軸はどこにある?

横山慶一
 空手を続けるうち、「軸」という言葉をしばしば耳にするようになります。「軸が倒れてる」「軸がぶれないように」など、多くの場合は体の中心線のことを言っているように聞こえます。頭のてっぺんから背骨に沿ってまっすぐ通った串をイメージする人もいるでしょう。
 熟練者の形を見ると、体のぶれや傾きが小さく、特に大きな動作や移動のときの姿勢の崩れが小さいものです。これを「軸が通っている」と言うのなら、どうやら軸は体のぶれや傾きやバランスなどと関係があるようです。では、軸とはいったい何なのでしょうか?

*バランスを保つしくみ

 体のぶれや傾きを検出するセンサーが、人体には三種類あります。
 ひとつは全身の筋肉の中に点在する「筋紡錘(きんぼうすい)」という小器官です。体がぶれると、それに伴って筋肉がわずかに引き伸ばされます。筋紡錘は、この微妙な筋肉の伸びを検知する役割を持っています。
 もうひとつは耳の奥にある「前庭器官」というもので、乗り物酔いに関係のある三半規管もこれに含まれます。体の回転や加速減速を検知する巧妙な仕組みを持ったセンサーです。
 そして三つめが「目」で、外界の風景の傾きを手がかりにして自分の体の傾きを検知します。
 これら三つのセンサーの使命は、体の重心を体の中心近くに保つことです。なぜなら、重心が体の中心から大きくずれると、体は傾き、倒れてしまうからです。もともと、人体は接地面(足裏)よりも上半身のほうが大きく、ちょうどほうきを逆さに立てたような不安定な構造です。手のひらに逆さに立てたほうきのバランスを取ることの難しさを想像していただけば、人間がいかに巧妙な仕組みでバランスを取っているかがお分かりいただけるでしょう。
 センサーが重心のずれを検知すると、無意識に必要な筋肉がコントロールされ、ずれが補正されます。補正に必要な時間は、わずか0.05〜0.1秒程度です。そのおかげで、人間は船や電車のように揺れる地面の上でもまっすぐ立っていることができるのです。
 つまり、これらのセンサーの働きが十分に発揮された状態が、ぶれや傾きの小さい、「軸の定まった状態」だと考えられます。特に筋紡錘は全身の筋肉すべてに存在しますから、筋紡錘が十分に働くことで、体のすみずみまで美しく定まった姿勢を保つことができます。

*バランスと頭の関係

 では、軸の定まった美しい姿勢に近づくためには、どうしたらいいのでしょうか。
 人間の体には「立ち直り反射」というシステムが備わっています。これは、体のバランスが崩れたときに、まず頭がいち早く重力に対してまっすぐな位置に保たれるという無意識のはたらきです。
 例えば、急に押されたり滑ったりして倒れそうになった人を見ていると、体のほかの部分より先に頭がまっすぐになるのが分かります。バランスボール(大きなゴムボール)に乗って足を床から離したときや、一輪車に乗れるようになったばかりでバランスをやっと保っているときなども、手や腕や胴体といった部分が大きく動くのに対して頭はもっとも動きが小さく、可能な限りまっすぐ保たれます。転倒を防ぐこの頭の位置のコントロールは反射的に行われ、当の本人はほとんど気づきもしません。
 なぜ頭を最初にまっすぐにしたいかといえば、三つのセンサーのうち前庭器官と目の二つが頭部にあるからです。つまり、頭をまっすぐに保つことで前庭器官と目をまっすぐに保ち、それを基準にして全身のバランスを修正しようという働きだと考えられます。

*軸を作るためにできること

 軸の通った姿勢に近づくヒントも、ここにあります。
 道場で基本の稽古をするときは、まず鏡をよく見ることです。鏡の中の自分の目にしっかりと目線を定め、動作の間に顔と頭がぶれないよう気をつけるのです。頭と目の位置がまっすぐに定まっていると、それを基準にして全身のバランスが取りやすくなります。動きのたびに目線や頭が回ったり傾いたりするようだと、全身のバランスはいつまでたっても定まりません。
 移動稽古や形の稽古では、前進や後退の大きな動作が入ってきます。このときも鏡をしっかり見て目線を定め、頭ができるだけぶれないようにして胸を張って背筋を伸ばすと、よい姿勢で行うことができます。特に移動中や移動直後に目線がそれてしまいがちで、そのとき姿勢が崩れてしまう惜しい例がよく見られます。
 このような稽古を重ねる中で、「正しい姿勢」のときの全身の筋肉の状態を筋紡錘が脳に伝え、脳はそれを覚えていきます。こうなればしめたもので、自分の体を鏡に映して見なくても、自然とまっすぐな正しい姿勢、「軸の通った姿勢」を取ることができるようになります。
 結局のところ、バランスが保たれて体の傾きがなく、全身に注意が行き渡っている状態を、先人は「軸が通っている」と表現したのではないかと思われます。そのような姿勢は、崩れた姿勢よりも強い力を出し、強い力に耐えることができます。あたかも体の中心から力が出るようなその状態を軸と呼んだのは、言い得て妙ともいえるでしょう。



玄武館トップページへ