現代俳句の上に芭蕉の世界があった

私は俳句に係わって五十年になりますが、その間色々な手法を習得して来ました。そしてその頂点に至って現代俳句の上に〈古池や蛙飛び込む水の音〉に代表される芭蕉の世界があったと言う事を、理論的に解明し到達するに至りました。
その道程をあらかじめ書いて、審議の程をここに明らかにしたいと思います。
私は小学校の時に一茶の〈雀の子そこのけそこのけお馬が通る〉とか〈やれ打つな蝿が手をする足をする〉と言うのを習ったけれど、それ以後俳句について何の知識も有りませんでした。
ある時四人で吉野山へ桜を見に行きました。誰かが俳句を作ろうと言い出しました。
私は俳句とは何も分からない侭に桜が未だ三分咲きだったので〈花三分友は四人で五合瓶〉と、その頃は花見をするのに、五合瓶とかウイスキーの角瓶をぶらぶら持ち歩いていても、恰好が悪いとは思わない時代で、酒の好きな男性どもが持ち歩いているので、三、四、五と数字が並ぶので面白いかなあと、即吟したのが二十三歳の時でした。
以来俳句とはどの様な物かと言う事を知らない侭に、俳句のサークルで好きな事を書いていました。
それが現代俳句だったのです。随分長い間そのサークルでお山の大将をしていたのですが、ある結社誌を見せて貰ってそこに書かれた俳句に魅力を感じて、その結社に入会させて貰いました。
その結社も当然現代俳句を書いていたのですが、反面〔物で事を書くのが最高の俳句だ〕と言う正統派的な事を提唱する部分もありました。私は〔物で事を書く〕と言う事が出来るのだろうかと思いつつも、もし本当にそんな事が出来たら素晴らしいだろうと、頭の片隅にその事を置きながら、比喩で書く現代俳句の山を登り続けていました。
そんな時に高度に現代俳句を書いている人に誘われて、益々高度な比喩の世界に入り込み、その内に現代俳句協会に推薦されて入会するのに立候補して、規定以上の投票数を貰って入会させて貰いました。その後もより高度な比喩の手法を求め続けて、虚実の書き方を手中にしていました。
絵画やその他の芸術での最高の作品は、虚と思えば虚、実と思えば実と思える虚と実の間を揺れて見えるのが、日本だけに限らず世界中で最高と言われていました。
俳句もそれらと同じく、虚実の手法で書いた俳句が頂点だと認識されていて、私もひたすら虚実の俳句を書いていたのですが、或る日とんでもない男とめぐり合いました。
私は彼に俳句手法の最高の所で書いているのだと、俳句の話をしました。彼は
「俳句と言うのはそんなちゃちなものでは無い」というのです。私は
「虚実が頂点やんかその上何をどうするの?」と反論のつもりで言いました。彼は
「虚実の上は〔動〕や」と言います。私は絶句しました。
「虚実の上は超現実が有るだけやんか」と私は『超現実みたいなもん俳句で書ける訳が無いので〔動〕とどう結びつくのか』と思いながら言いました。
「そうや超現実も〔動〕やけど、今漫画で壁を抜けたり、物が勝手に動いたりするのを描いているが、あんな物超現実でも何でも無い、あれは想像しているだけだから現実の話と同じ事や。超現実と言うのは現実に無い現象が本当に動く事だ。今やっているのは想像しているに過ぎない」彼は続けて言います。
「俳句は本当に動く現象を表現できるのや。現実に無い現象が俳句では書けるのや」と言うのです。
「どうしてそれが分るの?」と私は不思議に思って言いました。俳句を書いた事の無い彼にそんな事がどうして分るのか。とは言えその〔動〕と言う理論に反論する理由は何一つありません。
それから俳句と言う文学について、毎日毎日探求する討論が始まりました。
彼は私が虚実の手法で書ける様になるまでの理論を言うと、それをどんな観点からでもちゃんと理解し、その上に立って〔動〕に至る理論を組み立てるのです。
こうして討論している間に、俳句の初歩から究極の俳句理論に達する様になりました。
さて実践です。私は現代俳句ばかり書いていたので、俳句の基本である写生が思う様に書けません。
現代俳句は写生を抜かしてすぐに情景を比喩として感じたイメージで作句してしまいます。
それは自分の感じた通り書けば良いのですから、文章を書くのと同じで推敲も余り苦労は無いのですが、超現実や超実景は、目にした情景をその侭十七文字で完結して、尚且その句が動かない事には俳句では無いと言う理論で認識していますので、有りのままを書いてそれを動かすと言う働きを、発生させる処まで推敲するのは大変です。句によっては死ぬ思いで自分が感じた通りに、表現出来るまで言葉を捜し文法を駆使して、俳句が動く所へ到達させるのです。
こうして理論と作品を一致させる事に成功しました。
顧みれば三十年に渡って現代俳句を書いて来た経験から、現実に動く俳句の理論が確立出来たもので、私が虚子や子規の提唱した手法で書いていたら、到底至れなかった芭蕉の世界へ至れたと言う事です。
何故かと言いますと写生や花鳥諷詠と言った手法では、上達して行って習熟と言う川を遡って行くと、何時かは滝に出合う事になります。そこで滝をよじ登らないとその上流へ行く事は出来ません。小さい滝なら跳び上がる事も出来ますが、高い滝は跳躍しても滝頭に至れず、落下してそれ以上上流へ行く事が出来ません。従って超現実の〔動〕へ到達する事は不可能です。
その点現代俳句は滝を跳び上がるコースで無く、滝の高低を遠回りして色んな手法を模索しながら、滝頭の高さ迄到達する事が出来ていたのでした。そして山頂を極めたそこが虚実の手法だったのです。
〔動〕はそこから超現実の四次元的働き、人間の持つ感覚を自然現象に同化させて、のりうつり現象を発揮させます。そして生きている情景を読み手に渡して、読み手がその情景を感じて一句の完結を見ると言うのが、芭蕉が到達された有情の俳句の世界でした。
長年、頭の片隅に〔物で事を書く〕と言う事が本当に出来たら、どんなに素晴らしいだろうと思って来た事が解り、心に響いた情景を自分がどう思ったとかどう感じたとかを一切書かずに、目で見たままを具体的な言葉で書くと究極の俳句を書く一つの条件だったとも分りました。
感動した情景をその侭書くと言う事は、現在進行形で書くと言う事ですから、こうして書きますと必ずその情景は動いているのです。
そこに自然と言う一刻として止まっていない宇宙の〔動〕の働きが生じて、超現実なり超実景が発生して、字面では書いていない心が伝わるのです。
私達はこの結論に達して、その理論を実作で立証するのに十数年かかっています。
こうして芭蕉の世界は、現代俳句の上に有ったと言う事が、理論とその理論で究極の俳句が書ける様に、なった事によって解明する事が出来たのです。

平成十九年四月     磯野香澄

このページのトップに戻る

戻る  次へ

トップ 推敲 絵解き

アクセスト 出版ページ ギャラリー