面白絵解き俳句 5

磯野香澄俳句の世界五の四琥珀彩の四季より
(この書は一巻を通じて情け無いとか、かなんとか、怖いとか癖のある句で構成しているものです)

造り滝古ぶ水跡寒の庭
つくりたき ふるぶみずあと かんのにわ
法金剛院は花園駅からすぐで丸太町通りに沿っていて、今では市街地になっているが昭和の中頃迄は、京の田舎と言われた郊外の淋しい所だったと思える。門から近い東側には美しい池があったり、色んな樹が生えていて何処にでもあるお寺の庭だが、西の方へ行くと様子が変わって来る。昔の野原の様な所の山手に人口の滝があって形は旨く出来ているのだが水が無い。滝に水が無くては話にならない。でも滝頭から長年水が落ちていたと思われる跡が、巌と言っても良い位の大石に付いている。その色具合から見ると余程長い間ちゃんと滝の水は落ちていたのだと思える。
「何で水が出ん様になったんやろ」私が不思議がると
「この跡の色からすると大分昔に造られたと見えるなあ」彼も言う。
「それにしても何で水が出ん様になったんやろ」再び私が言うと
「そうやなあ昔は結構水が落ていたらしいのに今はカラカラや」彼は辺りを見回して不思議そうに言う。
高さ三メートルばかり横は石が巧に組み合わせてある。そこから左右へ山手の様に土手になっている。
『でも可笑しな物が見える。土手の後に板塀の上の様な物。土手でその後は山だと思えるのに板塀とは』
好奇心旺盛な私は板塀の後ろが見たくなった。
その土手は長さが十メートル程で段々低くなっていて、その上へ上がれそうだ。
私はこの滝の裏がどうなっているのかもう見に行かずにはおれない。踵の高い靴で登りにくいが枯草の生えた土手を少し登ると板塀の後ろが見えた。
驚きだ。
『何だこれは』
板塀の下は道路だ。
『そういえば妙心寺から西へ行けば丸太町通りへ出たなあ。あれはここだったのだ』
道幅五メートルばかりでこっちの土手と繋がっていたらしい山が切り取られている。滝の後ろは板塀でその板塀は道路の側壁になっている。滝の水が何処から流れる様にしてあったのかを知りたくて登ったのに、すとんと掘り下げられて道路になっているとは。
滝頭は奥行き二メートル程でそこは岩の上に土が載っていて小さい草が生えている。
『こんなもん水が落ちていた仕掛けとどうしたら辻妻が合うのや』
私はその時ふっと前の事が頭をよぎった。以前にこの上の方へ言った事を思い出したのだ。そして其処にほんの少し水が流れていたのを思い出した。
『そうだあの水が此処迄引いてあって、滝の水になって落ちていたのだろう』
そう思って見ると道路を通すのに山手を切り通しにした為に水が断ち切られてしまったのだと、昔の滝の取水溝の様子が偲ばれた。
そして乾いた岩に残る滝の跡との繋がりが想像出来て、水の落ちなくなった滝が気の毒に思えた。
法金剛院の敷地ぎりぎりに道路にするのに山を掘られてしまった様で、寒中は庭だけで無く当たり一面水が枯れたり寒ざれと言ってからからになるが、春になれば潤うのにこの滝は永遠にからからだ。

山頂の陵墓の祝詞北風に消え
さんちょうの りょうぼののりと きたにきえ
亀岡から京都へ流れている保津峡から少し支流へ入った所に水尾と言う小さな里がある。
ここは秋になると柚子が里一面に実をつけて黄色と緑の美しい谷間になる。その狭い谷底へ一旦降りて、又向かい側の山へ登って行くと山頂近くに御廟がある。ここは水尾天皇を御祀りしてあるのだそうだ。方々の陵を見て来たがこんなせせこましい所にある天皇の墳墓は初めてだ。
谷の様に窪んだ片側に段があってそこに建物があるのだが装飾的な囲いの様なのがあって中もよく見えないし入る事も出来ない。それに此処は地形的にへこんでいて辺りの木々も大きく鬱蒼としていて昼でも薄暗いのだ。折角登ったけれど行き止まりになって仕方なく降り始めた。暫くすると後ろの廟から声が聞こえて来る。どうやら祝詞を上げて御祀りを始められたらしい。その声が聞こえたり消えたり揺れるのだ。風の動きで聞こえたり消えたりするらしい。この風情は喜んで良いのか怖いと言おうか。誰も居ないと思っていた御廟から神に捧げる人の声で、祝詞がおばけの声みたいに聞こえるのだ。
柚子の季節も終わっていて里の方も静まりかえっている。もし陵墓があるのを知らなかったら、逃げたくなる所だ。私が期待していたのは前方後円墳でもあるのかと登ったのに。
二人は唯無言でひたすら山を下りた。
良かったのか悪かったのかまあ偶然の一句を戴けてこの文章も書けてよかったのかなあ。

手洗いは氷で固まり山頂宮
てあらいは こおりでかたまり さんちょうぐう
亀岡から大阪へ行く途中の野瀬と言う村に、妙見山と言う山があってその山頂にお宮がある。
ここはケーブルがあって山の上に村がある。そして郵便局迄あるのだ。とは言え人家は二〇軒位かも知れない。
このお宮は広い駐車場があるのだから日によっては多くの参詣者が押しかけるのだろうが、気まぐれに行く私らは何時も人の居ない時ばかりだ。一台も止まっていない駐車場に車を止めて外へ出た。其処は二十センチばかりの車止めがある。一メートル程で下りになっているので其処へ立って見た。
二人は思わず笑ってしまった。なだらかな傾斜の草ワラの下に真赤な自動車が横向きに寝ている。この車は多分車止めの間から落ちたのだろうが、こんななだらかな傾斜を車の落ちて行く姿が目に浮かぶ。
一〇メートルばかりをころんころんと、上向きになったり下向きになったりして一番下迄転げて行ったのだろう。中に乗っていた者は苦笑いし乍横向きになった、車のドアを開けて出て来た姿迄想像出来る。
走って居る時はイキッテいる真っ赤な車が窪みに横向きに寝ている恰好は面白いの外無い。
二人は大笑いしながら山頂にあるらしいお宮へ登って行った。
誰も居ない。本殿の入り口に手洗いがある。
山頂で狭いからか社殿へ行く手前にトイレ。
お宮へお参りしようと思っていたのだが、トイレがあると思えば入りたくなる。
出て来て困ったのだ。それは水道が凍りついていて蛇口のコックが動かない。何とかとそこらを見る。
横の方に置いてある洗面器に張った水も凍ってしまっている。手が洗えない。私が困っていると、
「何しとるねん」と彼は私をひやかす。
「分ってるやろ」
「ワラってやりましょう。さっき人の車が落ちてるのを見て笑ろたんは誰や。人の事笑たんやから笑われてもしようが無いわなあ」彼は尚も面白がる。
真っ赤な自動車が草の中に寝ている姿を思い出さされた『そうだあれは可笑しかった』
「あんなもん笑うな言う方が無理や」
私は反発して
「人の事笑えるか?自分かてオシッコして来たやろ」
「男はそんなもん手みたい洗わひんはなあ」
『?』
二人は手を清めずにお宮へお参りした。

平成十九年六月   磯野香澄

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