俳句の読み方9
磯野 香澄
< 汐 越 や 鶴 脛 ぬ れ て 海 涼 し > | ||
<汐越や>汐越とは地名で字の通り道がなくなって海の浅瀬を歩いて行かなければならない。この上五は一言で地名と状況と心の三つが表現されています。<鶴脛ぬれて>鶴脛とは五十才の芭蕉の旅に痩せた脚をこう比喩しているのです。浅瀬を尻からげしてよろよろと歩いている姿が鮮明にみえます。でも芭蕉は脛が濡れて<海涼し>と楽しんでいます。芭蕉は弟子の曽良と二人の旅ですのでそれを知っていると、二人の男が尻からげで細い脛を出して浅瀬を歩いている姿が見えてとてもよく憑れます。 |
< 龍 王 堂 伸 ば す 手 足 に 滝 し ぶ き > | ||
龍と言う架空の動物ですがそれを神格化して水のある処によくある風景ですが、長い距離歩いて来てお堂で疲れた手足を伸ばし休んでいると滝のしぶきガ霧の様に降りかかってとてもいい気持だ。この句の読み処は、龍を言わずに堂を書き、身体を言わずに手足岳を言い滝を書かずに飛沫を書いて、言わば脇の言葉ばかりで綴り、周囲の風景を喚起させてその後、そうした環境の中での安らぎを表現している処です。[滝」は夏の季語ですのでイメージしていい気持に同化して下さい。 |
< 涼 風 や 白 暮 の 灯 台 灯 が 光 る > | ||
昼から夜へ移り行く間の明るさは人の心を感傷的にします。昼間は風景としてだけで灯台としての機能をしない灯台も辺りがだんだん暗くなって来ると、投光の灯りが見え出しまだ昼間色の残る海浜。その明るさに負けない灯台の光りがピカピカ回っている。その涼やかな光景。昼間の暑さもすっかり取れて旅する心はメルヘンにも似た旅情を感じている。旅人はその光景に目を取られ涼風を肌に快く感じている。イメージで同化して味わって下さい。 |