俳句と絵画一瞬の違い

絵画の世界では百二十年程前に印象派と言うグループが台頭したと言う事ですが、私はこの印象派の表現と言われる絵画で面白い事に気付いたのです。
絵画と言うのは所詮時間的には一瞬より描けないのですから、どんな絵でも印象だと思えるのですが、それ迄の絵画は余り動きの無い物が対象とされていたので、作者も鑑賞者も時間を度外視していたと思えるのです。そこでそうした絵画の世界で変化が起こり、その一つの技法として瞬間的に印象強く感じたものを、なるべくその侭鑑賞者に伝えようと言う事で、敢えて印象派と呼ばれる絵画の出現になったと思えます。
印象に残るとか印象が強いと言うのは、生きているものは生々と、死んでいるものはその死に様をと言う具合に、究極の「らしさ」と言う事になります。その究極の「らしさ」を一枚の絵によって表現すると言う事は、究極の一瞬と言う事になります。
それを技術的にどう描写すれば効果的かと言う技法の事を指す様で、輝いているものは輝いている一瞬を、画布に定着させる事であると考えて来ると、どんな絵でもその一瞬の印象深い処が切り取って画かれているのですから、言い替えれば絵画(芸術)はすべて印象と言う事になります。
それを思うと多くの芸術家が一瞬を描く為に、いかに心を砕いて来たかと言う事です。「究極のらしさ」の一瞬を描く事に依って、その作者の受けた感動を伝え、そしてその一瞬の光景を手だてに、前後の経過迄も鑑賞者に感じさせようと言う事は、印象派だけで無く絵画全般芸術全般に言える事です。
では俳句ではどうかと言う事ですが、原点では俳句も絵画も全く同じだと思います。
俳句の原点は写生であり、写生とは一瞬を捕らえる事で、宇宙の長い時間の中で、人間の感じられる一瞬の様子を切り取って十七文字の中に定着させます。
風景であっても心の動きであっても、強く感じた一瞬、印象の強い一瞬を捕らえて書くのですから、分野を問わず、洋の東西を問わずその因となるものは皆同じです。
しかし分野が違うと表現も結果も随分違って来ます。絵画の場合は一枚の面だから、一瞬だけより描けませんが、俳句の場合はその一瞬を中心に、時間も空間も全て十七文字の中で表現する事が出来ます。感動の一瞬をストーリー性で表現する事が出来るのです。その上動きも伝える事が出来ます。
一瞬の感動、印象を動きに依ってストーリーとして読者に伝える事が出来るのです。
俳句はモノクロームで絵の様に色彩そのもので表現する事は有りませんが、読み手の中で自由に着色されるものです。
人間の(日本語の分かる)最も進んだ知的な部分へ瞬間的に飛び込んで、丸ごとそのストーリーの中へ、溶け込ませてしまう事の出来る表現形態であり、絵画の様に視覚に訴えて先天的な本能反応を手だてに鑑賞するのに対し、俳句は言葉と言う後天的な文字と言う文化的な部分で授受する事になります。
俳句は全宇宙の存在全てを表現する事が出来、時間も空間も超越して感動そのものを読者に憑らせる事が可能であり、芸術の域を超えて、俳句は宇宙であると言う処迄行ってしまいます。言い替えれば人は俳句であり俳句は宇宙であると言えます。
俳句は一七文字全てが理に適い内容をしっかりと伝達出来た時、読者は臨場してその句の一瞬の景色と感動の心の場に臨んでいます。そこが他の芸術には無い処で臨場と言う言葉からしても、一般的には臨場感があると言う言い方をして、そこに居る様な感じがすると言う程度ですが、俳句ではその場に臨場するのです。
芸術では虚実のはざまで表現出来た作品が最高であると言われ、実物よりより本物に見える絵は鑑賞者に迫って来て、恍惚状態にさせてくれます。反対に俳句は鑑賞者が気付く事も無くその作品に憑ってしまっています。それが名句であり名画の迫力とは違って、静かに鑑賞者を知的次元へ臨場させていい気分にしてくれるのです。そんな芸術の域を超えた俳句は崇高です。
或る宗教家の言にもこんなのが有ります。自分が修行して悟りの境地に達し其の様な人格に成ったと思っている間はまだ駄目で、そこを超えて普通の心でいる処迄行かないと本物ではないと。そしてその逸話として狐や兎が偉い方だからと届け物を一杯持って来た。しかしその偉い方が、偉いと言う処を見せなくなったら届け物が来なくなった。その誰も来なくなる処迄に至って本物になれたと言う事だと話されていました。俳句もそんなものだと言えます。
絵画は一瞬の景を平面上に描いて、鑑賞者に一瞬に感銘を与える手段ですが、
“古池や蛙飛び込む水の音” 芭蕉
右の句を例にとっても俳句は一瞬の景が書かれているだけで、口ずさむとこの句の景が見えて、神仏みたいな目でその景を見ています。しかしだからどうだと言う事は無くいい感じがして心がほのぼのとします。
私はこうした俳句を思う時目頭が熱くなります。真の俳句とはそんなものです。

平成十九年六月     磯野香澄

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