Okushobo Co., Ltd in Kyoto
美術関係の古書を主に取り扱っています。新古美術品も扱います。よろしく!

古本屋の幽霊

 古本屋というご商売の方は、現在では全国に二千数百軒はあるとのことでございますが、何人も従業員をお雇いの大店もありますが、また反対に親父一人が小難しい顔で、汚らしい机を前にして、夏ならばステテコに縮緬のシャツで、クーラーはもったいないからかけず、ご自分だけ扇風機にあたって団扇をパタパタしている、もちろん店の中はごちゃごちゃで、本は通路に山積みされており、お客が下の方の本が欲しいと思いましても引っぱり出せず、かといって上の物を取り除く気力もございませんで、結局あきらめて帰ってしまうような、そんな古本屋もある訳でございます。
 取り扱う本の種類も種々雑多にございまして、小説の類いから、漫画、雑誌、あるいは各分野の専門書、例えば社会科学、経済、法律、宗教、美術などをそれこそ専門に扱う書店もございますし、これここに出てまいります和本、主に江戸時代に出版されました、和紙で作られました、軽くて丈夫な書籍がございます。湿気にも強いし何百年も平気で持ちこたえることができます。今の書籍は恐らく百年も経つと脆弱化が進み長期の保存に耐えれないと言われております。ただ紙を喰らう虫が和本が大好きでございまして、それにやられるケースが多々ございます。で、このような和本の専門店、勿論今はそれだけではなく、他にもいろいろ取り扱ってはおりますが、専門店と呼ばれる古典籍屋も結構ある訳でございます。
 さて、このお話に登場します幽霊は、かの有名な遊郭、吉原遊郭の遊女でございますが、吉原遊郭は江戸幕府公認でございまして、かつては日本橋人形町にあったそうですが、その後明暦の大火によって焼けだされまして、現在も残っておりますが、浅草寺の裏の日本堤に移転したといわれております。人形町を元吉原、日本堤を新吉原と呼んでおります。いつの世も男女の仲は血なまぐさい出来事が多い訳ですが、やはり大方は女の方が不幸のように思う訳でございます。しかしながら、遊女を妻に迎えた方も多々ございまして、有名なところでは、京都の島原遊郭の吉野太夫、お公家さんと競い合ったすえ、豪商の灰屋紹益が妻に迎えた遊女でございますが、38歳の若さで死んでしまい、紹益は非常に悲しんだということでございます。その他では姫路藩の酒井候の次男で、出家し、画家として大成した酒井抱一というお方も、吉原の小鸞という遊女を身請けして妻にしております。また近いところでは、小説家の永井荷風が玉ノ井の遊女と仲がよかったと伝えられております。この辺の遊女になりますと、少々はばかりますが、そんじょそこらの娘さんより、ずっと教養もあり、才色兼備のすごい女性でございまして、つまらぬ男どもが尻尾を巻いて逃げ出すほどでございます。
 さて、遊郭と申しますと、殿方のお遊びの場所でございまして、昭和33年に赤線廃止までは、日本全国結構な数の遊郭がございました。京都の島原、大坂の新町、江戸の吉原を三大遊郭と申しまして、江戸幕府公認の遊郭でございますが、それに長崎の丸山遊郭、こちらも幕府公認でございますが、当地に来航の異人さんも遊んだ随分有名な遊郭でございまして、こちらを加えて四大遊郭と呼ぶ方もいらっしゃる訳でございます。これら以外にもあちらこちらで小さな遊里が沢山ございました。
 ところで遊郭に関する文献で、早いものでは延宝6年、1678年の刊記を持つ色道大鏡というご本がございますが、藤本箕山というお方が三十年余の歳月を費やして完成させた遊郭事典と呼べる本でございますが、全国の遊郭を踏査して記録したものでございます。当時の風俗を偲ぶ貴重な資料となっております。

 新吉原細見という和本がございます。享保の頃ですから1730年頃から何度も出版されておりますが、男共が遊郭で遊ぶ為の案内書のようなものでございます。
 日本堤から得門坂(衣紋坂ともいいますが)を登り、見返り柳を左にみながら五十間進むと大門に到達いたします。遊郭の周囲は堀、と申しましても水が充分張られている訳ではございません。遊女が逃げることが出来ないように、泥のような堀、遊女がお歯黒の液体を捨てるので、おはぐろどぶと申すようですが、そのような堀が廻らされております。中に入りますと、仲道を挟んで両側にずらーと妓楼が並んでおります。細見では江戸町一丁目に大黒屋と玉屋が最初に出てまいります。何軒の妓楼があるのか想像もできませんが、細見記ではおのおのの妓楼に遊女の名前と格付けの印が付けられております。客はそれを見て、どの妓楼に揚がるか判断するのでしょう。値段も決められていたようで、半日でいくら、一日でいくらというようなことらしいです。

 さて古本屋の亭主が店じまいして、灯りを消しますと、店の隅からシクシクと女のすすり泣くような声がしてまいります。
 亭主がじっと耳を凝らしておりますと、どうも積み上げた和本の間から声が漏れているようでございます。
 気味が悪いが和本の山をかき分けますてえと、新吉原細見記と吉原の遊女を描いた絵本、青楼美人合姿鏡なる本が重なっておりまして、どうもそこから声がしてくるようでございます。
 青楼美人合姿鏡は3冊でセットになっておりますが、亭主はその4冊を取り出しまして、机の上に並べて見つめておりますと、「灯りを消しておくんなさい」
(どうです怖いですか?怖く無い?皆さんは気丈な方ばかりのようでございますが)
「灯りを消しておくんなさい」というか細い声がいたしますので、亭主が灯りを消してやりましたが、とたん、 ドロドロドロー、「うらめしやー」と青火とともに若い女の幽霊が現れた訳でございます。
「おーい、かあさんや、この幽霊腹が減ってるらしいぜ、飯を用意してくれや」
「ちょいと旦那、何馬鹿言ってるんだよ、うらめしやー、は幽霊の常套句だよ」
「やっぱりな、ちょっとからかっただけさ」
「ふん、そんなくだらない冗談で、笑いがとれるもんですか」
「そりゃあそうだわ。ところで真っ暗だと、少々俺も心細くなるからな、ちょっと灯りを点けていいかい」
「ほんの少しだけですよ。わちきも明るいと居づらいですから」
「それじゃあ、このくらいでどうだい」
「それで結構よ」
「で、おめえはどうしてまた幽霊なんぞになっちまった」
「よくぞ訊いておくれよ、うれしいよ旦那さん」
「おいおい、そんな冷たい青白い手で、ぎゅっと握りしめないでくれよ。背筋まで冷たくなるじゃねえか」
「あら、ごめんなさい。ついつい嬉しいもので」
「そうだろうな、こうして幽霊になってでも出てきたい、ということは身の上話でもして、訊いてもらってよ、なあ納得して成仏したいだろう、ということと見たが如何かな」
「あたりー、いいけどさ、ちょいと旦那、それそこにある新吉原細見記の5丁目を開いておくんなさい。(和本ともうしますと、一丁、二丁などと呼びまして、一頁二頁などとは申しません。たいがいの和本は刷った物を真ん中で折りたたみ、小口を袋にして製本されております。その一枚が一丁でございます。5丁目は洋装本でいいますと、9と10頁目に当たります)
「開いたが、おお玉屋と大黒屋が出ているが、これがどうした」
「わちきはその玉屋の遊女でございます。名のある遊女ではございませんが、少しは贔屓になさるお客様もありました。その中で油問屋の若旦那で清之助と申す者と、互いに愛し合うようになった訳でございます」
「そうだろうな、おめえのように美しい遊女ならば、そりゃあ男も惚れるのも無理はねえわな」
「また、そんなご冗談を。きゅっ」
「いてえ、おめえ幽霊でも結構な力じゃないかい。おおいてえ、見ろやアザが出来ちまったじゃねえか」
「ああら、ごめんなさい。ついつい嬉しいもので」
「まったく、しかしよく嬉しがる遊女じゃないかい」
「久しぶりに出て来て、こうして旦那とお話ができる、嬉しく無いはずは無いでしょうよ」
「まあ仕方ねえか。で、その男とはどうなった」
「それで、清之助が申しますに、いずれは身請けをして、一緒に暮らせるようにするから、暫く辛抱してくれと。しかしながら、一年が過ぎた頃からトンと廓に姿を見せなくなった訳でございます。文も遣わせてもまったく返事もよこさない訳でございます。噂に聞くところでは、何でも大店の娘と結婚したとのこと」
「今で言う、政略結婚かもな。それにしても遊女の世界じゃそんなことは日常茶飯事じゃねえかい。落ち込むことはなかろうよ」
「お金を積まれて嫌な男にも抱かれる遊女だから、嫌気がさしても仕方ないとは思いますが、清之助との間にややが出来たのです」
「ええ、本当かい。そりゃ大変なことではないか。で、その赤ん坊はどうしたい」
「まあよくぞ聞いてくださいました。清之助は自分のややではなく、誰か別の野郎の子供だろう、おれには覚えがねえ、と申しまして、頑として納得いたしません。清之助と契りを交わしてからは、わちきも滅多に別の男に抱かれるようなことはいたしませんでした。しかし清之助は、わー」
「おいおい、あまり大きな声で泣くとご近所に聞こえるじゃねえかい。近所の連中が来たらややこしくなるから、ささ泣かないでおくれ。それで赤ん坊はどうなった」
「半年ほどたってから、わちきはややの首を絞めて殺したのでございます。やり手ばばあに頼んで堀に捨ててもらいました。その後わちきはほれ、このかんざしで咽を突き刺して自害したのでございます」
「なんと可哀想な出来事ではないかい。う、う、う俺も泣けてきた。しかし、おいおいこちらに向けないでくれ。あぶないじゃねえかい」
「あらごめんなさい。でも一緒に死んでおくんなさい」
「おいおい冗談じゃねえぜ。おめえはもう死んでるじゃねえかい。後を追うのもご勘弁よ」
「冗談よ」
「まったく、でそのあとはどうなった」
「わちきは身寄りもありませんで、結局投げ込み寺に放り込まれた訳でございます」
(吉原遊郭では遊女が死んで引き取り手がいない場合など、南千住の浄閑寺に持ち込んだといわれております。もちろん無縁仏でございます)
「そうか、それで成仏できずに、うろうろしている訳だな。それはそうと今でも清之助を怨んでいるのではねえかい」
「いいや、もうとっくに清之助なんぞは忘れております。怨みなどこれっぽちもございません。ちょっとしたはかない夢でも持たせてもらった、わちきのような遊女でも、ひょっとすれば身請けしてもらえるのでは、などとはかない夢でも持たせてもらいました」
「そうかいそうかい。それにしても清之助という野郎も罪な男だで。まったく。あれっ、また電気が消えそうではないか。おっと停電か」
(突然停電のように暗くなったとおもいきや、またまた青火とともに、ドロドロドロー、
うらめしやー)
「なんだい、また出て来たではないかい。ええ今日は幽霊の大当たりかい」
「旦那さん、ありがとー。わちきはほれ、細見の大黒屋の遊女でごじゃりまするー。その細見と美人合が一緒になると、ほれこのように世間に出て来れるのでごじゃります」
「なんだって、大黒屋の遊女だって。で、どうしててめえ幽霊なんぞになっている」
「よくぞ訊いておくんなさい。わちきはほれ、細見の上の方に出ている、少しは名のある遊女でございました。ところが、贔屓の客ともめまして斬り殺されたのでございます」
「なんだって、おめえ殺されたのかい。ひでえ野郎がおったものじゃのう」
「それが旦那、旦那のご先祖様でございます。お名前は甚五郎殿、その甚さんがわちきを斬ったのでございます」
「ええ、俺の先祖がおめえを殺したと。まあ、俺の先祖は安もんだが、一応武士と聞いているが」
「そうでございます。今からおよそ二百五十年の昔でございます。わちきがほかのお客と佳い仲になったと邪推され、廓の中で刃傷沙汰、わちきは胴をまっぷたつ、甚さんはその場で切腹なされたのでございます。廓では情死事件として処理なさいました。わちきは廓の掟で、心中の場合は投げ込み寺で無縁仏でございます」
「なんと、俺のご先祖さまにそんな男がいたとはなあ。それはそうと今でも怨んで、末代までたたる、ということではないだろうな」
「ほっほっほっ、たたってやろうか」
「おい、冗談もやすみやすみにしてくれや。それはそうと、二人ともあまりこちらに近づかないように、そうそうもう少し離れて、そうそうその辺りにいてくれ、あまり近づかれると、いくら幽霊でもちょっとは暑苦しいからな、それとあまりゆらゆらしないように、気が散って仕方ねえからな、何、じっとしていると疲れる、ちょっとは我慢しろよ。それはそうと、襟元ももう少し、そうそうキチットして、いくら幽霊でも肌が出ていると色っぽ過ぎるからな。そうそうそんな風に、それで結構結構」
「ちょいと、玉屋の遊女さん。禿あがりの下っ端遊女ではないかい」
「なんだね、たかが大黒屋の女郎ではないかい。玉屋に比べれば屁みたいなものさ」
「なんだと、言ったな、この女郎」
幽霊同士で取っ組み合いが始まりましたが、幽霊でございますから、するりするりとお互いがすり抜けてしまいまして、あまり激しい喧嘩にはなりませんで、
「おいおい、おめえたち、喧嘩している場合ではなかろうよ。どちらもよく似た境遇ではねえかい。仲良くして、お互いに成仏できるようにしたらどうだい」
「それもそうだわ。そうしましょう、そうしましょう」
「まったく、勝手なもんだわ。それにしても、この細見と青楼美人合姿鏡が幽霊の源とは驚いたぜ。で、大黒屋の遊女さんよ、おめえの名前はどれでい」
「ほれ、細見の上から三番目、きんぎょくと申します」
「きんぎょくだと、いいけど漢字で書かない方がいいのではないかい。なんだか女には思えねえからな」
「あらあ、旦那、何を想像なさっておられる。金のつく遊女も結構おりますよ。金太夫に金吾、金山、金作などもございます」
「そうかいそうかい、しかし何を想像って、おめえ、例の物で決まってるだろう」
「旦那もお下品ね。あちきなんぞはお金の玉で、お目出度い名前と思っておりましたのに」
「まあ、もう名前はよしにしよう。それはそうと美人合ではどこに出ている」
「15丁目を開けておくんなさい。ほれ、花魁の、、、と一緒に描かれておりますが、これがわちきでございます」
「ほほう、結構な美人に描かれておるが、実物とは大分違うようだが」
「ほっといておくれ、わちきのせいではありんす、浮世絵師の春章先生に文句いいなよ」
「まあ、そうだわなあ、奇麗どころを並べねえと本も売れねえからな」
青楼美人合鏡という絵本は、北尾重政と勝川春章の二人の浮世絵師が実在の遊女を描いたものでございまして、欄外に妓楼名、遊女の横に源氏名を記してございまして、大体一枚に4名前後の遊女が描かれてございます。風俗資料にもなる貴重な絵本でございます。安永5年と申しますと、1776年でございまして、かの有名な蔦屋重三郎と山崎金兵衛の共同出版となっております。
                                  つづく