俳句の読み方8

磯野 香澄   

< 眉 掃 き を 俤 に し て 紅 粉 の 花 >  
   <紅粉の花>どんな花か知らないので申し訳ないのですが、でも「眉掃きを俤にして」とありますので眉掃きに似た花だと言う事です。芭蕉さんは真面目な人だと言うイメージがあるのですが、結構色っぽい作品があってこの句等一句全体で紅粉の花が眉掃きに似ていると言ってあるだけです。そこで面白いのが男性である芭蕉さんが化粧道具を使う訳がないのに女性の使う眉掃きに似ていると。そして似ていると言わずに「俤にして」といっている。従ってこの句の読み処は<俤(おもかげ)にして>にあります。単なる字面通りですとこうした作品は比喩または如し俳句と言う事になります。表面的には全くその通りですが、この句は人に見立てての作品だと思えます。「だれだれはだれだれを俤として可愛い」私は深い処での性愛を感じます。  
 
< 春 の 陽 に 光 る 乳 房 露 天 風 呂 >  
  この句の場合<春の陽に光る乳房>で切れています。ちょっと見ただけでは<日に光る>で切れる様に見え、<乳房露天風呂>と「房」と「風」の間は続いている様に見えますが、先に書いている様に上五中七を一気に読み下し、その後<露天風呂>と続く。この句は実景その侭を書いているのですが、写真や絵と違って文字で書く写生の面白い処で、書いてある映像が見えるまでに数秒かかるので、そこを情景の書き処としています。読まれてお感じの様に上五中七迄は色んな取り方になりますが、下五に来て初めて「ああそうか」と内容の必然性と健康的なエロスにニヤッと言った処でイメージが湧き同化します。この表現手段が写真や絵画であったら作品にならない画面を、文字を読む時間の為に生じる綾で作品に仕上げています。そこが読み処の作品と言えます。
 
< 山 頂 で 合 わ す 唇 俄 か 雨 >  
  この句の読み処は先の句と同じく、下五迄読んで内容にニヤリと言った処にあります。<山頂で合わす唇>とやっとの思いで頂上に立てた感激で抱き合いキスをしている。しかし雲行きが悪くなり雨が降り出して来た。山頂の夕立は雷が激しくて危険だから早く下山しなければ危ない。せっかく良い処なのにゆっくりと感激にひたっている訳にはいかない。映像をイメージして同化して下さい。
 

俳句の読み方トップ

戻る  次へ

トップ 推敲 絵解き

アクセスト 出版ページ ギャラリー