Untitled #1996- , Goto Kei's web site.

Photography

Photography

  • This resource URI : http://web.kyoto-inet.or.jp/people/gotokei/photography/index.html
  • This resource last modified : 2021-08-08T20:19:21+09:00
  • This resource encoding : UTF-8
  • This resource Document Type : <!DOCTYPE html>

写真の話

はじめに

ここ十数年前からの趣味である写真とカメラについて、少し書いてみようと思う。

特に古いフィルムカメラの事をいろいろ書いていければいいと思っている、フィルムの良さを少しでも解って欲しいと言う思いが強い昨今である。

写真の無断使用(盗用)、無断転載は厳禁だ。ちょっと検索してみると写真などが無断で使用、盗用されたり転載されたりすることが非常に多いらしい。そんなに人様が撮った写真を自分が撮ったようにしたいとか思うのかね。とにかく当webサイトのGOTO KEIによる全てのリソースは適法引用以外の無断使用、盗用、無断転載等は厳に禁止する。

写真は芸術なのか

前述の通り、十数年前辺りから写真を芸術として作品制作を再開している。

ただ、それ以前からコンパクトデジカメを必ず持ち歩いていたし、その前はAPSのコンパクトカメラを持ち歩いていた。そしてカメラ自体はもっと以前から使っている、まぁ、NIKON FMを持っている時点で言わずもがなだ。

FMを買った頃は写真で芸術的表現を目指していた。マン・レイのようなシュルレアリスム的表現や、土門拳のようなリアリズム的表現、どちらにしても「写真は高い芸術表現である」という立場をとっていた訳だ。(尤も、ソラリゼーションはフィルム現像中に光を当てて得られるものであり、撮影とは関係ないが、今にして思えば当時シュルレアリスムに対する理解が不完全だったのだろう。)

だが、いつの頃からだろうか、20代半ば頃か、何がきっかけかは思い出せないが、「写真は現実を写し取る事しかできないもので、絵画表現に劣るものである」という結論に達した。

私は10代半ばから絵も描いていたし、自分は表現者である事を自負していたので、絵と写真、そして文章表現といろいろやっていた、結局どれも中途半端に終わってしまっているのだが、芸術に関しては一家言あるつもりである。

で、とにかくある時写真の芸術的表現力を否定し、表現方法としては絵と文章に絞って行く事になる。

だが写真は撮り続ける事になる。

絵と文章表現の為の素材収集の手段として、その写実性、即時性を活用する訳だ。

しかし、やがてそれもあまり関心事ではなくなっていく。結局プロの表現者にならなかったのだから当然だ。それにチベットや仏教の研究も始めていたので、表現者としての自覚は薄らいでいった。

写真作品再開の3・4年前からだろうか、おもしろい雲や綺麗な雲を見つけると写真に撮るようななっていた。昔から絵の素材として雲の写真は撮ってたが、写真として撮り始めたのだ。

やはり写真は面白い。

そう思ったことから私の写真に対する芸術的評価は様変わりする。

今考えている写真の芸術性は、

たしかに写真は現実を写し取るだけの道具であるが、写真を撮るのは人間の感性である。その光景を写真に残そうとするのは、撮影者の感性がそれにふさわしいと感じたからであり、他の人も同じようにそう感じるとは限らない。感性によって決定される写真の被写体は現実であると同時に、撮影者の感性の表現そのものである。それはすなわち私による芸術的表現にほかならない。

というものである。そこにはシュルレアリスム的な、オートマティスム的な何か自己の明確な意思とは別の感性の感受による撮影というものも含んでいると思う。

だから、私にとって撮影の道具としてのカメラは多様化していく。絵具と同じである、水彩とアクリル絵具が、またパステルとが違う表現になるのと同じように、デジカメでないとできない表現があるし、フィルムにはフィルムの表現力がある、フィルムの場合にはフィルムの種類でその表現は大きく変わる。どのカメラにどのフィルムを入れて持ち出すか、その意思決定自体が作品を決定する事になるだろう、もしかしたらその決定は顕在する意思が決定したのではなくオートマティスム的なもの、或いはア・プリオリな何かが選び出したのかもしれない。

兎に角、同じ被写体であっても道具が違えば表現も違ってくるのだ。

そういう思いで、写真を撮っている。

特にフィルムカメラはそれが作られた時代、国、メーカー、等によって表現力に様々な個性があり、それとフィルムの種類によって非常に多様な表現が可能である。ある被写体をどのカメラにどのフィルムを入れて写真を撮るか、撮影者によって選択されたものは正に一意性のものであり、感性の結実に他ならない。

カメラのはなし

フィルムカメラのこと

比較的古いフィルムカメラを中心にカメラ複数台を所有している。それら色々なカメラをメーカー毎にいくつか紹介していこうと思う。

なお、各メーカーに関してあまり詳しい事はここでは書かない、それよりも各カメラについて詳しく書いた方がいいだろう、メーカー毎の詳しい情報はそれぞれの脚注に示したリンク先を参照してほしい。英語のサイトが多いが、googleで翻訳して、原文と併せて読めば概ね意味は分かると思う。

Voigtländer

日本ではフォクトレンダーと読まれている、最も古い歴史を持つカメラメーカー。1756年にウィーン(Wien)で光学機器メーカとして創業。1) 2) 後1862年にブラウンシュヴァイク(Braunschweig)に移転。1) 1925年にシェーリンクが買収後1956年に株式をツアイスイコンに売却、さらに1972年ツアイスイコンはフォクトレンダーブランドをローライに売却。2) ここにカメラメーカーとしてのフォクトレンダーは終わりを告げる。

世界初の総金属製ダゲレオタイプカメラを発売したとか、ローライフレックスを開発したフランケ ウント ハイデッケの創始者2人は元々フォクトレンダーの社員だったとかの逸話は置いておくとして、非常に数多くの機種を製造している。

私の種有する機種を基に紹介していこう。

Bergheil (ベルクハイル)
ベルクハイルの全体画像

1912年から第2次世界大戦まで製造された、 プレート(乾板)フォールディングカメラ。 次に挙げる各プレートサイズのものが作られた、4.5×6 cm(アトム判)、6.5×9cm(大名刺判)、9×12cm(大陸手札判)、10×15cm(このサイズは極めて稀)、3) レンズは専用バヨネットで交換可能、ヘリアー(Heliar)をはじめいくつかのレンズが用意されていた。

現在乾板はほぼ入手できないので120(いわゆるブローニー)フィルムをロールフィルムホルダーで使うことになる。ちなみに6.5×9cm(大名刺判)の乾板はアグファ ブランドのものがヨーロッパの方で売られているが、日本での取り扱いがないために、個人的に通販で購入するしかない、また、現像もタンク現像でなくバット現像でないといけないだろうなど、実際に使うには敷居が高すぎる。

私の所有する個体は9×12cm判でたぶん1929モデル、4) レンズはヘリアー(Heliar)13.5cm,5) f4.5、シャッターはリムセットコンパー(Compur)でシャッタースピードはT, B, 1, 2, 5, 10, 25, 50, 100, 200, 絞りは4.5, 6.3, 9, 12, 18, 25 。ちなみにこれより古いモデルはダイアルセットコンパーのようだ。また、レンズボード右上にある上下2段のダイアルでレンズボードが上下にライズ・フォール、左右にシフトするようになっている、スウィングとティルトができないので大判のようにはいかないが、全く出番がない機能ではない。

そんなに難しいカメラではないが、ピントを合わせてからピントグラスホルダーとロールフィルムホルダーを交換する必要があるので三脚が必須、もちろん十分に絞り込んで使うのであれば手持ちもありかもしれないが、ロールフィルムホルダーに交換した後はフレーミングも正確にできなくなるので、やはり固定は必要。また、ピント合わせの為のルーペもあった方がいい。

三脚を据えてじっくりとフレーミングとピント合わせをし、ロールフィルムホルダーに交換して露出を決定してシャッターをチャージしてシャッターを切る。というプロセスを経て、1本のフィルムでたった8枚しか撮れない写真は、フィルムが持つ独特の質感とともにデジタルカメラとは全く違う写真が得られる。ましてや、撮影者はフレーミングとシャッターを切るだけのスマホ写真とは異質のものだと思う。

所有カメラの中でも特に気に入っているカメラの一つだが出番は多くはない、何しろ面倒だ、三脚を必要とするので荷物が大きくなる、

ベルクハイルの作例 (使用フィルムは、カラーリバーサル FUJI Provia100F 、 白黒ネガ KODAK TRI-X400)

梅の花のカラー写真 桜と菜の花のカラー写真 祇園祭の鉾の白黒写真
Superb (スパーブ)
スパーブの全体画像

フォクトレンダーが世に送り出した唯一の高性能二眼レフ。1933年製造、1934年にストラップ金具の形状が異なる後期型に移行された。6) テイクレンズはスコパー(Skopar) 7.5cm f3.5かヘリアー7.5cm f3.5でスコパー付きの方が多いように思う。

私が所有する個体は後期型のヘリアー付きだが、1年ぐらい探して手に入れた、その間スコパー付きなら4~5台は出ていたと思う、ビューレンズはヘロマー(Helomar)f3.5、 シャッターはコンパーで最高速は250、シャッタースピードの刻字が鏡文字になっている、これはシャッタースピードリムの向かって右側についている小さなプリズムを通して上から見たときに正しく見えるようになっている、絞りもレンズの横にあるダイアル式で、こちらも上から見て合わせるようになっていて、全ての操作が上からピントスクリーンをのぞきながらできるように考えられている。

スパーブはローライフレックスオリジナルの発売の翌年に製造されたため、特許侵害や模倣にならないように注意され、またローライフレックスを凌駕するように設計されている。最も特徴的なのがパララックス補正である、テイクレンズの下にあるピントレバーを動かすとテイクレンズが繰り出すと同時にビューレンズも繰り出すのだが、それと同時にビューレンズは下を向いていくのである。その複雑な動きのせいかヘリコイドはやや重い。

もう一つの特徴はフィルム送りが下上縦送りではなく、右左の横送りである点だ、そのためフィルム格納部分が横に張り出している。フィルム装填は1枚目赤窓式、2枚目以降背面のカウンターを見ながら左側面の巻き上げレバーで手動式、赤窓は右側面(背面にもあるタイプもあり)右面赤窓カバーはフィルム室内にあり、連動する正方形のつまみが外にありそれを回してカバーする。裏蓋は観音開き。

このように個性的なカメラであるが、フォクトレンダーの二眼レフはこの他には、ビューレンズが連動しない、いわゆる疑似二眼レフのブリラント(Brillant)を前年1932年に、ブリラントの上位機種でビューレンズが連動するフォーカシングブリラントを1938年に製造しているのみである。7) 実は1956年にスパーブの新しいモデルが設計され、試作品まで作られたが量産はされなかった。1956年と言えばシェーリンクがフォクトレンダーをツアイスイコンに売却した年である、世が世ならば1956型スパーブも日の目を見ていたのかもしれない。6) 8) 9)

スパーブの作例 (使用フィルムは、カラーリバーサル FUJI Provia100F)

蝋梅の花のカラー写真1 蝋梅の花のカラー写真2 京都御所清水谷家の椋から大文字山を望むカラー写真
Inos II (イーノス2)
イーノスIIの全体画像

1932年製造10)の取り立てて特徴のないごく普通の120フィルムスプリングカメラ、に見えるが流石フォクトレンダーといえるところが随所に見える。そもそも厳密にはスプリングカメラではない、スプリングカメラというのは蓋を開ける操作をするとスプリングの力でレンズを押し出すものであるが、イーノスでは蓋の前部底面にあるゼンマイでチェーンを動かすことでレンズが繰り出される、従って、一般的なスプリングカメラでは勢いよくレンズが飛び出すのに対して、イーノスではゆっくりとスーッという感じでレンズが繰り出されていくのである。この仕組みは同年に製造11)されている高級機プロミネント(俗称:花魁、戦後製造されるレンズ交換式135フィルムレンジファインダーとは別物)でも採用されている。

ピントノブはボディの底部(右側)にあり、これもプロミネントとおなじ。距離計なし、所有個体のレンズはスコパー(skoper)10.5cm f4.5、シャッターはリムセットコンパー最高速250、最大絞り22、ファインダーは折り畳み式フレームファインダーとブリリアントファインダー、ブリリアントファインダーは90°倒せて横長に対応。なおこの個体では失われているが6×4.5のマスクが付いていた。従って、背部の赤窓は2つあり、6×9のときは下側のみ使用、6×4.5の時は初め上側で、次は下側を使用する6×9のナンバーしか裏紙に打たれていない時代の使用方法である。

この個体は非常に手間のかかった個体であった。初めてのテスト撮影の結果は光線被りが酷いものだった、この手の古い蛇腹カメラではよくある事で、まあ仕方がない。値段が高いものならば購入店に直してもらうのだが、比較的安かったのと、返送の手間、そして何よりこの程度なら自分で直せないと困るので自分で直すことに決定。

まず何処から光が漏れているのか調べる。手作りした小型のLED電球をACで使えるコードで暗所で電球を蛇腹に突っ込んで見る、どう見ても蛇腹にピンホールはない、困った、蛇腹カメラの光線漏れは十中八九蛇腹に開いたピンホールだ、手作りの道具はこれを調べる為に最適に作ってある。仕方ない、絞りを開放にして、シャッタースピードをTで開いて裏蓋をして、レンズ側から小型のLEDライトでカメラ内部を照らしてみる。あった!裏蓋にリベット止めされている被写界深度表の四隅リベット周辺から結構光が漏れている、木工用ボンドに墨汁を混ぜて内側から目詰めをして、乾燥後ラッカーで塗装。完成したので再度テスト、まだ光線が被る。

今度は裏蓋を外しいろんな方向からライトを当ててみる、あぁ、ここか!カメラ本体側の蛇腹の付け根が僅かに浮いていた、内側からライトを当ててもぼやっ、としか光が見えないので解りにくかった。木工用ボンドに墨汁を混ぜて上から塗って押さえて固定、念のためパーマセルテープを重ねて貼っておいた。再々テスト、OK!というわけでテスト3回約1カ月かかって使用可能にできた。

イーノス2の作例 (使用フィルムは、カラーリバーサル FUJI Provia100F 白黒ネガ FUJI Acros2 100)

南禅寺山門脇の紅葉のカラー写真1 南禅寺山門脇の紅葉のカラー写真2 寺町三条から北向きに見た白黒写真
Vitessa(ヴィテッサ)
ヴィテッサの全体画像

135(35mm)フィルム使用のレンジファインダースプリングカメラ、観音開きのレンズカバーとプランジャーを押し下げてフィルムを巻き上げる点が特徴である。シリーズとしては1950-1958だが、12)1956-1958のVitessaTはスプリングカメラでなくレンズ交換式になっていて、まったくの別物。

フィルム装填は底面にあるレバーで裏蓋を外すのだが、その時外れるのは底面と裏面だけではなく両側面と前面もカバーが外れる、そしてフィルムを装填してすぐに裏蓋をしてはいけない、前面にあるフィルムカウンターをダイヤマークに合わせておく、これを忘れるともうカウンターに触れられないので注意。シャッターボタンを押すと観音開きのレンズカバーが開き、レンズユニットが飛び出してくる、同時にプランジャーも飛び出してくるのだが、レンズもプランジャーも勢いが良すぎるので、必ず手を添えて受け止めて、優しく開いてやる、これを怠ると故障の原因となる、このカメラは構造が複雑なので修理代が高いと聞いたことがあるので要注意。いずれにしても70年近く昔のカメラなのだから優しく扱うべきである。シャッターはセルフコッキングなので巻き上げるだけで自動的にチャージされる。

さて、私の所有する個体はVitessa A version 3. 1953年製造。レンズはウルトロン(Ultron)50mm f2.0 シャッターはシンクロコンパー最高速500、最大絞り16。ちなみに最高速の500はシャッターチャージ前でないとセットできない、つまり巻き上げてしまうと500にできないのでシャッターを切ったら巻き上げる習慣はこのカメラに限ってはNGだ。

最初期型のversion 1. に比べて、パララックス補正が自動に、圧版がボディ側から裏蓋に変更、裏蓋が外れる、吊り下げラグがついた、オプションで上から被せるアクセサリーシューが用意された、と言う変更がされている。13)

はじめにも書いたがこのヴィテッサは1950-1958にかけて様々なモデルとバージョンが製造されている。A だけでもバージョン5まであり、その後Vitessa N ではシンクロソケットがレンズカバーに移動し、セルフタイマーがつけられている。そしてVitessa L になるとセレン露出計を内蔵し、ライトバリューになっている。さらに前述の通り、Vitessa T になると、もうヴィテッサらしいのはプランジャーだけになってしまい別物と化している。更に更にだが、1960年代の終わりにツアイスイコンが買い取ったフォクトレンダーから135フィルムコンパクトカメラのVitessa500と126フィルムコンパクトカメラのVitessa126なるものが製造された。13)

135フィルムライカ判(24mm×36mm)のカメラは新しくなればなるほど個性がなくなって行くような気がする、カメラ全体のフォルムもレンジファインダーはライカM型やコンタックス、ニコンSの様な形はカメラに詳しい人でなければ違いに気づかないと思う(もっともニコンSに関してはライカとコンタックスを意識して設計されている、マウントに至ってはコンタックスとほぼ互換であるから、似ていて当然だ)、ペンタプリズム式一眼レフなどはどれも同じような外見をしている、そんな中でヴィテッサは煙突のように突き出たプランジャーや観音開きのレンズカバー等非常に独創的で目を引くものである。私がヴィテッサを手に入れた理由の一つが「持っていない巻き上げ方式のカメラが欲しい」であった。

ヴィテッサではLが一番多く見かけると思う、だが私はライトバリューが嫌いなのでLを見かけても手は出なかった、一定の条件下では速写性が高いかもしれないが、あまり実用性を感じない、それよりもめんどくさい。メーター付きはありがたいがセレンでまともに動いているものは少ない。というわけでAのバージョン3を購入したわけである、本当はバージョン1が欲しかったが流石にあまり見かけないし、裏蓋が外れてしまわないのはかなり使いにくいと思う。

ヴィテッサの作例 (使用フィルムは、カラーリバーサル FUJI Provia100F)

彼岸花のカラー写真1 彼岸花のカラー写真2 京都御所清水谷家の椋から大文字山を望むカラー写真

Zeiss Ikon

まず、1900年に創業したパルモス(Palmos)が1902年にカールツアイスイエナ(Carl Zeiss Jena)に買収されカールツアイスパルモス(Carl Zeiss Palmos)となって、1)さらに1909年ヒュッティヒ(Hüttig)、カメラヴェルク ドクトル クリューゲナー(Kamerawerk Dr. Krügener)、ヴンシュ(Wünsche)そしてカールツアイスパルモスが合併してイカ(ICA)となり、2)1926年そのイカとコンテッサ-ネッテル(Contessa-Nettel)、エルネマン(Ernemann)、ゲルツ(Goerz)の合併とカールツアイス(Carl Zeiss)の資本注入により誕生したのがツアイス イコン。3)

第二次世界大戦後は西ドイツのツアイス イコン AG シュトゥットガルト(Zeiss Ikon AG Stuttgart)(以下、シュトゥットガルト)、東ドイツのVEB ツアイス イコン ドレスデン(VEB Zeiss Ikon Dresden)(以下、ドレスデン)となりそれぞれが販売と輸出の地域を住み分けることで合意した。3)ちなみにカールツアイスも、西ドイツがカールツアイスオーバーコッヘン(Carl Zeiss Oberkochen)、ラベルはオプトン(Opton)、東ドイツがカールツアイスイエナ(Carl Zeiss Jena)、ラベルはイエナとなる(どちらも自陣営側ではカールツアイス)(戦前はイエナ)。4)1958年ドレスデンのコンタックスSの商標権をめぐってシュトゥットガルトと訴訟になり、ドレスデンが敗訴、社名もVEB カメラ ウント キノヴェルケ ドレスデン(VEB Kamera- und Kinowerke Dresden)に変更させられ、1959年他に4社を含めてペンタコン(Pentacon)に統合された。また、シュトゥットガルトの方は1972年にカメラの製造を終了した。3)

その後、カメラ用レンズの供給先を失ったカールツアイスは日本のヤシカと提携しレンズを新しいコンタックスシリーズに供給した、後にコンタックスはヤシカから京セラに引き継がれた。また、ツアイスイコンのブランドは日本のコシナがカールツアイスと提携してツアイスイコンブランドのレンズシリーズとレンジファインダーカメラを製造している。

戦前戦後を通じて非常に多くのカメラを製造している。また、4社合併以前の各社が製造していたカメラの一部も製造していたのでプレートカメラも多い。約半世紀の歴史とは思えないラインアップであるといえよう、正に世界一のカメラメーカーであった。

では、私の種有する機種を基に紹介していこう。

Super Ikonta 531/2(スーパーイコンタ 6×9)
スーパーイコンタ531/2の全体画像

ツアイスイコン合併後、本格的に独自開発したスプリングカメラ、イコンタシリーズの連動距離計付きモデル。イコンタシリーズは距離計無しのイコンタでは、120フィルム使用の6×9、6×6、6×45や127、129、116フィルム使用のタイプ、距離計付きのスーパーイコンタでは、120フィルム使用の6×9、6×6、6×45と116フィルム使用のタイプが有った。また135(35mm)使用のタイプも有るが距離計無しがコンティナ1、距離計付きがコンティナ2、コンテッサと個別の名前が付けられている。(コンテッサについては後述)

連動距離計はドレーカイル式、このドレーカイル式はツアイスイコンの135フィルムレンジファインダーカメラのハイエンドモデル、コンタックス(contax)(I)5)の1934年改良モデルに初めて採用された精度の極めて高いレンジファインダーである、コンタックス(I)は1932年製造時はライカのレンジファインダーと同じ光梃子式レンジファインダーを採用していたが、前述の通り、1934年以降ドレーカイル式に移行、そしてスーパーイコンタにもドレーカイル式が採用された。6)

閑話休題、さて私の所有する個体について述べるとしよう。

モデルコード531/2は1936-1953年製造、645マスクがあれば6×45(セミ)判で撮影可能だが、マスクは失われている。レンズはテッサー(Tessar)10.5cm f4.5、シャッターはリムセットコンパー最高速250 最大絞り32、ボディシャッターボタンに巻き上げないとシャッターが切れない二重露光防止装置がついている。ファインダーはフレームだけではなく光学式だが、これが曲者。凹レンズに銀色の蒸着が施されているが、これが曇っているのでよく見えない、たぶん夜なら見えないと思う。

さて、テッサーはとてもシャープなレンズである、また、明暗差が大きい時にいい感じに写る特に白黒で映えると思う、作例を見て欲しい。

スーパーイコンタ351/2の作例 (使用フィルムは、カラーリバーサル FUJI Provia100F 白黒ネガ FUJI Acros 100)

京都市内の白黒写真1 京都市内の白黒写真2 南禅寺のカラー写真1 南禅寺のカラー写真2

次回更新に続く。
Continues on the next modification.

Page Top

This Document Validated by W3C HTML & CSS Validation Service.

Valid XHTML 1.1! Valid CSS!