作句上のコツ
十八、芭蕉さんの句を推敲する 芭蕉さんの句と言えば誰でも全て良いと思い勝ちですが、芭蕉さんと言えど初めから旨く書けた訳では有りません。次に掲げる句もご本人に訳を聞かないとはっきりとした句意が分かりません。“笈の小文”にある〈丈六に陽炎高し石の上〉が京都俳句で机上に上りました。 私はこの句を聞いてきちっと読めないし、と言って忘れる事も出来ず深入りしてしまいました。そこで芭蕉さんが“古池”以後にこの句を改作しておられたらどうされるだろうと思うし、私ならどうするか。どうしたら読み手が瞬間にイメージが湧く句になるだろうと、自分がすっきりしたいので関わってしまいました。 私はこの句がすっきり入って来ないのは「高し」が擬人法的で陽炎が丈六に挑んでいるとか、作者の思いが入っているからだと言いました。 すると補佐の彼は「昇る」だと言います。「昇る」にすると[丈六に陽炎昇る石の上]となります。私は「立つ」の方が良いのではと[丈六に陽炎が立つ石の上]としました。丈六と言う言葉でどれだけの人が仏像だと理解出来るか知れませんが、そこは既に書かれているのでそれで良い事にしておいて。彼の言う「昇る」にしても私の言う「立つ」にしてもだいたい同じ事で「昇る」の方が叶っている様に思えますが、「昇る」では丈六に陽炎が昇ると思いやすいとも言えます。 そこで私の言う「立つ」としますと陽炎が直立しているとも受け取れますが「立つ」は「波が立つ」と使う様に「陽炎が立つ」で波が立つのと同じ感じで陽炎が石の上に揺らめいていると読み取る事が出来ます。 全体的に読めば丈六と言う四メートル八十センチもある仏像の立っている辺りの石の上に陽炎が揺れていると読手としてイメージ出来ます。 丈六と言う長さを示す言葉だけで仏像 道の代名詞になるのかどうか、時代的にも言葉と言うものは変わって来ますので何とも言えませんが、この句はもっと推敲する必要があると思います。唯、丈六を仏像と感じられるとしたら[丈六に陽炎が立つ石の上]で仏像の周辺の石の上に強く陽炎が立っている景色が見える作品になりました。 俳句はどんな場合でも具体的に書くのが作句上のコツです。 平成二十一年一月
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