面白絵解き俳句 3

磯野香澄俳句の世界五の四琥珀彩の四季より
(この書は一巻を通じて情け無いとか、かなんとか、怖いとか癖のある句で構成しているものです)

新年や神苑のちゃぼ鳥屋に込め
しんねんや しんえんのちゃぼ とやにこめ

私がこの鳥に出会ったのは道端に立ててある看板の神宮の名前からだった。
三輪から帰りに車の窓から辺りの景色を見ていたら神社の名前に大きなふりがなが付いていた。
〔いそのかみ〕何だこれは私の名前と同じやんか。
『すが抜けているけど、でも神さんの名前と似ているのは面白い』
「どんなお宮やろ行ってみよう」丁度駐車するスペースが確保してある。
いそのかみ神宮は神宮と言うだけ有って、格調の高い荘厳な感じがする。
深い杜を入るとびっくりした。小型の鶏が杜のあちこちに自由に遊んでいる。
『杜の中に放し飼いしてあるのだなあ』これは小型だからチャボと言う品種だとすぐに分った。
お宮を1周して戻って来たら夕方になっていて、行きがけに歩いていたチャボが見当たらない。
『何処へ行ったのだろう』
地面を歩いているものと思っていたらチャボは大木の枝に十数羽づつが飛び上がって並んでいる。
『夜はこうして眠るのだなあ』他の動物に襲われない様にうまく考えている。
その自然的なチャボの姿に私は取り付かれてしまった。以来この神宮が気に入って何度も訪れた。
年が改まって初詣にも京都から足を伸ばした。
参道の入り口から沢山の参詣者だ。その中に混じって進んで行く。
何時もならその辺りに一杯遊んでいるチャボがいない。『何処へいってしまったのだろう』淋しい。
出店の並ぶ参道。沢山の人達に押される様にして社殿の方へ入って行く。
何時もの静寂とは違って新年らしいたたずまいだ。皆思い思いにお参りをしている。
特設テントの神官や巫女さんの姿。神官のおられる横を見る。
『あんな所にいる』
神官の後に金網の小さい鳥屋。その中に何時もなら伸び伸び杜の中で歩き回っているチャボが、その小さい金網の中に鮨詰めにされている。余程詰め込まれているのか羽が金網からはみ出している。
『あヽあヽあんなとこに押し込まれて』何だか物扱いだ。
チャボは何時ものあの自由な姿とは似ても似付かぬ恰好。
『そうか年賀客に差しさわりが有ってはの配慮なんだなあ』
それにしても哀れな姿だ。
私はもうそこを見ない様にした。

書初めも一人表は通る声
かきぞめも ひとりおもては とおるこえ

山間の大家族の中で育った私は、前の家は同級生の男の子と両親だけの三人暮らしを見て、あんな少ない家族は淋しく無いのだろうかとよく思ったものだ。
それが自分で世帯を持つ様になってからは、二人とか三人の暮らしで娘によく言われたものだ。
「お母ちゃん一人子はそれ自体が問題児だよ」と姉妹の無い事をよく怒っていた。
私は五十八歳で遂に一人暮らしになった。とは言え毎年何人ものお弟子が来て新年のお祝いをしていた。
社寺巡りをしている時に足をけがして癒らず、ヘルパーさんに来てもらう始末。以来人を呼んで祝賀する事が出来なくなってしまった。
初詣も出来ないのでまあ優雅に書初めでもしようと、一人二階の道路側の部屋で筆を持った。
何時もなら余り人通りが無いので締め切っていると、山の中の一軒屋みたいに外からの音は何も聞こえないのに、お正月ではしゃいだ大勢の人が行き来する声が聞こえる。
入り口で止まって喋っている様な大きい声もする。
『誰か来たのかなあ』筆を置いて聞き耳を立てる。
通り過ぎて行った。
『何や、家へ来たんと違うのか。そらそうや何も約束していないもん来る訳が無いわなあ』
ひっきり無しに色んな声がするが皆通り過ぎて行く。
『誰か来てくれないかなあ』
優雅に書初めをしようと思ったがその静寂故に下を通る人の声が聞こえて淋しい元旦になった。
八人以上でお正月を祝ったそして毎晩遊び客が絶えなかった生家の暮らしが懐かしい。

神官が人にはだかり蹴鞠の儀
しんかんが ひとにはだかり てまりのぎ

京都の下鴨神社は年中色んな催しがされていて、一番大きい行事は葵祭だが初詣も沢山の人が訪れる。三が日が済んで一月四日は蹴鞠と言う古代の鞠遊びが神事として行なわれる。毎年知ってはいても関心が無かったが、家から五分余りで行けるのでどんな物か見て来ようと常着で出かけた。
舞殿の廊下に座って蹴鞠が始まるのを待っているらしい人や、沢山の人が社殿の周にうろうろしている。
私も何処で蹴鞠がされるのかと思いながら舞殿の上がり口に腰を下ろして待っていた。
暫くするとバイトらしい人が来て
「此処は上がらないで下さい」といって廊下に座っている人を追い出そうとした。
「何で?」
「これから蹴鞠が始まりますから」
「何で此処にいたらあかんの?」
「ここは他の人が来られますから。済みませんのいて下さい」
「何で私らはあかんの?」
「早くのいて下さい」そのバイトらしい人は強引に迫る。
「何で?神さんは平等と違うの?」
結局舞殿の廊下にいた人は全部下ろされてしまった。
そのうちに何処から来たのか沢山の人が蹴鞠が行われると思われる所を取り巻いてしまった。
『此の人達は何や』
舞殿の角から二メートル程空いている。そこから見えるだけになってしまった。
廊下から下ろされた者はそこから背伸びをして見ようとした。今度は其処へ神官姿の人が来て中へ入れない様に両手を広げてそれ以上行けない様に立ちはだかった。間もなく蹴鞠が始まった。
堂々と見ている人達の頭の間から装束も珍しい古典の姿の人が鞠を蹴るのがたまに見える。
こちらを向いて両手を広げて立ちはだかっている神官姿の人も目に入る。
「もう帰ろう」
後から押しかけてみている人の間をやっとすり抜けて社殿の入り口を出た。
「神さんに差別されたなあ」
「予約の人にお金を取って見せているのやろなあ。始めからそう断っておけば良いのに。あんな中途半端に覗かす様な事をして」
「いやらしい神さんやなあ」
私達はならの小川の石橋を渡って神社の横から近道で家へ帰った。

平成十九年四月   磯野香澄

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