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| 芸術に対するKei.の考え方 | 印象に残った展覧会とか | |
これ以下のリソースのドキュメントに関しては同じようなことが繰り返されていたり、訳がわかりにくい表現があったりすることがあります。これは、時間的にばらばらに、思いついたことをメモしたものから起こしたドキュメントが多く含まれているからです。場合によっては自動記述のように書いた部分もあるので、意味不明なこともあるかもしれませんが、ご理解ください。
なお随処に、Breton, André.,「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」(Manifeste du Surréalisme Poisson Soluble.)によく似たフレーズが散見するかもしれません、kei.はシュルレアリストでありアンドレ・ブルトンの信奉者ですが、盲信者ではありません。
また、以下のドキュメントをお読みいただければご理解いただけるかと思いますが、このリソースはきわめて私的な意見ですし、それを強く主張している訳でもありません。したがって、このリソースに関しては一切の、反対意見、苦情、その他あらゆる否定的意見はご遠慮ください。もし頂いても一切無視します。
芸術作品に向かった時、どういう風に見ればいいんでしょうか?って言うか、そもそも芸術作品って何でしょうか?って問題もありますが、まぁ、それは後にして。
展覧会に行くと、よくグループなどで1人の方が、他の人たちに作品の説明をしたり、やはりグループで、作品とタイトルを見ながら、ああだ、こうだと、話をしている光景を目にします。もちろんそう言う見方もあるでしょう、でも、kei.はそう言う見方はしません。
じゃあどういう風に見るのか?kei.は、作品は見るのではなくて、感じるのだと考えています。だから、絵も、オブジェも、映像でも、音楽でも、そして、芸術作品とは言わない、どこにでも在る物でも、そこに在るものを自分の感性が感じてるんだと思います。
だから作品を見るとき、何か、たとえばこの作品を制作したときの作者の心情を、説明しようとか、読み取ろうとか、理解しようとか、そういうことは全く必要ないと思います。そんなことよりも、その作品に、自分は何を感じるのか、と言うことが肝心で、その感じたことを説明できる必要も全く無くて、感じたことが感じられればそれでいい、と思います。
なんだかよく解らないけれど、面白い。 それでいいんだと思います。 もちろん、何も感じられなくてもかまいません。 何かを感じる、感じないはその人と、その作品の間の問題で、言ってみれば、波長が合わない、と言うようなことだと思います。何も感じないのは、その人が悪いわけでも、その作品が悪いわけでもなくて、ただ、その人と、その作品は響き合わなかっただけのことではないでしょうか。
人はそれぞれ、世代や、育った地域や、そのほか様々な環境が違います。 だから、ある物、たとえば林檎に対して受ける感覚もまた人それぞれに違うはずです。 当然、同じ作品を見ても、受ける印象も様々で、何も感じない人、楽しいと感じる人、嬉しいと感じる人、もしかしたら悲しいと感じる人もいるかもしれません。 何も感じないと言うのは、何も感じられないのとは違います、感じる能力がないから感じられないのではなくて、感じ合わないだけです。 作品に意味があるとすれば、その人が見たときに感じた感覚、それが言葉にならないようなものでも、その受けた印象がその人にとっての、その作品の意味と言えるでしょう。 だから、何も感じなかったときはその人にとって、その作品は何の意味もありません。 でも、他のある人には人生観を変えるほどの強い印象を与えるかもしれません。 まさに人それぞれだと思います。
芸術作品に対して、どういう見方をするかは人それぞれ全くの自由だと思います。 私の見方が正しいとか、みんなこういう見方をするべきだなどとは思いません。 当然、kei.の考え方が正しいなんて言いません。kei.にとってはこれが正しいですが、人にはそれぞれ自分の考えがあるでしょう、要は人は人、自分は自分、と言うことで、人の考えをどうこう言える事ではありません。
だからこのリソースをにある考えを一切、人に勧めません。同様に如何なる御立派な、美術評論家の方々などから、「正論」を押し付けられても、一切拒否します。
今や何処の美術館・博物館の特別展ではあたりまえになった、「音声ガイド」(以下、ガイド)。kei.は全否定はしないけれど、ちょっと迷惑なときがある。
次回更新に続く。
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会場:京都国立近代美術館
会期:08/JUN/2002 - 21/JUL/2002.
あまりにも有名ですね。でもやっぱり良かったです。
Composition6,7 とかの前に立つと、音楽が聞こえてくるような感覚になります。
会場:伊丹市立美術館
会期:12/AUG/2000 - 01/OCT/2000.
黒いFRP加工を施した木の板に電動彫刻刀で文字を彫り込んでいく、と言う技法で制作された作品。ほとんどの作品で、文字は短いフレーズを何度も繰り返している。と言った平面と立体の作家。
ぢつは、kei.はこの人の事を全く知らなかった。kei.はいつも「ぴあ」とかで展覧会などの情報を得ている、で、ふと目に止まったのが、作品の小さい小さい写真と、「僕達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか」と言う作品のタイトルだった。その時、どうしても見に行かないといけない、と思った。理由なんか解らないけれど、そう思ったら、どうしても頭から離れない。
じわじわと、ゆっくりと染み込むように感じてきた。kei.の感じ方は、染み込むようにくる場合と、電気が走ったようにくる場合の2種類あるけれど、染み込むようにくるほうが後に引くことが多い。で、今回もかなり強い感情と影響を受けてしまった。
次回更新に続く。
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