秋津 伶
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秋津伶

エセ・ロマンティック

 

A5変形 353ページ ゾーオン社(発売・刀水書房)

 1998年刊行 本体2500円+税

◎あとがきより

 言 葉は語りうるものばかりでなく、語りえないものへの欲望を持っている。日常では現れないその欲望は、多くの場合、「文学」や「哲学」や「宗教」の形式に よって果たされる。カントの「物自体」、ウィトゲンシュタインの「語りえぬもの」が、それ自体として実在するかどうかは知らない。彼らに従うなら知りえな いし、語ることもできないはずだ。にもかかわらず、それについて言葉はなおも語ろうとするのをやめない、まるでそこにこそ意味があるかのように。想定され るだけの、言葉と思考の及ばないその永遠の処女地は、他ならぬ言葉自体が、絶えず生み出す影の部分であるとはいえよう。(中略)結論じみたことをいえば、 「文学」の本質、「小説」の本質がどこかにあるのではない。「哲学」も「歴史」も「宗教」と同じだ。気象予報士が気象を支配しているのではないように、本 質や意味の実体が世界を動かしているのではない。それはさまざまな言語ゲームのなかで、どのように用いられているか、流通しているかだけである。関わりの まずさから生じるのが、隠された「本質」や「意味」なのだ。(中略)あらゆる問いに最終の解決はない。問いの解決は答えによってではなく、問いが問いでな くなること、問い自体の消滅によってしか図れない。わたし達にできるのは新しいつもりの言葉、新しいつもりの駒による、ルールの更新された同一のゲームの 遂行である。

◎地方出版・出版ニュース 1998年 8上旬号 <ブックガイド>より

 神を感じる からこそ物語が書けた。もうそういう神はいない。神のニセ者でしかない自己を感じる私自身にも容赦なく不信の眼差しは注がれる。イロニーとニヒリズムの訪 問者が、どこからとなく訪れ、そのあとに「抹殺」されつくされたわけではない私が姿を表す。こういう場でエセ・ロマンティックの地平が、手さぐりで始めら れていく。カオスもエロースも、語りつづけねばならぬ言葉を、もはや苛むだけ。「抹消記号を施しつつある非小説」への願いと逡巡と断念。生と死。無と帰属 しようとうごめく「墓場の沈黙」。こと、もの、こころ、思いの絶え間なく続く連鎖の問い。多くのテキストの山を相手に、めぐり続ける思考。


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