海外都市の密集市街地に学ぶ
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パリの密集市街地とその改善

画像nao014 改行マーク小浦さんからパリのアマンディエ地区の話が出ていましたが、 パリの東北地域は手工業がたくさん集積している地区で、 地区周辺には図11のようなバラック市街地がどんどん成長していった時期があります。 これは、 1868年ですから日本で言えば明治維新の頃です。 フランスでは地主が広い面積を持っていますから、 地主から借りて家を建てていくのだろうと思いますが、 さっきのニューヨークの例のような敷地割りがなく、 多分適当に建てたのであろうと思われる景観です。

改行マーク昔、 こういうところを舞台にしたフランス映画がありました。 貧しいカップルが結婚するとき、 友達が集まって一晩のうちに彼らのために家の屋根と壁を作ってしまおうという話でした。 そうすると居住権が発生するのだそうです。 多分、 家は勝手に造ってしまうものだったのです。

改行マークそうやって、 人がどんどん増えていく時代の街の写真です。 パリにもそういう時代があったのです。

(出典:Spiro Kostof,"The City Assembled",Thames and Hudson,1992)

画像nao015 改行マーク図12、 13は小浦さんのお話に出たアマンディエ地区の再開発前の様子です。 図8(b)の家が密集していくと、 こんな街になりそうだという感じがします。 もちろん、 木もたくさん使われていますが、 各家のベースはレンガです。 構造はレンガで細かい所は木を使っているようです。

(出典:"Paris Projet",nume´ro 21.22)

画像nao017 改行マーク図14は日本の木賃を思い出させるような木造の家です。 若い職人達が多く住むことで、 職住混在の街が生まれてきたわけです。 パリ・ブランドの高級品もかつてはこのような地区で作られていましたのではないでしょうか。

改行マーク70年代にここをスクラップして建て直す話になったとき、 世界的にスクラップアンドビルドへの「抵抗の時代」で、 パリでも見直され、 修復型の地区再生になりました。 その動きはヨーロッパ各地に共通した現象であったと思います。

(出典:"Paris Projet",nume´ro 21.22)

画像nao018a 改行マーク図15(a)のように道路を残しながら、 修復が進められていきました。 図15(b)は、 当初スクラップしてアパートを立てる予定だったのが、 途中でストップしてしまった状態の様子です。

(出典:"Paris Projet",nume´ro 21.22)

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