俳句はドキュメンタリー

俳句を日記と思って書くと言ったり教えたりする向きが有ると聞きます。これはとんでも無い事で日記を書くのなら、十七文字で窮屈な思いをして書くより思う存分書けば良いし、俳句を書くのなら最短のドキュメンタリーですから、読んだ人にちゃんとその情景が伝わる様に書かないと俳句とは言えません。
五七五で詠ってある句は川柳以外は俳句と云われている様な昨今、マスコミの悪影響も大きいと思われますが、五七五と指を折り出した途端に俳句を作っていますと云って疑わない人が殆どで、とんでもない句が俳句だと云ってまかり通っています。
書道、華道、茶道、剣道と多くの習い事は入門してその道を習うとありますが、俳句は寛大なのか五七五とリズムを揃えれば何でも通っています。
報告句、説明句、観察句、告白句、家族句、青春句、擬人句、空想句、れば句、思いつき句、破調句と挙げて行ったら切りが有りません。
せめて俳句と云うのなら写生句や比喩以上であって欲しいものです。
又茶道とか華道等の様に俳句道として、俳句の初歩から奥義までを習得して行くのを、通常の形となりたいものです。
大分前の事ですが稲畑訂子氏が、祖父高浜虚子が客観写生を唱えて花鳥諷詠を指導したとTVでの話でしたが、客観写生とはおかしい事で写生とは客観に決まっていますので、そうで無い場合に特別に造語として、例えば主観写生とか内面写生とかの様に云うべきで、当の虚子は客観写生等ではなく主観写生と云われた筈です。
主観写生を提唱してそれが実現出来ず、花鳥諷詠に修正して今のホトトギス王国の基を築かれたと思います。
花鳥諷詠とは自然の事を詠む事で写生が書ければ良いのですが、そうは行かずに説明や報告まがいになってしまい、極言すれば何でも良いと言う様になっています。
それも十七字では舌足らずで文法的に日本語になりません。しかしそれ等を読んだ側が想像してまとめて解釈されています。中には良い句材に出合ったと推測出来る作品も見受けますが、作句力が貧しいのでちゃんと伝えられていないのが惜しいと思う事も有りますが、この程度で良としておくと人が寄りつきやすいので、その様な処は隆盛を極めて内容迄が主流だと錯覚して、俳句を低次元なものにしてしまっています。
又今の花鳥諷詠の様に目に付いた物又は意図的に取材した作品は、作者の思った侭を十七字に託しているだけでそれは俳句を書く練習句に過ぎません。
花鳥諷詠と云うので良いのなら菊一鉢あれば百句は作れます。野外で手当り次第目当り次第に書けば良のなら十秒もあれば一句、無限に出来るものです。その様なものは練習句で俳句ではないので、本物の俳句とどう違うか、その区別をはっきりさせるのが私の使命でもあると思いますので、その意味でもこの〈俳句はドキュメンタリー〉と言う観点から示せればと思います。
そこで十七文字でドキュメンタリーを書くにはどうすれば良いかと言う事になります。
本物の俳句とは感動した情景、少なくとも心に響いた情景をその侭読み手に渡すものです。
先ず人間の営み自然の営みの中で感動した事、心に響いた事を句材として書きます。
その自然の中から賜った心に響いた出来事をその侭読み手に伝わる様に書きます。
読み手はその句を読んだ瞬間その句の景色が見えその情感に同化するものです。
本物の俳句を成すには良い情景に遭遇する事。それを受け止める美の意識が作者に備わっている事。遭遇した情景をその侭読み手に渡す技術を持っている事。とこの三つの条件が揃う事が必須です。
その一に、句材として強く心引かれたと云う場面にはそうそう巡り合う事は出来ませんので、こちらから取材と言おうか賜材に出かけて行ってそこでより多くの偶然に巡り合い、目新しい事物に遭遇しますと、その中で幾つか心に響く情景を賜う事が出来ると思います。
又同じ句材でもその時の心理状態で受け取り方が随分違って来ます。
例えば祇園祭の宵山を見に行っても誰と同行するかで全く情感が違います。あれは好きな人と二人で行くべきで、又言い争いをした後ではすぐに行かない様に。これは宵山の情緒とはその様なものだからで、俳句の賜材もそれ以前にどう云う状況の中を過ごして来たかで随分違って来ます。どっちにしても良い句材を賜うと言う事に尽きます。
その二にどんなに良い情景に遭遇していても作者が美を察知する意識が希薄だと、単なる景色で終ってしまいますので、色んな事物を愛の心で感受する姿勢が肝要です。
その三に、十七字で景色と情感をあった侭渡すと云う技術は、天才で無い限り長年の習熟を要します。
賜った俳句と云うものはプロセス無しには有り得ない訳ですが、その極めつけの所を十七文字に託し、
その現実をその侭読み手に伝えるもので具体的な言葉に心を託します。
俳句とは、時間と空間の中の一瞬の出来事を切り取った、今生きて動いている最短の詩でありドキュメンタリーなのです。

平成十九年三月     磯野香澄

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