作句上のコツ
十七、俳句では言葉や内容が反転する 普通の文章では言葉はその侭の意味でストレートに伝達されますが、俳句の場合は名詞以外は大方が結果的に反転して読み手に渡ります。例えば〈小さい〉と書けば大きくなるし〈若い〉と書くと高齢である事を表現出来ます。又悲しい事を書くのに凄く悲しいと強調すると反対に読み手は何でも無く感じてしまいます。全体的な内容でも例えば、お色気程度に表現したいと思って控え目に表現すると、反対にひどく卑猥になる事もあります。又もの悲しいと書くとペーソスが滑稽になって読み手に届きます。これらの事を例をあげて書いて見ましょう。〈石仏の十八体や百合一輪〉と言うのがありますが、石仏群の中に百合は一輪で、小さい存在ですが、この場合存在としてとても大きいイメージで伝わります。又〈若い声と言われて宴雪が舞う〉がありますが、この場合若者の宴会だったら若い声と言う事は要らないし〈若い声〉で話していると言う人そのものも高齢の人になります。又内容で反転する例として〈全身を耳にして聞く除夜の鐘〉と言う句では、全体としてはよくまとまっている様に思えますが〈全身を耳にする〉と目一杯言ってしまうと、読み手には除夜の鐘を聞いているだけより他に発想が広がらないのです。〈一人旅風の落ち葉に追い越され〉がありますが、話相手も無く一人歩いていると、風で散っていく落ち葉に抜かされたと言う、情け無くも一抹の侘しいペーソスが読み手に伝わると、何処か滑稽な味わいに変わります。又〈尼寺の門少し開け花八ツ手〉と言う私の作品を、ある有力人が上品にと〈尼院の門細目に開けて花八ツ手〉と直された事がありました。私は尼寺のちょっとしたお色気を書いたのですが、直されてとても卑猥な感じになって大笑いした事がありました。この様にお色気を上品に言うと結果的に卑猥でいやらしい感じが出て来るとか、こうして俳句は単語だけでも反転しますし、全体の内容も反転します。〈一人旅〉の句は情けないと表現しているのに結果的に滑稽な句になりました。もう一つ〈鐘一つ鳴る山門の薄紅葉〉と言う句がありますが、単語だけをあげると鐘が一つ鳴った位話になりません。又山門の薄紅葉と言って紅葉が始まって来たと言っているだけで、こう分解してしまえば内容が無に等しい十七文字ですが、一つの鐘の音が内容的に大きく情感を動かす言葉になり薄紅葉がその鐘の音に相まって詩的情感を深くします。こうして内容の少ない言葉で深い情感をかもしだす事が出来るのです。これらを考えに入れた言葉選びをするのも作句上のコツです。 平成二十年十二月
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