作句上のコツ

二十、省略と切れ字

 俳句で言う[切れ字]は他の詩や文章では有り得ない事ですが、十七文字の中で一旦切れて、次に異質と思える言葉が出てくるのは特別に約束が有る様に思われています。又そう言われていますが日本語を特別に操作しているのでは無く、省略した当然の結果で文法に適った表現法なのです。
同じ十七文字の川柳も当然[切れ字]に依って書かれているのですが、面白味が主体ですから、川柳は[切れ字]に気付かず、すんなりと受け取っているのです。俳句の場合は内容が複雑なので、そこを知らないと読めないし書けないのですが[切れ字]が省略の結果だと認識出来れば読めるし書ける様になります。
こう言う事ですから俳句の[切れ字]は日本語をごく自然に正しく使っていると言えます。その証拠に一本で書いてあっても読め、切れているとも読める作品があります。内容が深くなる程全く別のものが組み合わされている様に思えますが、又創作する時は省略と言う手続きを踏まずいきなり直感でズパリ書く手法も有ります。
この場合無理があると読み手に伝わりません。二つの事物の幅が広い程研ぎ澄まされた感性が求められるのですが、この場合感覚俳句と言って、自分の感覚を頼りに感受するのです。
もう一つ超現実や有情に至れる手法ですが、現実の強さと言う事があって、何気無く全く別の物を配していても、しっかりと理に適っている事があります。例えば“特攻の兵士の像やお茶の花”と言うのが有りますが、これ等は[兵士とお茶の花]の様に全く異質の物が組み合わされていますが、感覚的にすんなりと伝わって来ます。これは何故違和感が無いかと言いますと[兵士の像]とあるので野外が想像されます。そこで[お茶の花]と有りますと兵士の像の傍にお茶が植えてあって花が咲いていると想像出来ます。この句は現実をその侭書いた強さです。
特攻の兵士とは、今の自爆テロの様に飛行機ごと敵に突っ込んで行くそんな兵士の事で、そうして国に命を捧げた兵士を悼んで立てられた像に、お茶の花の優しさが伝わる句です。
又“パレードのチョゴリに歓声文化の日”と言うのが有ります。この句は作った時点では一本で作られていますが[や]切れでは無いのですが[歓声]と[文化]の間で切れていると読む事が出来ます。
そう読むとこの句はとても深い内容をもたらせてくれます。文化は民族を超えてお互いを賛美しあうと言う、国際的な高い精神性を共有出来て、俳句に携わる者の幸をも感じる事が出来ます。
これはパレードがたまたま文化の日だったのでうまく行ったので、他の日だったらこれだけの成果は上がらなかったでしょう。又パレードが文化の日の催しだったので、題材がよいと言う事も現実の強さと言う事が言えます。切れ字でうまく省略して作品に深みや広がりを書くのが作句上のコツです。
平成二十一年三月

 

 

作句上のコツ トップ

戻る  次へ

トップ 推敲 絵解き

アクセスト 出版ページ ギャラリー