面白絵解き俳句 2

磯野香澄俳句の世界五の四琥珀彩の四季より
(この書は一巻を通じて情け無いとか、かなんとか、怖いとか癖のある句で構成しているものです)

山寺や亀の像古る年初め
やまでらや かめのぞうふる としはじめ

新年早々少し遠出をしようと近江八幡市へ行った。湖岸から百メートルも行かないうちに山が迫っていて石段がある。
「上に何が有るのやろ登って見ようか」と私が言うと
「うん、きつそうやぞ?」と彼は同意する。
「上から琵琶湖が見渡せるやろうし、しんどそうやけど登ろう」
息をはずませながら随分石段を登ってやっと平坦な処になった。奥の方に建物が幾つかある。
琵琶湖が見える庭かと思える処の端の方へ行く。そこには胸ぐらいの高さの所に亀の像がある。
仏像でも何でもたいがい台座の上に縦長のが普通のイメージだが、台座の上に這う形の亀の像は何だか変なものだ。傍へ寄って見る。青銅製だがボロボロで剥がれかけた処は錆びて茶色くなっている。
黙って見ていた彼は
「古いもんやなあ此処まで古くなったら取り替えるか、もうちょっと手入れするとか普通ならするで」
「こんな亀何時作らはったんやろ、まあ亀は万年と言うので古い方が値うちが有るのかも知れんけど」
と私もこんな物放置してあるとはと思いながら言った。
琵琶湖が一望出来るかと端の方へ行ったのだが変な亀の像を見ただけで結局琵琶湖は見えなかった。
仕方が無いので反対に奥の建物のある方へ行くと標識に[長命寺]と書いてある。
「成るほど、長命寺とはあの亀みたいに長生きする様にと言う事か。昔の人はこんな事好きやなあ」
と彼はこじ付けを笑う。
「あの亀の古さも売り物なんや」と私。
「亀がボロボロでもその侭にしてあるのか」と彼は納得するより仕方無いと言った感じ。
「うまく出来ているやんか、年初めで寿命の事を思わせて貰ったんやから」と彼を無理やり同感させて長命寺のあちこちを見て回った。


荒れ果てし古代宮へ初詣で
あれはてし こだいぐうへ はつもうで

「京都の初詣コースは行き尽くしたし、ひなびた処へ行きたい」と彼に言った。
「琵琶湖の東側は神社が沢山あるしあの辺へ行くか」と彼。
「そうやあの辺はひなびた感じやなあ」と以前に行ったお宮の事を思い出して言った。
人家から離れて杜の中へ入っていく
都会の喧騒の中で飽きた者にとってこんな所は気分が変わって良い物だ。
数ある神社の中でここが良いかと古そうなお宮へ入った。
行くほどに荒廃した境内。
「ここは誰一人いないしそれに生き物の気配は何もしいひんなあ」と暗く心が寒い思いになって言う。
「神社と言う処は生き物の気配が無いと冷たい感じがするもんやなあ」と彼も言う。
「寂しいとこやなあ」と私は弱音を言ってしまう。
「ここへ行こうと言うたんは誰や?」と彼。
「そらそうや。普通やったらお正月のリッチな気分になっているやろ、その落差を感じたいと思たけど、
ここは淋して辛過ぎる」と何時建てられたか判らない古い社殿でお参りをしながら言う。
「このお宮さん何時から人が来てないか知れんなあ、ひどいもんや」と彼は荒れ果てた風景に感心する。
「こんな淋しいお宮さん、もう帰ろう」
二人はとぼとぼと来た道を引き返した。


餌探す鳥や荒磯大旦
えささがす とりやあらいそ おおあした

新年の日本海が見たくて元旦早々福井県へ行った。
思いもよらぬ強風。浜辺へ近づくにつれて風はきつくなる。
折角来たのだからと車を降りて磯辺に立つ。沖の方から白波が寄せて来る。きつい。
京都と言う内陸部に住む者にとって海を渡って来る風のきつさにたじろぐ。
それでも強風に晒されながら海岸沿いに歩いて行くと、大きい巌が立ちはだかって行けなくなった。
海面も岩だらけだ。そこには白い海鳥の群が風に吹かれて、羽根を逆立てながら巌の間に首を入れて餌を探している。
『エエッ鳥は嵐の中でも飛ばされかけ乍も餌を探しているのだ』
私達は元旦の祝い膳を終えて来たばかりだ。何だか鳥が気の毒に思えて、
「こんな時でも鳥は餌を探してるのやなあ。お正月やのに」とつい彼に言ってしまう。
「当り前やろ、鳥は嵐であろうが元旦であろうが毎日餌を捕らんと。遊んどってどうするねん」と彼。
「人間は御節料理も結構あるし、お餅も十日位は有るし食糧の買い置きは当分有るやんか」とくだらん事と思いながらも横に歩いている彼に大きな声で言う。
「返事する気にならんわ」と風に吹かれながら彼は軽蔑の眼。
私は性懲りも無く思った。同じ動物だのに蓄えの文化を極めた人間と、鳥との違いを。そして遥大昔私達のご先祖もこうして嵐の寒い時も、暑い炎天でも毎日食べ物を探していたのだと、人間が未だ火を使う事も知らなかった頃の姿を思い描いた。

平成十九年三月   磯野香澄

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