作句上のコツ
二十二、現在進行形で書く 俳句を作る人の数だけ俳句を批評出来る人はいます。そして多くの作品を批評して高い地位にいる人も沢山います。 しかしきちっと理論で言える人は少ないもので、例えば京都俳句では誰でもが知っている「現在進行形で書く」と言う事を知っている人は他所では殆どいません。 唯作っていて偶然に書けた作品にはとても高い評価がされています。でもその作品が良いのは、現在進行形で書けているからだと言う事を、解っている人は殆ど無いのです。 私は外部の人にわざわざ言う事も無いので、この理論は京都俳句の門人さんだけに折りに触れて言って来ましたが、これは一つの企業秘密とも言える程高度なもので、現在進行形で書くのは最高の作句上のコツなのです。 普通俳句は過去形で書かれていますが、その場合お話や作文と同じで、現実感が無いのです。芝居や映画の様に今が演じられていると、見ている人は自分がその劇の中にいる様な気分で、良い作品は観客がその主人公になった様な気持で見ているのと同じ様に、俳句も現在進行形で書けると句が生き生きします。とは言え映画やお芝居はセリフで進んで行くので観客を同時進行に誘い込めますが、俳句は何せ十七文字より無いので、現在進行形で書くのは手強いものです。 京都俳句では誰でも書けている時もあるのです。ではどんな書き方をすれば良いかと言う事ですが、文法で現在進行形は動詞によって発生する事になりますが、俳句の場合は何が動きになるか解りません。例えば〈花売りの母の荷車押した道〉と言うのがありますが、この場合道≠ニ言う名詞が現在進行形の働きをしています。何故かと言う事ですが作者は今道≠ノいます。そして幼なかった日に母の手助けをして、車を押した事や辛かった事を色々思い出して感慨にふけっているのです。見覚えのある景色、変わってしまった風景等を見回して車を押した道を今歩いているのです。それが「歩いている」と言うのが省略されて道≠ナ今が書けています。 これは特別の場合ですが簡単に言えば「行った」「見てきた」「走って行った」とは言わず「行く」「見ている」「走る」と今行なわれていると書くと良いのです。 現在進行形で“今その風景が動いている”と読み手に見える様に書くのが最高の作句上のコツです。 平成二十一年五月
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