鶴橋再生のまちづくり ここで日本の密集市街地の街づくりをどう進めていくかを、 鶴橋の例で紹介したいと思います。
もともと研究会を作る発端となったのが、 阪神・淡路大震災でした。 ああいう地震が大阪で起きたら、 鶴橋は長田と同じように焼け野原になってしまうだろう。 鶴橋を何とかしなくてはという思いでスタートした研究会です。
80〜100m間隔で地域の南北方向に3本、 東西方向に1本の道路を入れたい、 とにかく消防車が入れる道路を作ろうということがみんなの意見です。
出来上がった街区は鶴橋駅のすぐ南、 地区の北半分が商業を中心としたブロック、 南半分が住宅を中心としたブロックです。
モデルプランを描こうということになり、 数案つくったのですが少人数でつくったプランでは反対されるに決まっているということになり、 まずは足下を固めるため組織体制づくりを進めようということになりました。
分科会の下に、 地主さん同忠、 工場の人達など大体班単位の小グループを作ってそれぞれ話し合うシステムです。 一つの分科会で15ぐらいの小グループがありますから、 全体では90ほどの小グループができ、 住民はどれかのグループに参加します。
これだけ沢山のグループになるといちいちコンサルが説明に行けませんので、 ビデオを作ろうということになりました。 この2年間研究会で勉強してきたことを20分ぐらいのビデオにし、 100本ぐらいダビングして、 各集会で見てもらいます。 その小グループから街づくり研究会に参加できるメンバー、 特に若手と女性にきてもらって街づくり研究会の組織を強化しようということです。
そのビデオも、 地域のビデオ愛好会(生野区視聴覚教育協議会)が実費で、 撮影・編集してくれることになっています。 こういうやり方で、 住民に街づくりを知ってもらうのは私たちも初めてです。 六甲道の復興再開発事業の時のまちづくり協議会方式は住民みんなの直接民主主義で総会で何事も決定するのですが、 総会に出席してもらうのが大変でした。 このビデオを使う方法がうまくいくかどうかは分かりませんが、 今後も工夫しながら一人一人の意見を聞く試みをやってみようと思っています。
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