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ヒポクラテス(前460-?)
古代ギリシアの医学の大成者。ソラノスの伝によると,彼は前460年にコス島で生まれたとされる。
父のヘラクレイデス,ついでへロディコスから医術を学んだ。
両親の死後コスを離れ各地を旅して医療活動を行い賞賛を得た。
ペロポネソス戦争のときにはアテナイをはじめとする諸都市を疫病から救い,
アテナイの市民権を与えられた。テッサリアのラリッサの付近で死んだが,
その年齢として85歳,90歳,104歳,109歳の4説が伝えられ,また別に83歳説もある。
彼にはテッサロスとドラコンという2人の医者の息子がいたが,
医学者としては女婿のポリュボスがすぐれていた。
現存する70編の《ヒッポクラテス全集 CorpusHippocraticum》は,若干の作を除くと,
前3世紀初めプトレマイオス1世治下のアレクサンドリアの学者や図書館員によって編纂されたものである。
その土台となったのは前5世紀半ばころから前4世紀半ばころまでの間に成立した
ヒッポクラテス自身の作と他のコスの医者たちの作を含むコス学派の叢書で,
それと相並ぶクニドス学派の作も採られた。
現在では,これらの作の中でとくに〈流行病I,III〉(〈流行病〉は7編ある),〈予後〉〈空気・水・場所について〉
〈神聖病について〉〈骨折について〉〈関節について〉〈急性病の摂生法について〉を
ヒッポクラテス自身の作であるとすることが定説となりつつある。
これらの作から看取されるヒッポクラテスの医学の特色はつぎのとおりである。
病状を正確に観察し記述する。病気よりも病人の現状を全体としてとらえ,将来の経過を正しく予知しようとする。
環境条件が病気の発生や経過さらに人の体質気質に及ぼす影響を明らかにし,病気を自然現象として見る。
粘液や胆汁などのいわゆる体液によって発病のメカニズムを合理的に説明しようとする。
骨折や脱臼などの負傷に対し独特の包帯のしかたや整復のための補助器具を説く。
病気の治療法としては自然の回復力を重視して食品法を主にし,それを病人の状態に合わせて指定する。
以上のような彼の学説は,
要するに,病気を生物に起こる自然現象として土地や気候を含む環境全体の中においてとらえ,
それに彼特有の合理的な説明を与えたもので,
そのおかげで医学はそれまでの巫術的な治療法や独断的な教条になりかねない哲学から
独立した一つの学となったと考えられる。
また医師の倫理の面でもいわゆる〈ヒポクラテスの誓い〉が,後世彼の名とともに繰り返し語られることになった。
ヒッポクラテスの学説の中で,体液による病気発生のメカニズムを説明した体液論は,
とくに彼の女婿のポリュボスの作とされている〈人間の自然性について〉の中で体系化され,
血液,粘液,黒胆汁,黄胆汁のいわゆる四体液説となった。
これが2世紀のローマ最大の医学者ガレノスによって高く評価され,
たんに後世の医学説ばかりでなく,ひろく人間観一般に対しても大きな影響を及ぼした。
しかしそのために,四体液説がやがてはヒッポクラテスの退けたはずの独断的な教条になってしまったことにも
注意しておかなければならない。