ホーム 医療 高齢者福祉 芸術,哲学 京都伏見・宇治
随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集




 
介護保険に対応する診療所の実践報告








Mさんのこと

私の診療所は京都市伏見区にある郊外新興住宅地にあります。古い農家に混じって、

若い夫婦が子育てのために流入して来るマンションも多く建っています。

活気があるものの、地域の人間関係がまだ希薄な雑然とした町です。

Mさんは、80歳となったので、古い家を処分したお金を出して、郊外の新しい

町に息子たちと二世帯で住もうと決心して移住してこられました。

Mさん以外にも、街でお商売をしていたが、子供はサラリーマンとなってしまって

後継者が無いなどの事情で、この町に引越してこられる方々も結構多いようです。

病弱なMさんは、突然引っ越してきた新境地に適応するための努力として、

まずは私の診療所にご挨拶に見えたわけです。お付き合いがその日から始まって、

読書の話や、「宗教画は気品ある顔を描くのが肝心だが、それがなかなか難しい」

といったお話を聞かされていました。

ところが、ある日、「息子の出世に差し障るといけないから」と受診されなくなりました。

聞いて見ますと、同居している息子さんに会社の方から保健指導があり、

「老人医療費の無駄の話」がなされたようで、自分としては息子に申しわけ無いのでどうしたら良いかわからないと

混乱しておられました。

その後どのようにして、新しい家や町に馴染んだか、恐らく孤独に引きこもってしまわれたのでしょう。

ある日、ご家族に請われて往診に参りますと、肺炎で臥せっておられました。

すぐ近くの病院に手配出来て、トイレもある個室に入れて、本人もご家族も安心されていました。

しかし、1週間もたたない内に問題行動が起きてきて、「トイレもわからず、オムツは壁に投げつける」など

病院側の手に負えないとの連絡が入ってきました。

環境の激変による混乱が頭を狂るわしてしまい、適応能力に支障をきたしたのでしょう。

仕方なく当医院の在宅医療に切り替えました。

その後、正常に戻るのにおよそ3ケ月間かかりました。

環境の変化がボケを引き起こす例としては枚挙に暇が無いほどですが、極端な例では、

自宅のトイレのドアを改装しただけでボケを起こしてきた例があります。

Mさんは、入院でボケたのではなく、混乱しただけなのでしょうが、病院側からはチホ症と判定されて、

チホは預かれませんと退院が指導されました。

この肺炎騒動の後何年かはことも無く、当院への通院が板につき、この町にも馴染んでおられました。

最後には、いよいよ、今読んだページがもう解らなくなって、本が楽しくなくなりましたと嘆くようになり、

客観的に見てもチホ症状がいろいろ目立つようになって亡くなられました。

あの時、ご自宅に帰れなかった場合のことを考えますと、Mさんのその後の数年は、

まったく違ったチホ対応型の施設での余生となったのではないでしょうか。

在宅医療を行える町があり、受け皿となるご家族のご理解、ご努力があって、Mさんのためには良かったのではないでしょうか。

永い人生の最後を、「寝ても3年、起きても3年、誤差の内」といいますが、ご本人にとっては大違いでしょう。

寿命が同じなら、医療者が健康寿命を追求するのも大切でしょう。

(注)  チホ=痴呆



在宅医療の受け皿

老人が台所に立てなくなり、自炊能力が欠如しただけで病院に入院するほかに生きる道が無くなった、

家族から嫌われたために施設以外には住むところが無くなった、こうした社会的入院の問題が強調されすぎて、

今では医学的に必要であっても単に入院期間が長期に渉るだけのことまで社会的入院と同様に悪いことと解釈する風潮があります。

施設経営者や行政サイドから見れば、限りあるベットを効率良く回転させて、

超高齢社会に増大するであろう介護、医療ニーズを充足させようとしているのがわかります。

病気である利用者サイドから見ると、決して歓迎すべき風潮とは言えません。

新しい介護保険や、それに連動する形で国会で考えられている医療保険改革案を見ますと、施設収容方式から地域完結型方式へ

考え方の流れが大きく変わってきていることに気づかれると思います。

地域医療の機能を整理して、施設機能に合わせる形で患者を振り分けて施設を効率良く活用していくことが意図されています。

ご家族はきっと、現状以上に短期間の滞在で次に預かってくれる施設を探して、渡り歩かなくてはならないこととなるようです。

高齢者側から見ると、Mさんのように環境の変化が自分のボケを生じる。

この医学的事実から目をそらせた国の政策と見えるのではないでしょうか。

ご家族の都合や施設の経営方針の都合で、高齢者がチホ製造工程に乗せられるのを自分の意思で拒否出来るでしょうか。

自己決定という流行語を高齢者に自己責任として押し付けて済むものでしょうか。

介護保険制度の下では、施設側にとって重いチホや寝たきりほど支給される報酬が高く、自立への動機付けは乏しい様に見受けられます。

是非さういったことにならぬよう行政側でも対処願いたいものだと考えます。



ではどうすればいいでしょうか


介護保険の基本はすべてを在宅に、家族の下に戻すことで構成されています。

その基本となる在宅に問題があります。地域社会に復帰出来ないところに社会のゆがみがあります。

保健、医療、福祉のみならず、教育や経済といったあらゆる分野で、基本に戻って家族や地域の役割、

介護能力をつけることが検討されなくてはなりません。



チームケアを目指して

もしも、あなたのご家族で、今まで何の問題も無かった方が病に倒れて、看病が必要になったり、

病院に付き添いが必要になったりしたときのことをお考え下さい。

共稼ぎを変更したり、長期の介護休暇を取ったり大変な困難が介護者に降りかかります。

これが老親の場合には、ご兄弟で喧嘩腰の協議が行われたりするのではないでしょうか。

まずは、どこかにお願いして今まで通りの日常性が回復されるでしょうが、病院の限界に気づかれて、

老親に同情したり、あるいは誰かがご自宅に引き受けて面倒を見る決心をなさったりします。

そうした場合、自信の無いご家族の背中を私が、もう一押しして決心を実行していただきます。

ストレスに満ちた日々が始まります。そんな中に在宅医療のチームが入り込んで何が出来るでしょうか。

見当もつかないままに始めた在宅医療の作業を、5年経験した今では、一定の流れとして見えてくる感じがします。

いずれの場合も、私たちプロとしての介入が有益なことをご家族に理解いただけると、

「気楽になった、思ったほど不可能なことではない」と自宅でのパニック状態が解消されます。

指導されて身に付けた介護技術に自信をお持ちになります。

すると自然に、ちょっとした愛情をその介護行為に折りこんで表現出来るだけの余裕が芽生えてきます。

特にチホとかターミナル期にある患者さんは肉親の示す愛に敏感に反応して、

すごく穏やかな雰囲気が両者の間によみがえってきます。

在宅医療を行えるご家庭は、問題はあってもみんな、すてきな人間が良いご家庭を作っておられます。

悪い人は居ない感じです。うまくいかないのはプロのわれわれに力量が足らないからだと痛感させられています。



かかりつけ医と在宅医療

かかりつけ医の行う在宅医療の仕事を分類してみますと、

(1) 介護保険が対象としている領域、主に介護労働と看護労働が主人公となる領域。

(2) 在宅酸素療法などの医療技術を患者が自己管理して在宅を可能にしている領域。

(3) 畳の上で死にたいという希望を支え、緩和医療によりターミナルケア期を支える領域。

以上の三領域をこなせば良いことが解ります。特に3のターミナル医療は病院でないと出来ないと信じられていますが、

確かな連携を取れる後背病院があれば開業医の医療レベルで十分対応出来ます。

医療レベルよりも、むしろ開業医が自分の同僚となってくれるサポートチームを持つ方が重要なのです。

高齢者と言われる65歳以上の年齢層は、有病率が若い世代に比べて圧倒的に高く、加齢とともに病人が増加していきます。

当たり前のことですが、人は何らかの病で絶命することになります。

したがって、高齢者の生活は福祉職による介護だけではカバーしきれない面が出てきます。

しかし、外来診療の片手間に往診をするには、開業医の外来業務が激務なことや、

昼夜の別無く、のべつくまなく呼ばれるのではないかとの恐れから、退院の受け皿となる事を避ける先生も多い様です。

ナースステーションの訪問看護婦が、外来時間に拘束されないマンパワーとして、24時間、開業医の動けない時間をカバーしてくれるなら、

ずいぶん事情が変わってくるのです。

開業医がターミナルケアを行うには、マンパワーをサポートチームとして診療所の外部に求める方が合理的になったのです。

そこで、当診療所が母体となって「訪問看護ステーション神川」を設立して町の開業医が利用しやすい運営をすることにしました。



在宅の受け皿、在宅ネットワーク研究会

訪問看護ステーションを持ったことから、私たち有志は職種を超えて、図に示したように「患者を中心にした、

患者の意向に沿った内容」を盛り込んだ、在宅医療チームが大切と考えてネットワーク研究会を発足させました。

研究会には各科の医師、訪問看護婦、薬剤師、ヘルパー、事務職員、理学療法士、介護機器斡旋業者、

患者搬送業者、葬儀企画者、宗教者、などが参加しています。

さらには税理士、弁護士のボランティアが応援して下さっています。

しかし、あまりにも多くの人間が関与しながら、貧弱な供給サイドの都合に合わせて在宅医療を組み立てようとすると、

家族は大変な努力とストレスにさらされることとなり、長続き出来ません。

反省しているところです。より有能なコーディネーターが望まれます。

メンバー同士が垣根を越えたところで本当に信頼し合えるチームを作り、その中心に患者、家族が座れるように開業医が努力すれば、

必ず最後まで在宅だけで看取りの医療も出来ます。医療費の面でも入院医療費に比べて格段に安く上がりますし、

開業医制度が健康保険財政に寄与していくことは間違いありません。


開放病床という制度

基本とはいっても、在宅医療が万能とは申せません。なかなか一般化しない原因も多く考えられます。

バックアップする入院体制も不可欠です。

開業医が入院させた患者を病院に往診した場合、診療所からも主治医としての共同指導管理料を医療保険で請求できる制度があります。

認可には一定の要件を満たす必要がありますが、私の所属する伏見地区医師会は、地区内の救急病院などの6病院と契約して

開放病床の認可を受けています。在宅患者の病状に合わせて

入院治療が必要と主治医が判断したときに利用できる後背病院を医師会で複数整備したわけです。

病院の協力もスムースに行なわれています。入院した時から退院へ向けての受け皿作りが考えられていくため、

在宅の主治医を信頼している患者は安心して入院できるメリットがあります。

入院中は開業医の往診を受ける度に患者負担が若干高くなりますが、この病床の利用率はかなり高く、人気ある制度として定着してきています。

介護保険の下へ療養型病床、老健、特養といった施設が移行しますが、開放病床の制度は介護保険に認められていません。

在宅への通過施設という理念を介護保険に持たせようとするのならば、施設が積極的に主治医の往診を受け入れて、

在宅との連携を強化する仕組みを取り入れていくのが望ましいと思います。



介護保険と伏見地区医師会


自立支援システム研究会報告が発表されて以来、介護保険は「社会と家族の援助による在宅生活」を保証するための

社会的援助の仕組みと私は考えてきました。

住みなれた町で最後まで友人知人に囲まれて、お互いに「どこの誰べえは、今どうなっているか。

若いときはどうだったか。」理解し合える人間関係の中で、住みつづけられる町を作ることが望ましいとの夢を見てきました。

住民自身の自発的参加を促す福祉の町創りが夢となりました。

日本では診療所が早くから町に溶け込んでいるため、住民個人の歴史や情報にも明るく、

町に存在して当たり前の機関として住民に受け入れられています。

このため本人や家族が高齢者問題を最初に相談する窓口として絶大な信頼を得ています。

住民にこの機能を活用していただくために、私の所属する伏見地区医師会は

在宅介護支援センターと訪問看護ステーションをセットにして開設し、開業医の相談機能をバックアップする体制を取りました。

地区医師会が共同利用施設として運営しているこの事業の活躍がお手本となって、

各種NPO団体が地域の中で重層的にこうした住民支援体制を作り上げていくことが期待されています。

高齢者、家族に自助の能力をつけてもらい、自立を高め、住み良い助け合いの出来る町創りをしていく、

この面での機能強化策は国や市といった上からの行政だけでは叶わない夢、課題であります。



介護認定審査会

地域の実情に詳しい地区医師会の協力を得て、開業医が認定審査会に出席していくことが大切です。

福祉と医療は法、制度とも拠って立つ基盤を異にしてきたため、長年交流なしですごしてきています。

その垣根に阻まれてフランクな交流はまだ実現していません。

隣の乙訓地区で、三年間、介護保険モデル事業が行なわれています。

その中で見られた現象として医師の参加がとても大切であったとの報告があります。

具体的には、「審査会などで事例検討に自分の患者が上がっていくので、

それに参加して討議することから医師の介護保険に関する知識も深まり、他職種との共通言語を医師も身につけていくこと。

また、自分の住む地域のいろんな施設や事業の性格、実態の相互理解が進む。」という報告です。

審査会などで他職種の職員と顔見知りになれば福祉施設に入所中の患者を主治医が訪問することが可能になるかも知れません。

施設も自己の情報公開に消極的ではあり得なくなるでしょう。

自立と在宅への努力がお互いに理解されるならば、良貨が悪貨を駆逐して介護保険の良い面が伸びるのではないでしょうか。

そこから患者本位、利用者本位の理念を共有するチームが地域全体に広がっていくことを願っています。



おわりに

介護保険の導入が医療保険を含む高齢者医療の将来を決めるとか、介護保険の構造が、地方財政の自主性と、

市町村独自の企画サービス内容が連動して提供される事となっていることを捉えて、

地方分権の先取り、実験場だとか言われています。

サービス内容を向上させると、保険者である市町村の徴収する税金や保険料が上がります。

優良な介護、医療のコスト意識が住民に理解され、民主的に合意されないと、

保険税は安いほどいいに決まっていると値切られて、市民は惨めな老後を自分たちで作ることとなってしまいます。

市民の参加を得て、地方行政マンと一緒になって保険、医療、福祉の充実した町を作る努力をいたしましょう。

これらの努力がその町の診療所の将来を保証するのではないでしょうか。

開業医制度の優れていることをやって見せて、プロとしての診療所の有用性を実証して

いかなければならない時期と考えています。




戻る