはクラブは自主トレーニングになる場合が多いが、耳にウォークマンを聞きながら練習している。ふざけたやつだと思っていたら、理科の教科書の文章をそっくりテープに吹き込んで、それを丸暗記しているのだと、その子の級友がこっそりと教えてくれた。
 やる気があると言えば、これこそやる気の塊だと言ってよい。そんな涙ぐましい努力をしても出来ないのだから、この子こそは本当に出来ない子なのだろうと私も半ば確信していた。

 この子は、高校を卒業して警察官採用の試験を受けたが不合格。牧場をやると言って北海道に出かけたが、もう牧場の時代ではないと言って、三年目に帰ってきた。そして、この四月、インストラクターの資格を取るために自力で勉強を始めたと伝えてきたところである。この子は、本当に出来ない子であったのか。

 出来ないことへの無意識的な意志、出来ることを無意識的に拒否する心理状態、これを私は tabula rasa と名づけたい。 tabula rasa とは、与えられた知識を次々と書き記してゆくことのできる白紙という意味では全くなく、与えられた知識を書き留めることも刻み込むことも拒否するような白紙という意味である。やる気のあるなし以前の、もっと深い心理過程で、彼らは出来ることを拒んでいる。
 「出来ない」と言われる子どもたちはそうやって何かを必死で守っている。その何かとは、おそらくは、彼らの自尊心であろう。彼らは、「自分がついには何ものでもないのではないか」ということに怯えている。この怯えがあるから、彼らは自分のまわりに壁を築き、外界からのお節介から身を守ろうとする。そして、自分に期待をかけることを諦めさせることによって、あるいは、こいつはバカだと見限らせることによって、誰にも知られない自分が傷つかないようにしているのではないのか。彼らとつきあっていると、その自尊心の高さにこちらが面食らうことがある。

 これが意識下の働きであるために、彼らは客観的な利害得失の計算ができない。落第したり退学になったりするかもしれない不利益も、彼らには実感として迫ってこないのである。自分が落第するかもしれないということは、担任教師から耳にたこができるくらい聞かされているから、彼らも知らないわけではない。にもかかわらず勉強ぶりに必死さがないというので、彼らは教師の心証を著しく害することになる。

 クラブ推薦の子にはクラブ活動という、まだ自分が生きられる場があるし、教師たちも初めから出来ないのだからとあまり相手にしない。(実は、それが彼らの意識下の狙いであったのかもしれない)。しかし、そのクラブ活動の場は技能の差が歴然としている。そこにおいても自分の存在価値に喜びが見出せないとしたら……。また、クラブという場さえない一般の「出来ない子」たちは……。彼らは怠学か不登校か見分けのつかぬ曖昧さの中に、いつしか学校から姿を消してゆく。
 先ほど挙げた二人の落第生について言えば、一人は再修一年目の二学期で学校をやめた。(ただし、自分のかつての同級生たちが大学に入ったのを見て、自分で勉強を始めたことを付け加えておく)。もう一人は、二年目に学校をやめてしまった。いずれも、不登校傾向の果てにである。





V.出来る子は何が出来るのか

 定期考査の成績がいつも満点に近く、それゆえ評定も高得点を並べ、特別推薦で(というのは、一般入試では届きそうにないから)大学に入ってゆく生徒がいる。
 子どもたちの中には、こちらが羨ましくなるぐらい本当に力のある生徒がいる。私が今言っているのは、そういう生徒ではない。また、テストの結果はそれほどよくなくても、力のあることがわかる生徒がいる。今言っているのは、そういう生徒でもない。定期考査には驚くほど高得点を取るのに、学力的にはむしろ弱いと言っていい子どもたちのことを言っているのだ。
 こういう子どもたちを教師たちは「出来る子」と呼んでいるわけだが、考査や評定の高さに比べて、実力テストになるとせいぜい半分程度しか得点できないので、教師たちに首をかしげさせ、あるいは、輪切りによって自分たちの学校にくる生徒層の「弱さ」を嘆かせることになる。しかし、彼ら「出来る子」は、どうしてあれほど高得点を取ることができるのかと、逆に疑ってみるべきではないのか。

 彼らは、何が面白いのか、ある日突然「勉強の虫」になった。おそらく一日に4〜6時間は勉強していよう。しかし、学習内容についてよく理解できているわけではない。よくはわからないままに、いや、むしろ、よくはわからないがゆえに、彼らは徹底的に暗記してゆく。その精勤さには、鬼気迫るものがある。たかが紙切れ一枚のテストに、あれほどの点数を取るのはフツーではない(これは個人的感想にすぎないが)。しかし、理解しないままの記憶であるから、知識が彼らの頭の中に定着することはない。そういう意味では、彼らの頭の中もやはり白紙(tabula rasa)だと言ってよい。

 彼らをあれほどまでに「勉強の虫」に動機づけているものは何か。比喩的に言えば、特殊合金の壁に知識を刻み込むような努力をする気にさせているものは何であろうか。よくはわからない。しかし、私の知る限りでは、彼らは中学校段階ではそれほどよく出来たわけではなかった。しかし高校に入ってみたら、いつも自分の上にいた者たちはおらず(そういう者たちはもっと上位の進学校に行ったのだ)、いつしか自分がトップであることに気づいた。その嬉しさ・誇らしさが、彼らの動機になっているとみた。しかし、トップを維持しようとする者は、他者との比較でトップであるという程度では、不安に押し潰されそうになる。だから、彼は満点を取らない限りは満足できない……。彼らの精勤さには、どこか神経症的なところがある。先に「鬼気迫る」と言ったのはそのことである。

 このような「出来る子」よりもむしろすぐれた理解力を持った生徒は、「出来ない子」との中間層の中にこそいる。この中間層が生徒の大多数をなしている。実を言うと、私の言う tabula rasa は、もっとも平均的なこの子たちを見ていて思いついた概念にほかならない。彼らは十分なやる気と理解力とを持って入学してくる。勉強ぶりもなかなかのものだ。しかし、一学期の中間考査が終わると、急速にやる気をなくしてゆく。夏休みを終わって二学期になると、彼らの頭の中は真っ白である。もう一度一学期の復習から始めなければならない。三学期になったら、また一学期から繰り返さなくてはならない。知識が積み重なるということがない。「お前たちの脳みそには皺ひとつない、つるつるすべすべの脳みそなのか」と教師たちを嘆かせる所以である。

 彼らはなぜああなのか。理由はいろいろ考えられようが、彼らには勉強に対する拒否反応があるのではないかと考えた。彼らと個人面談してわかったのだが、高校入試は、彼らにとって想像以上の重圧であったということである。少しでも「いい高校」にという以前に、高校に入れないのでないかという不安が彼らを駆りたてている。
 九十何パーセント、百パーセントに近い者が進学しているという事実は、彼らを安心させるどころか、逆に、高校に行けないその数パーセントの中に自分が入るのではないかという不安となって彼らをとらえ、恐怖となって彼らに襲いかかるのである。この重圧は、自分のまわりの友だちが次々と塾に通い始め、中学校が導入している業者テストの繰り返しによって、いやましに増幅される。子どもたちの勉強とは、ほとんど神経症的な積め込みになっていると言える。

 そういう子どもたちが高校に入ってくるのである。私のクラスの生徒がこう打ち明けてくれた、高校の合格発表を見たとき、これで「一生」勉強しなくてもいいと思った。その時の解放感が忘れられない、と。
 ところが、高校は自分たちを遊ばせてくれる(この非主体性をみよ!)ところではない。遊ばせてくれるどころか、中学校と同じように、知識の積め込みを強要してくるのである。何のために?
  親も教師も「大学に入りたかったら」と言うけれど、落ちる者数パーセントという高校入試の修羅場を生き抜いてきた子どもたちにとっては、落ちるのがあたりまえのような大学入試ごとき、どうして脅しになろうか。(この発想の違いをみよ! 彼らは少数派になることが常に怖いのだ!)。脅しになるのは、せいぜい及落ぐらいのものである。だから、落ちない程度に努力すればいい。彼らの理解力をもってすれば、高校の定期考査の問題ぐらい、一夜漬けで間に合う。自分が間に合わないときは、クラスのみんなも間に合っていないのだから、恐るるに足らない。
  「学年をおって学力が落ちている」とよく言われるが、落ちているのではなく、学習内容は進んでも、彼らの頭の中がもとの状態にとどまっているにすぎないのである。

 tabula rasa とは、わかりたくてわかったのでないような知識の修得は拒否する心の働きと言うこともできるかもしれない。そうすると、tabula rasa は至って正常な反応であると言える。この心的な構えに、他の何らかの要因が加わったとき、彼は「箸にも棒にもひっかからない」ような成績をとり続けるようになるのだろう。いわゆる「出来ない子」の誕生である。これに反し、「出来る子」は、いかにもよく勉強しているように見えるのだが、彼らは個別的な知識の積め込みに異常な努力をもって順応しているだけのことであって、それが彼らの能力を開発する方向には決して進んでゆかない。彼らも結局は深いところで tabula rasa なのである。

 以上のような分析がもしも正しいとするなら、我々の取り組むべき最初の課題は、生徒を tabula rasa の状態からいかにして抜け出させるかということのはずである。
 しかるに高校の教師たちは何をしているのか。粗悪な甕に水を移し替えて、その歩留まりを計量し、歩留まりのわるさにただ呆れ、漏れるよりも多量の水を流し込むことを画策するのみ、というがごとき教育方法から一歩も抜け出せていないのである。いや、現実はもっと深刻だと言えるかもしれない。

 すなわち、教師の中でも良心的な教師は、子どもたちが学習の意欲を失ってゆくのは、授業がわからないからだと考える。そこで彼は、学習内容を精選し、系統だて、わかりやすい形に噛み砕いて、きめ細かい指導によってその定着を図ろうとする。こういう良心的教師の採っている方法を私は「項目主義」と呼んでいる。
 彼ら良心的な教師は、自分たちの方法は個別的な知識の積め込みではないと言うのだが、どれほど系統的・発展的に整序された学習内容も、各々の一段階は子どもたちにとっては学び取るべき項目に堕するしかないのである。子どもたちは、教師が項目化してくれた事柄を覚えれば、それで進級という関門を通過できるわけだから、理解するよりも先に暗記しようとする。教師の方も、いくら学ぶ面白さ、知る喜びを力説しようとも、現実の授業の一時間、一時間は教え込むしかないから、いきおい「試験」だの「赤点」だの「進級」だのといった脅しによってしか、tabula rasa の状態にある子どもたちの心を授業にひきつけるしかない。そのため、よけいに子どもたちは内在的な動機づけを失って、項目の暗記にと駆りたてられる。……こうして、教師が良心的であればあるほど、そして、生徒が真面目であればあるほど、悪循環の陥穽にはまり込んでいる現実があるのである。

 「わかる授業を!」というスローガンが叫ばれて久しいが、教えるべき事柄があり、それをどうわかりやすく教え込むかに腐心しているかぎり、子どもたちをtabula rasa から抜け出させることはできまい。知識を得るための無味乾燥な努力を何か貴いことのように考えているのは、おそらく教師ぐらいのものであろう。

 ここで私は、古代ギリシャの哲学者の言葉を思い出す。すなわち、「わかっていることは、わかっているのだから、もはや学ぶ必要はない。わからないことは、わからないのだから、学ぶことはできない」。では何ができるのか。「できるのは、忘れていることを想起することだけである。そして、教師にできるのは、その手助け(助産)だけである」。これが、二千数百年来、教育論の本道であったはずである。我々は本道に還るべきではないのか。そのとき初めて、子どもたちが主体的に学び始めるような学習空間が創出されるはずである。

           ※          ※

 「出来ない子」は、初めから出来ない子であったわけではない。まわりの大人たち(社会)が寄ってたかって、出来なくさせたのだ。また、「出来ない子」は、出来ないままで終わるわけではない。内的要請を自覚すれば、彼らは教師の助けなどなくても、自力で学び始めることだってできるのだ。たかがその程度のことを教え込もうとする教師に対する子どもたちの側からの拒否、それが tabula-rasa だと言っても過言ではない。
 しかるに、現代の教師たちは、ソクラテス、プラトンが口を極めて非難した「知識の注入」という、ソフィスト流の教育論の頑迷な信奉者になり果てているのである。
 彼らの頑迷さを支えているものは、おそらくは、知識体系の普遍妥当性に対する信仰であろうと考えられる。学校で教えねばならないとされる知識体系は、本当に普遍妥当的であるのか。たとえ百歩を譲って、普遍妥当的であるとしても、子どもたちにそれを教え込まねばならないものなのか。さらに百歩を譲って、教え込まねばならないとしても、学校の教師たちにその資格があるのか。人が人に教えるという僣越を、あなたがた教師は何と心得るのか。

 小沢有作は、部落問題(解放教育)を梃子にして、近代学校を問い直すところまで突き進んだ。そして、近代学校の構造と文化の質そのものが、日々の授業を通して文化的抑圧を再生産しているとして、学校文化の掘り崩しを提唱している。学校文化とは、小沢によれば、そこには三つの要素が含まれている。一つはカリキュラムと教科書・教材、いわば学習内容である。もうひとつは教師の思考のカテゴリー。三つ目は教師と生徒とのかかわりかたである。この三つの要素が集約され具体化する場面が授業だと言うのである。

 「授業が、できあがった知識の体系を、師ー生徒の上下関係のなかで、教師の既成概念をとおして展開されていくならば、それは、それを受ける子どもにとって自分の問題とかかわりなく与えられたものとなり、客観的には文化的抑圧の働きをするものです。子どもはそうした知識を受容し、それに適応すればするほど、自分の人生・課題が見えなくなってきがちです。それとは逆に、子どもの生活・課題があって、それを教師が読みとり、それを解く教材を選びながら、授業をともにつくっていくようにすれば、これは、その子らにとって文化的解放の意味をもつものになりましょう。日々の授業において、文化における抑圧(差別)と解放の闘争がくりひろげられている、と思うのです」(『部落解放教育論』社会評論社)

 もう十年も前に小沢の指摘したことが、しかし、現場の教師たちの耳に届くことはない。「生徒急減期」→「学校がつぶれる」、この危機感が、教師たちをいかに腰抜けに、不能に、卑劣にしてしまったか、私はいくら強調しても強調し足りない心境である。学校は今や教育の論理では動いていない。教師たちの自己保身と経営の論理にしたがって、ある一つの方向へと着実に流れている。(これは何も私学だけの問題ではない)。これが、あるいは、「学校教育」というものの本当の相なのかもしれないが……。その一方で、「我々はどのような世界に生きているのか」「自己の責任において何を為すべきなのか」「為すべきことが為し得ないのはなぜなのか」といった根本的な問題が問われ、これを見抜き、見破ることが、今ほど危急存亡の課題になっている時代は他にないのである。

 この時にあたり、学校の教師たちに何が望めるか? 教師であることに負い目を感じないような教師は信ずるに足りない。国家の装置としての学校、その中における知識の切り売り人、評価権を振りかざす小権力者としての教師、そして、「生徒に対する愛情」と「教育に対する情熱」というオブラートに包まれたおためごかしの偽善、自己義認、ハッタリと無節操・不実さ……、教師らしさの実体はそういったものではないのか。

 そのあなたがたが、己の教師らしさから身を引きはがそうと苦闘するとき(それはまさしく闘いと言うにふさわしい)、そのとき初めて、あなたがたは子どもたちに向かって、共に真理の愛求に向かわんと呼びかける資格を持つ。ここでいう真理とは、あれこれの客観的(普遍妥当的と信じられている)知識をいうのでないことはもちろんである。

 この闘いの姿勢を持っているかぎり、あなたがたが子どもたちの姿を見失うことはないであろう。理解する(understand)とは、下に(under )立つこと(stand )だと教えてくれた人がいた。生徒の下(しかし、そこには、もっと別の、もっと下位におしこめられた子どもたちがいる!)に立ちつづけること。ひとたび生徒の下に立った者は、もうその立場から逃れ出ることはできない。子どもたちを裏切らないかぎりは……。

 「日々の授業において……抑圧(差別)と解放の闘争がくりひろげられている」。さて、あなたがたはどちらの側に立って闘おうと言うのか。
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