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西田幾多郎(1870-1945)明治3-昭和20


哲学者。近代日本の代表的哲学者として,その哲学はしばしば〈西田哲学〉と呼称される。

石川県に生まれ,1894年東京大学哲学科選科を卒業,96年に金沢の第四高等学校講師,次いで教授となった。

そのころから,物心両面の苦悩のうちに参禅の経験を重ねたが,

やがて当代の日本に広い影響を与えていた T. H. グリーンの理想主義的人格主義倫理学や

W. ジェームズの純粋経験の哲学にも学びつつ,

主客未分の〈純粋経験〉の世界を実在の根本実相と観ずる立場に到達した。

それを論述したのが《善の研究》(1911)であり,この書は,近代合理主義,理想主義と,

現実の日本の非合理的情念,実利主義との間で近代的自我の確立に苦しんでいた当代の青年に,

衝撃的な影響を与えた。

やがて学習院教授を経て,1910年京都大学哲学科倫理学講座の助教授に着任し,13年教授となって,

前任の桑木厳翼の東大転出とともに哲学講座の中心となった。

京大哲学科はそのころから波多野精一,深田康算,朝永三十郎,やがては田辺元らを擁して

日本のアカデミー哲学の中心となり,

三木清をはじめ多くの青年が西田や波多野を慕って京大に学ぶようになった。

 西田は,やがて《自覚に於ける直観と反省》(1917)等の著作を通して,

はじめの純粋経験の立場のもつ主観主義,主意主義にきびしい批判を重ね,ついに〈場所の論理〉に到達した。

それは,実在の根底を弁証法的一般者とし,

単に反省的思惟ではない行為的直観における

その自己限定とし世界をみる〈絶対矛盾的自己同一〉の論理であり,

〈知〉と〈行〉の一致の極致としての絶対無の弁証法的論理であった。

ここに近代西欧の理性主義的論理を超える東洋文化の哲学的根拠が与えられたとされ,

〈西田哲学〉の呼称も,この立場を明確にした《働くものから見るものへ》(1927)が世に出されるころから行われた。

西田は,《一般者の自覚的体系》(1930)や《無の自覚的限定》(1932),

《哲学の根本問題》(1933)などでこの立場を練り上げたが,

そのころからマルクス主義が日本の思想界に大きな影響をひろげるようになった。

西田もそれと対質しつつ〈歴史的現実世界〉の問題と取り組み,〈場所〉を〈弁証法的世界〉として具体化し,

〈絶対矛盾的自己同一的世界の自己限定〉として〈歴史的実在〉の世界をとらえる立場を展開した。 

この間,西田は28年京大を定年退官し,書斎でみずから〈悪戦苦闘〉と称した思索の生活を送ったが,

その哲学体系を物理的存在や生命世界,芸術,倫理,宗教の諸領域にわたって展開しつづけた。

そして,西田哲学は,30年《西田先生の教を仰ぐ》を書いて批判を表明し,

独自の立場へ進もうとした田辺元をはじめ,三木清,戸坂潤らの批判的対決,

また西田哲学を継承しつつこれを歴史哲学の領域に適用し,

太平洋戦争を世界史の道義的課題と説く〈世界史的立場〉の哲学を主張した高坂正顕,高山岩男,西谷啓治ら

いわゆる〈京都学派〉の哲学者たちなど,継承と批判をともども含む大きな影響をひろげた。                        
                   

 石川県立図書館(石川県関係人物西田幾多郎)                                世界大百科事典より引用   


宇ノ気町出身の世界的哲学者西田幾多郎


 西田幾多郎博士記念館(寸心荘)



 燈影舎発行西田幾多郎


西田幾多郎入門


苦悩の果ての安らぎ西田幾多郎
            
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