磯野香澄俳句の世界五の四琥珀彩の四季より
(この書は一巻を通じて情け無いとか、かなんとか、怖いとか癖のある句で構成しているものです)
語り部の声や唐門雪の下
かたりべの こえやとうもん ゆきのした
三千院で知られた大原の奥へ自動車を走らせていた。結構雪が積もっているのだが山の斜面に突如石段。
「こんなとこ何が有るのやろ」と不自然な石段を見つけて私は言った。
「あんまり眼に止まらんかったけど」と彼。
「普通の家では無さそうやしそうかと言って、神社やお寺の参道なら木が植えてあるとか、何かそれらしい感じがするもんがあると思うけど」と彼に気づかない程の石段のあったのを説明も兼ねて言った。
普通の杉山の中に唯石段がさりげなくあるだけの道端。好奇心の塊みたいな私は何が有るのか確かめたくなった。
自動車は大分行き過ぎている。
「なあ、引き返してあの石段の上に何があるか見に行かひんか」元々何処へと行く当ての無い私達。
「どうせくだらんとこやと思うけどそんなに見たいのなら引き返えそうか」
「ふん、あんな急な山肌を真直ぐに石段が付いているて珍しいやんか」と彼にも興味を持たせようと私。
「雪が積もってるのに上がって見るか」
「石段のとこは見えていたしそんなに積もっていなかったみたいや」と言うと彼も
「杉の木の中やさけ積もらひんのやなあ」と言う。
「上の方で行けん様になったらそれはそれで良いし」と先から予防線を張って言う私。
二人は車を回して来て杉木立の中の石段を登って行った。
石段は急でこれ以上勾配がきつかったら、手摺が無いと危ないが何とか手摺無しで、登れる程度の傾斜の石段を大分登った。
見上げたら見えただろうが勾配がきついので上の方迄見ていなかったが、近づくと見た事の無い形の門が雪を被って立っている。その門迄登ると少し上に雪を被った建物が見えて、中から何やら小さい声がぶつぶつぶつぶつ聞こえて来る。
「何をしてはるのやろ」門の一歩手前で私は立ち止まった侭動けなくなってしまった。
門から少し上がった所に段があって、そこから少し入った所に雪に覆われた建物があるのだが、普通のお寺だったら平気で入って行けるのに、門の手前で立ち止まった侭なぜか動けない。
建物が見えるがその下の部分を知りたいと思っても、雪が積もっているのが見えるだけだ。相変わらずぶつぶつぶつぶつ何を言っているのか、語り部が話している様に聞こえる。
「何やろこの門は何となく中国的やろ」と門の違和感に彼は言う。
「この門は日本には無い形やなあ」と私も考え込む。
門の脇に“阿言寺”と書いてある。
何が有るのか知りたいがどうしてもこの門に阻まれて踏み込む事さえ出来ない。
丸で金縛りに逢っている様で一歩が踏み出せないのだ。
私達は諦めて呪文の様な声を背にして石段を降りた。
未だに私の好奇心はくすぶっている。
せんべいに群がる鹿や枯れの杜
せんべいに むらがるしかや かれのもり
行く当ての無い私達のドライブはひたすら二十四号線を走っていた。
何時の間にか奈良へ着いている。
「暫く鹿に逢てひんし一遍ここで止まろうか」と私は言った。
「そうやなあ今頃は駐車場もガラ空きやろし良いなあ」と彼も同意する。
広い駐車場に四、五台のマイカーが淋しそうに止まっている。人影は何も見えない。
鹿は何処に居るのかと思い乍ら足を奈良公園の方へ向ける。生き物の姿は何もない。暫く枯れ切った森の中を歩いて二人だけの公園を楽しんでいた。土産店が淋しそうに立っている。閉まっているのかと思い乍ら店の前迄来るとちゃんと開いている。何も買う物も無いが店を見ていると鹿のせんべいが並んでいる。
「せんべいでも買おか」と私が言うと動物の好きな彼は大乗り気で
「そうやなあ」と言いながら彼は店へ入って行く。そして大きい方の鹿せんべいの袋を取り上げた。店には誰も居なかったのに横を向くと店の人が傍に来ていた。他に欲しい物はと見るが何も無い。たまのお客と出て来た店の人には悪いけれど、せんべいの袋を一つ提げて店を出た。
十メートルも行かない内に何処から来たのか鹿の大群だ。
何もいないと思っていたのに何処からこんなに沢山鹿が寄って来たのだろう。
彼は鹿の大群に取り囲まれてしまった。まだせんべいの袋の口も開けていない。
小柄な彼は鹿に取り囲まれてバンザイの形で必死に袋の口を開けようとしている。角だらけの顔が袋を目指して擦り寄っている。
『怖くないのやろか、私やったら囲まれただけでも怖いのに』と思いながら見ていた。
やっとの事で袋を開けた彼は手を上に上げた侭一枚づつ出して鹿にやろうとする。
鹿はその一枚をめがけて押し合っている。
初めの一枚を大きい鹿がくわえた。二枚目を袋から出すと又同じ鹿が取ろうとする。
鹿に体を揉まれながらやると言うより取られている感じだ。それでも彼は万遍無くやろうとしている。『あれでも楽しいのやろか必死で鹿の大群にもまれているだけやのに』と私はニヤニヤし乍ら見物だ。せんべいは大きい方の袋とは言えすぐに無くなった。周囲に居た鹿は袋が空になったのを見て何処へともなく行ってしまった。
一人残された彼はしょんぼりしている。私が傍へ寄っても何も言わない。
私は彼が気の毒になった。
二人は何も言わずに鹿も人もいない森の中を無言で歩いていた。
スーパーも入口細め大吹雪
スーパーも いりぐちほそめ おおふぶき
此の日も京都は良いお天気だった。
湖西の有料道路を走るのは快適だ。
今津から北へむかう。トンネルを出ると、何時の間にか天気が変わって風が出て来た。雪も降って来た。
「あんまり遠いとこへは行けんなあ」彼が言う。
小浜に近づくと昼間と言うのに雪は積もって来た。
「何時もの事やけどこっちはよう雪が降るなあ」と私。
「海沿いやから余計にきついのやなあ」
二人は何時もの様なやり取りをして走っていた。
「敦賀迄は無理やなあ吹雪の三方五湖の様子でも見て帰ろうか」
「それでも良いけど」
「それにしてもきついなあ。一遍休もうか」と彼が言う。
「もうじきスーパーがあると思うけどあこで駐車場があるし」と私。
二人は吹雪の駐車場に降りた。
店の入り口が細目に開けて有る。お客が入りやすい様にと言う心使いだろうか親切なのかそれともチャッカリと作戦なのか。迎え入れられた様な気分ですっと中へ入る。日本海沿いの田舎町だがスーパーだけは最新設備だ。
新鮮な魚を買ったり、コーヒーを飲んだり、中にいると今迄来た大吹雪は嘘の様だ。
すっかり平和?ムードにひたった私達は店を出る事にした。外へ出たとたん相変わらずのきつい吹雪に「もう行くの止めようか」と私が言うと
「今日は何やいつもの行きたがりがどうなったんや」と彼はからかう。
「やっぱり京都が良いわ」
「こんな吹雪の日無理せん方が良いなあ」彼もこんな吹雪の中を運転するのは苦手とばかりに大賛成だ。
「鮮度の良い魚が買えたんやしまあこれで良かった事にしようか」と私が言うと
「負け惜しみ言うて」彼は私をからかう。
「自分かて運転かなん癖に」と私も応酬する。
「何やったら敦賀迄行こうか」と言い乍ら彼は降り積もった吹雪の道を京都へ向けて車を走らせた。
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