JUDI関西 「阪神間らしさを語る」 by 後藤祐介
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4 都市環境デザイン会議(JUDI)
メンバーが語る


■神戸市東部

写真9

まちづくり潟Rー・プラン 小林郁雄

〈阪神間は戸建住宅と遊芸空間のまち〉
 阪神間は大正期から昭和初期にかけて大阪の経済力や神戸港の貿易を背景に質の高い緑豊かな戸建住宅地+都市施設(生活文化施設)=遊芸空間(甲子園や宝塚劇場)の複合体としてつくられた。

   

 (このようなまちのつくられ方からは、 尼崎及び、 神戸市西部は阪神間とはいえない。

   

〈阪神間はセミプロ-B級文化のまち〉
 甲子園、 宝塚歌劇等の遊芸空間は自分達が楽しむために、 自分達でつくり育てて来たものであり、 甲子園はアマの高校野球、 宝塚は少女歌劇であり、 セミプロ、 即ちA級でないB級の文化のまちである。

   

〈神戸市東部は部長のまちから係長のまちへ〉
 このような阪神間の灘区、 東灘区はかつては大阪の会社の部長級が住むまちであったが、 近年は時代の経過とともに、 単に通勤に便利な郊外住宅地としてマンション等も多く建ち、 係長のまちになりつつある。

   

■芦屋市

写真10

褐サ代計画研究所 江川直樹

〈芦屋のアイデンティティは「都市的生活文化」〉
 芦屋のアイデンティティの基本は生活文化であり、 その生活文化を形成している要因としては、 山と海に近い自然立地特性を生かした人間的スケール及び住宅地としての現代性(モダン感覚)、 都市性、 適切なスケールの混在性等があげられる。

   

〈阪神間の連担性の中で〉
 芦屋は、 阪神間の連担した街々の中間にあり、 総てが自立しているのではなく、 適正なスケール、 適度の混在の中で生活文化を楽しみながら、 不足しているものは他都市との連担の中で補っており、 言わば身勝手な都市ともいえる。

   

■西宮市

写真11

潟Iオバ 田村博美

〈「阪神間地域」全体としてのとらえ方が必要〉
 阪神間全体(人口150万人)をとらえてみる必要がある。

即ち、 大阪、 神戸に挾まれた特色あるまちの集合体としてとらえ、 連携し、 ダイナミックな都市圏を構成していけないか。

例えば、 劇場は宝塚、 商業は尼崎、 文学は西宮というように役割分担をし、 又、 都市部から田園ゾーン、 自然ゾーンとしての丹波地域への結節点としての位置づけを行うなどが考えられる。

   

〈西宮は阪神間地域の中での位置づけ〉
 西宮は上記のような阪神間地域の中で位置づけ、 役割を担っていく必要がある。

   

 西宮固有のアイデンティティとしては、 「ハイカラでユニークな都市づくり」「ゆとりある自然環境」等がイメージされる。

   

■尼崎市

鰍ワち空間研究所 白井 治

〈「公害」のまちから「近松」のまちへ〉
 尼崎は従来、 重化学工業の都市として公害、 煤煙のまちとしてのイメージが強かったが、 近年は徐々に近松のまちとしてのイメージを手着させつつある。

   

〈尼崎の3層構成〉
 名神以北の阪急沿線は、 大阪のベッドタウンとして多様な住宅地が展開している。

   

 名神と国道43号の中間は「尼」と呼ばれる義理・人情に厚い庶民の町であり、 国道43号以南は重厚長大型工場地帯の再編と新たなる街への展開が始まっている。

   

■JUDIメンバーが語る:まとめ

奈良女子大学大学院 深谷明子

 4人の専門家から、 阪神間地域各都市のアイデンティティについて話されたが、 阪神間地域全体のアイデンティティのとらえ方を含め、 次のような意見が印象に残った。

   

(1)小林さんからは、 まちのアイデンティティは結果であって目的ではない。

阪神間の復興は、 まちのアイデンティティとは関係なく進んでいる。

(2)江川さんは、 芦屋のアイデンティティは阪神間の連担性の中で都市的な生活文化圏の中にある。

(3)田村さんは、 西宮のアイデンティティを語る前に阪神間全体としてのとらえ方が必要。

(4)白井さんは、 時の経過の中で尼崎市のイメージは「公害」都市から徐々に「近松」のまちへ生まれ変わりつつある。

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