青春を誇るべし
風が吹いてゐる、/一本の骨の中に――。/ ☆今、ぼくの心には、なんともうそ寒い風が吹き抜けている。愚痴は言いたくない。言っても無駄なことも言いたくない。とすると、ただ虎落笛(もがりぶえ)のような悲鳴をあげるしかないであろう。以下は、ぼくの悲鳴である。 ※虎落笛(もがりぶえ)……〔季語冬〕冬の烈風が柵・竹垣などに吹きつけて、笛のような音を発するのをいう。(広辞苑) 歌は次のようにつづく。 風が吹いてゐる、 一本の骨の中に――。 骨の中には淋しい息がある。 或る日閉ぢ込められた運命だらうか。 骨の中に風が吹いてゐる。 何者だらう、生きてゐる時ふと聞いた風の声、 空を渡っていく鳥が告げた、この世の異変の前ぶれだったらうか。 無名者よ、おまへの上にどれだけの時間が過ぎていつたのか。 どれだけの風景が変容を重ねつつ……。 今、わたしの上を鳥が叫びながら過ぎる。風が渡る。 そして、雲がたゆみない運動をくりかへしてゐる。 だが、骨よ、おまへは頑なにおまへの時間を守つてゐる。 おまへを囲んでゐた肉が時間の中で削ぎとられた後も、 嘗て在つた者の時間を――。 (鷲巣繁男『行為の歌』より) 裏切ったという思いは、灼けつくような悔恨によって人の心を責めさいなむ。しかし、裏切られたという思いは、もっと深い奈落の底に人をつきおとす。裏切りは、裏切るほうも裏切られるほうも、ともに傷つけないではおかない。 紀元前44年、ローマの独裁執政官ユリウス・カエサルは、元老院議事堂において凶刃に倒れた。何かを嘆願するようなふりをして近づいた(「敵」はいつも親しげな微笑をたたえて近づいて来るものなのだ)一人の合図のもとに、暗殺者はカエサルを取り囲み、次々と刺した。その刺し傷は23カ所に及んだという。暗殺者の中に、自分が最もあつく信任していたブルートゥスがまじっているのを眼にしたカエサルは、「ブルートゥス、おまえもか!」と叫んで絶命した(と、これはシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』に出てくる)。 スウェトニウスは次のように伝えている。”どっちを向いても抜き身の剣に取り囲まれていることを知ると顔を上衣で覆い、同時に左手で上衣の裾を足先まで引き下げたが、これは下半身も覆い隠して斃れても見苦しくないようにするためであった”と(『ローマ皇帝伝』)。 しかし、ぼくは思う。カエサルは裏切り者を見たくなかったのだ。いや、見るに堪えなかったから、彼は長衣(これをトーガというそうだ)に身を包んでしまったのだ。裏切られた者の奈落とは、そのようなものであろう、と。 そろそろと手をのばしてみたが、壁らしきものにも行きあたらない。上の方にものばしてみたが、天井らしきものにも行きあたらない。しゃがみこんで下の方をさぐってみたが、どれだけ手をのばしても何にも触れない。落下しているのかといえば、そうでもないらしい。もちろん上昇しているわけでもあるまい。心もとないのでだんだんちぢこまって、胎児のように丸くなって転がっている。そうやって何年かがすぎた。肩のところをぎゅっとつかんでみると、ひどく骨ばっている。背中がぞくぞくする。背中の皮でも剥がれてしまったのだろうか。どうもそんな気がする。ぽけっとから風呂敷を取り出し、それを広げて上に座ってみる。心もとないが、まだましだ。そうやって何年かがすぎた。ひどい頭痛がするので、頭に手をやってみる。ところがどうしたことだ、頭がない。そろそろと風呂敷の上をまさぐってみる。やっぱりどこにもそれらしきものはない。そのくせ頭のあたりがぎりぎり痛む。あんまり痛いので風呂敷の上を転げまわる。そして自分の身体をすっぽりと包みこむ。まるで荷物のように包みこんで、そうやってまた何年かがすぎた。 (『地下墳墓』) もう一度言っておく。ぼくたちは実に多くの約束を、弁解を、言い訳を、利口ぶった話をする。しかるに、それらが単なるそらごと、たわごとでしかなかったことを、ほかならぬ行為によって実証してしまったとき、それは、実は、言葉がむなしいのではなく、言葉に対する誠実さを裏切った己の人間がむなしいのだということを。 |