間歇日記

世界Aの始末書


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2003年6月上旬

【6月2日(月)】
▼会社の自動販売機でドリンクを買おうとすると、このあいだまで入っていた「旨茶」アサヒ飲料)がなくなっている。「旨茶」があった場所に入っていたのは、「おいしい旨茶」であった。やはりここは、関西人として期待される基本的な礼を示さねばなるまい。「いままでのはまずかったんかい!!」と手の甲で自動販売機を叩いたら痛かった。それにしても、あまりといえばあんまりな商品名である。思いきりよくみずからの過去を否定する大胆なネーミングとさえ言えよう。
 そういえば、最近、これにとてもよく似た思いをしたのを思い出した。ある映画のタイトルを初めて聞いたときのことである――『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』
 さあ、みなさん(浜村淳風の発音で読むこと)、ご一緒に――「前のは手ぇ抜いとったんかい!!」
 もうひとつツッコミどころがあるな。「前のは“・”がなかったのに、今度のはあるんかい!!」 これ、おれ、ほんとにわからん。媒体によっては、『チャーリーズエンジェル フルスロットル』になってるのだ。まだ表記が揺れてるのかね? それとも、前作が『チャーリーズエンジェル』だったので、まさか表記が変わるまいと思って書く人が多いために、二者が混在した状態になってるのだろうか? あるいは、わざと二種類の表記を流通させて話題にしようという広告屋の魂胆か。

 Charlie: Good morning, Angels!
 Angels : Good morning, Charlie!
 Charlie: ごめんくさい、こらまたくさい、もひとつくさい、あーくさ。君たちがいて僕がいる。いずこへ?

 って、突然なにをやっているおれは? このネタ、あちこちでやっとるやろうなあ。ま、やはりお約束ということで。

【6月1日(日)】
▼前から言おう言おうと思っていたが、今日は思い出したので言う。『仮面ライダー555(ファイズ)』テレビ朝日公式サイト東映公式サイト)と『アストロボーイ・鉄腕アトム』(フジテレビ系)を毎週観てるけどな、オープニング曲の英語らしき部分が、なに言ってるのかさっぱりわからない。ウェブで歌詞を検索して、両方とも複数のページを確認してみたところ、ちょっとヘンなところもある英語ではあるが、ようやくおぼろげに言いたいことはわかった。アトムはまだ冒頭だけやからええわい。仮面ライダー555の「Justiφ's」(ジャスティファイズ)は、歌詞を見て目が点になった。なにが哀しゅうて、日本語の中に数語ずつ英語を混ぜるようなややこしいことをせにゃならん? 「広がる宇宙の中 Can you feel?」 feel なんやねん? 目的語も補語もないんかい。「Dilemmaは終わらない」? なんで「ジレンマ」じゃいかんのだ? 現にISSAは「ジレンマ」と日本語で四音節で唄っているし、そもそも曲自体がそういう作りになっている。作詞家の藤林聖子へのインタビューを読むと、それなりのポリシーを持って詞を書いているみたいだが、少なくともおれにはよくわからんポリシーである。『子どもの頃って、意味が分からなくても歌詞を憶えちゃうでしょ。で、大きくなってから「あぁ、こんな意味だったんだ」って思い出す。そんな経験ありませんか?私はあるんですよね。その時に、「えっ!?」と思わせてはいけないなって。分かりやすい言葉や簡単なフレーズを使うんじゃなくて、正しいメッセージを思い出の曲の中に残してあげられたらって思っています』と藤林は言うのだが、長じたのちに「あぁ、こんな意味だったんだ」と思い出す(というよりは、再発見する)であろうようなことを、子供が子供であるうちに子供なりにわかるように「分かりやすい言葉や簡単なフレーズ」で表現してみせるのが、子供のための歌の作詞家の藝というものではないかと思うのだがどうか。なぜわざわざこういう中途半端なやりかたで英語を使わねばならんのかは、やっぱりさっぱりわからない。たしかに、長じたのちに「あぁ、こんな意味だったんだ」と思いを新たにすることも重要ではあろうが、それは「子供にはわかってはならない」ということを意味しないだろう。「子供向けの番組といえども、大人の歌手な重要なプロモーションの機会であるからして、詞も曲も子供はほうっておいて大人向けに作らねばならない」“大人の事情”を正直に述べればよいと思うのだがなあ。早い話が、子供向けの歌詞が書けないというだけのことに、妙な理屈をつけているようにしか思えない。
 大人向けに書くなら、徹底的に大人向けにすればいいと思う。日本語で書くなら日本語で、英語で書くなら全部英語で書けばよい。せめて、数行ずつは同じ言語で書いてほしいものだ。まるでマイケル富岡がしゃべってるような――ちゅうても若い人にはわからんか、えーと、最近だと誰だろう――ジャスミン・アレンがしゃべってるような、日本語と英語がめまぐるしくチャンポンになった歌詞を、大人になってから「あぁ、こんな意味だったんだ」としみじみ思い出すとはおれにはとても思われないのだが……。


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