俳句の読み方

磯野 香澄   

   本来俳句は読んだ瞬間にその景色が見え情感が同化するもので、読み方を説明するのはおかしい事ですが、俳句に二た通りあってその一つはこの心情俳句であり、もう一つは現代俳句の比喩で書かれた感覚俳句です。これが案外知られておらず一般の人に分りにくい処だと思います。又初歩の写生句も混同されがちですがこれは十秒もあれば作れるものでそれは別として、ここでは完成度の高い心情俳句の読み方についての説明です。俳句は反転する事が多くあるのですが、先ず書き方及び読み方の第一歩からそれが言えます。心情俳句は心に感じた事をその侭伝えるのに、作者はどう書けば自分が見た通り感じた通りに伝える事が出来るか、簡潔明瞭にするのに頭を凄く使って書きます。読み手はそれを直感で感じるだけです。現代俳句は反対に作者が直感で感じた事を如しの手法で書いて、読み手はそれを何が書いて有るのか頭で判断して読み取ります。直感で読む俳句は書いてある字面の通りストレートに読めばよいので難しい事はないのですが、むしろ書いてない事を勝手に想像しない事です。書いてある通り直感するとその風景や言葉に自分が過去に見た景色や経験が瞬間に甦って自分独自の情景が感じられ「う−ん」とか「うわ−」とかの反応語が湧いてその情感に同化しています。こうして感応しているとどう良いのか分りませんがとにかく、ふ−んとかあ−とかの反応音がその句に対する評価です。又頭を働かす余地がない心情俳句は何を云わんとしているのか分かりません。要はその句の情感に同化出来れば良いのです。しかしそう感じるにはきちっと日本語の文法通りに読まない事にはその良さを感じる事は出来ません。俳句はどんな情景でも十七文字で書けるのですがその変り無駄な言葉を削ぎ取って、その上一番適切な言葉を探しまくって見た景色感じた思いを的確に伝えます。特に季語と言う季節の言葉は最もなと言う前提が有って、そうで無い時やものを言う場合にその状態を言うけれど、例えば春と言えば一番春らしい春の事を言い、鴬と書くだけで良い声で鳴いている。炎天と言えば一番きつい時の事です。この様に季語は最もな事を言っているのです。又俳句特有の切れ字と言って句を一旦切って省略してある処とか、考えて見れば日本語として当り前なのですが案外分りにくいもので、そこでそうした読み方を何例かで助言させて頂こうと思います。  
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