間歇日記

世界Aの始末書


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2003年8月中旬

【8月16日(土)】
「露出量1位は田中麗奈 CM情報専門会社調べ」とのこと。「田中麗奈って、CMでそんなに脱いでたっけな」とわくわくした人が、日本国内に三千七百十四人くらいはいるにちがいない。小林泰三という人も、たぶんその中に入っている。

【8月15日(金)】
▼なんか、最近の秋篠宮氏は、奥田瑛二に似てきたような気がする。だからどうだというのだろう。

【8月14日(木)】
「新ウイルス:住基ネット一時停止 旅券申請影響 東京・世田谷」という記事を読んで呆れる。『同区では保有する2000台のパソコンのうち、約100台が感染した。住基ネットのコンピューターへの感染は確認されていないが、住基ネットは不正なアクセスを防ぐシステム(ファイアーウオール)を介して、感染被害に遭ったパソコンが接続している庁内LAN(構内情報通信網)とつながっている。住基ネットのサーバーは、今回ブラスターの攻撃対象となったマイクロソフトの同じ基本ソフトを使っているなどしているため、「万全の対策を採る必要がある」として、区は同日、「住基ネットセキュリティー会議」を急きょ招集し、一時運用の停止を決めた』のだそうだ。
 「万全の対策を採る必要がある」というのだが、ウィルスだのワームだのは常時そこいらへんをうろうろしているんだから、そんな理由でいちいち止めてたら、永遠に住基ネットは稼働させられんぞ。コンピュータ業界外の多くの方は、「むかしのウィルスやワームは“退治”されていて、いまはいないんだろう」「いま流行ってるもので警戒が必要なのは、テレビや大新聞が報道しているものだけだろう」と思い込んでらっしゃるし、たしかにコンピュータが生活のごく一部でしかない一般の方々がそう思っていてもまったく不思議はないと思う。でも、実態はそういうものではない。自分でサーバを立ててインターネットに接続しているような人なら、「ああ、また Code Red の亜種が来てるな」「今月は Nimda が少ないな」などと、コンビニのおにぎり陳列棚を見るような感じでアクセスログを見ているはずである。ふだんサーバのログなんてものを目にする機会のない方でも、「WormWatch.org」などの監視団体のサイトに行ってご覧になれば、ややこしい技術的なことはともかくとして、かつて世間を騒がせた有名ワームが、いまだに世界中を日夜うろうろしているらしいことは察せられるだろう。ちなみにいまなら、WormWatch.org に「0 bytes:135」「0 bytes:445」「Unknown:139」などと表示されている部分は、「Blaster」による感染準備行動、要するに、攻撃である可能性が高い。
 思うに、世田谷区の言う「万全の対策を採る必要がある」は、「現時点で知られている妥当な対策をぬかりなく全区で打てているかどうかわからないしそんな体制取れているかどうかも自信がないし、正直言っていま現在わが区がどのくらいの脅威に晒されているのかとんとわからず途方に暮れているので、とにかく止めてしまえばいかにも大事を取った適切な措置のように見えて問題なかろうと結論づけた」の婉曲表現ではなかろうか。いや、おれも“ことここに及んでは”世田谷区の取った措置は妥当だと思うよ。だが、上述の記事にある園田寿・甲南大教授「他の自治体のモデルになると思う」などというコメントはいただけない。園田教授という人がほんとうにこんなことをこんなニュアンスで言ったのか、園田教授はまともなことを言ったのだが新聞記者がねじまげたのだかよくわからんけれども、はっきり言って、たわごとである。論理のすりかえだ。“ことここに及んだあとの”世田谷区の対応は緊急避難として妥当だが、“ことここに及ぶ”状態になっていたことが大問題である。
 今回「Blaster」が利用しているセキュリティホールは、昨日や今日あきらかになったものじゃないし、修正プログラムが出たのも昨日や今日じゃないぜ。『セキュリティー対策、全市町村が「満点」=住基ネットの安全性を点検−総務省』などと報道されていたくせに、なぜ世田谷区に百台も感染機が出たのだ? なに? 世田谷区は“市町村”じゃないからいいのだってそういう問題か。たかだか二千台やそこらのパソコンで Windows の速やかなアップデートを徹底させられぬ程度の管理体制で、ことここに及んでから、なーにが「万全の対策を採る必要がある」じゃ。なーにが「他の自治体のモデルになると思う」じゃ。家に鍵をつけず、親は戸締まりが杜撰で、子供にも戸締まりの習慣をつけさせずにおいたら、空き巣が入っていたと思いねえ。で、親子で一緒に帰宅したら、空き巣と鉢合わせしたと思いねえ。そこで親子で一目散に逃げたと思いねえ。で、親は子に言うわけだ。「さすが、わが子である。ああいう場合は、動転した空き巣になにをされるかわからない。万全の対策として一目散に逃げたとは、じつに立派だ。うちの子は、よその子のモデルになると思う」 とまあ、要するに、世田谷区と園田教授なる人はこう言っているわけだ。おいおい、ちゃんと鍵をつけ、戸締まりの習慣を身につけておれば、そもそも、空き巣と鉢合わせして一目散に逃げるという「万全の対策」を取る判断力を無駄に発揮せずにすむのである。まるで、世田谷区が被害者で、しかも緊急時によいことをしたかのような印象を与える記事もどうかと思うね。
 もっとも、おれは地方自治体はそんなに非難する気はない。穴だらけであたりまえだと思うからだ。東京二十三区内にしてこのありさまなのである。全市町村のいったいどこに、まともな情報セキュリティ体制を敷けるだけの人的・物的資源があるというのか。「キミ、パソコン得意だそうだね。コンピュータまわりのことはキミに任せたよ」みたいなノリで、Word と Excel と Internet Explorer だけはなんとか使えるなんて若手に押しつけているところが山ほどあるに決まっている。そういう方々には、心からご同情申し上げる。ある日、おれの勤めている会社に「脳外科手術係」というのが上からの命令で突然できて、「キミ、手先が器用そうだね。脳外科手術まわりのことは任せたよ」と言われているような感じにちがいない。仮に、たまたま運よくおれが脳外科手術の天才であったとしても、おれの会社に脳外科手術を発注する人など誰もおるまい。病院としてのシステムがなにもないからだ。看護婦もいない。麻酔医もいない。放射線技師もいない。臨床検査もできない。自家発電設備もない……などなどなど、脳外科手術というのは、なにも脳外科医が一人でやるものではない。一例一例がひとつの“プロジェクト”として“設計”され、多くの人が関わってオーガナイズされた働きをせねばならないはずだ。
 病院に喩えれば簡単にわかることが、こと情報セキュリティとなると、往々にして「そういうのが得意なやつに任せておけばよい」といった具合になる。いまだにものすごい誤解をしている人にときたま遭遇するので念のために言っておくと、情報セキュリティなるものは、コンピュータの問題ではない。コンピュータの問題は、金さえあって人さえ雇えばすむことも多い(すべてではないが)瑣末事にすぎない。情報セキュリティは、第一義的に組織経営・組織運営そのものの問題なのである。だから、どれだけ金を注ぎ込んで最新鋭機器でガードしたつもりになっても、組織の構成員の教育がなっていなければ、投資は全部無駄、スカスカである。ちょっと“人間系”の隙を突けば、あえなくセキュリティを破られる。民間の大企業だってそこそこの情報セキュリティ体制を敷くのは難しいのに(それが証拠に綻びがしょっちゅう報道される)、市町村の急ごしらえの情報セキュリティが末端にまで一朝一夕に行き届くものか。おれはある意味で、世田谷区の職員をたいへん気の毒にさえ思っている。
 だいたい、“万全”とか“絶対安心”とか、思考停止のたわごとを大臣までがほざいている状況で、どう安心しろというのだ。なにかをするときには、メリットとデメリットを示したうえで、“これくらいは安心”“これくらいは危ない”と、定性的・定量的に示したうえで、「あなたも考えてください」と言ってこそ、根拠のある信頼というものが生まれるのだ。どうもお上は、東京電力からなにも学んでいないらしい。
 というわけで、これは賭けてもよいが、「まず結論ありき」のいまの能天気なやっつけ体制が続けば、住基ネットは東京電力の二の舞になる。早晩、「想定外のトラブル」で瓦解する。こんなもの、予測でもなんでもない。火を見るよりもあきらかだ。「想定外のトラブル」なんてのはトートロジーである。トラブルというのは、想定外だからこそ、危機管理という概念があるのだ。想定しておれば、それはトラブルと呼ぶに値しない。calculated risk というのだ。
 こう書くとまるでおれが住基ネットに反対しているみたいに聞こえるかもしれないが、おれは“いまの状況”に疑義を唱えているのであって、行政や住民サービスの電子化には反対ではない。おれがいま聴きたいのは、「住基ネットはこれこれこういうことをしているから、これくらいは安心できる。これこれこういうことをしきれていない、あるいは、できないから、これくらいは危険だ」というガラス張りのデータと評価と評価を導き出した論理だ。なんでもかんでも“絶対安全”“絶対危険”とほざくばかりのバカは、相手にする必要すら感じない。人間なんてものは、しょせん、「これくらい安全、これくらい危険、さあ、どうする?」を繰り返して歴史を作ってゆくしか能のない動物である。無能だ。無能だが、無能であることを知っているという、すばらしい叡知を持っている。

【8月13日(水)】
▼昨日一枚五百円で買ってきた『チキチキマシン猛レース』(ワーナー・ホーム・ビデオ)のDVDを観る。「断崖絶壁を突っ走れ編」と「インチキパトカー作戦編」の二枚だ。それぞれ、表題作を含めたエピソードが三篇ずつ入っている。十字屋の前でワゴンに入れて投げ売りしていた。まあ、こんなもの懐かしがって買う層は、数が知れてるわな。五百円といっても、むちゃくちゃに安売りをしていたわけではなく、そもそも一枚あたり三十六分の長さしかないのである。二時間くらいのDVDがみんな二千円だというわけではないことを考えると、妥当な価格設定ではあろう。べつに十字屋にゆくつもりはなかったのだが、ワゴンが置いてあると「なにが入っているのだろう」と反射的に見てしまう。「へー、こんなのあるんだ。懐かしいなー」と手に取って裏返してみたら、「実況解説……野沢那智」という文字が目に飛び込んできて「うっ」となった。どういう「うっ」かというと、「聴きたい。もう一度聴きたい。いま聴きたい」という切羽詰まったものが突き上げてくる「うっ」なのであった。き、聴きたい。広川太一郎とタメを張る、あの意味不明お気楽無責任ハイテンションがいま一度聴きたい。
 で、飯食ったあとに観たわけだ。子供のころほど面白いとは思えず、ただただ懐かしいだけであった。実況解説を野沢那智がやっているんだから、吹替音声は三十数年前にテレビ放映されていたときの音源を使っているのである。ブラック魔王はちゃんと大塚周夫だ。残念なことに、あの主題歌は入っていないんだな、これが。ウェブで調べてみると、日本版オリジナルの主題歌も入ったコレクターズボックスもちゃんと出ている。いくらなんでも、コレクターズボックスが欲しいほどのものではない。主題歌は、懐メロ企画もののCDでも出てるしな。
 思えば、あのころ(ちゅうのは、おれが幼稚園児から小学生くらいまでのころね)次から次へとテレビでやってたハンナ・バーベラ(という人はいませんよ、マルクス・エンゲルスという人がいないのと同じように)作品をはじめとする外国アニメの主題歌ってのは、いまの子供番組の洗練された歌に比べると、しっちゃかめっちゃかでしたなあ。しっちゃかめっちゃかといっても、音楽性が低いという意味ではない。子供向けアニメの主題歌だからこそ、歌詞でも曲でも自由奔放な冒険をしてやろうという気概に溢れていた。どう考えてもやっつけで作ったような歌にも、なにやらワイルドな魅力があった。いま聴けば(あるいはカラオケで唄えば)、「ああ、こういうヒネた、人を食った、ダンディズムに溢れたことをあえて子供向けの歌でやろうとしたのだな」と大人の理解力で思うことも少なくないけれど、子供だった当時でもびっくりしたハチャメチャな歌があるもんなあ。『チキチキマシン猛レース』のスピンアウト番組『スカイキッド ブラック魔王』の主題歌なんてあなた、憶えてますか? 外国アニメの主題歌が「♪エラヤッチャエラヤッチャヨイヨイヨイヨイ……」とアップテンポではじまったときには、わたしゃ、子供心にいったいなにごとかと思いましたぞ。大魔王シャザーン“笑い声”が主題歌の歌詞になっているのにも驚いたし、銀河トリオ「でっぱつ」したときにも驚いたし、スーパーマン(アニメのほうだよ)が「スパーっ」と飛んだときにも驚いた。
 ま、千円ぶんの懐かしさは味わわせてもらいました。

【8月12日(火)】
▼昨日から夏休みを取っているので、朝遅く起き出すと、ケータイにメールが自動転送されてくる。ネットワークアソシエイツからの〈ウイルス警報〉だ。トレンドマイクロのニュースレターもとっているが、速報性という点では、ネットワークアソシエイツのほうがたいていかなり速い。『ウイルス警報 危険度「中 [要警戒]」W32/Lovsan.worm』とある。「◆このワームはMS03-026の脆弱性を悪用し、可能な限りのマシンに繁殖しようとします。ウィンドウズのアンプラグドホールを利用することで、ユーザ側のアクションがなくてもワームの実行を可能とします」
 これは凶悪だ。要するに、インターネットに繋いだだけで向こうから自発的に入り込んでくるということではないか。「MS03-026」というのは、マイクロソフトが発表している不具合の番号である。要するにバグだ。不具合やらバグやらと言っては人聞きが悪い場合、世間では“脆弱性”という婉曲語を用いることになっている。vulnerability の直訳なのだが、ときたま“脆弱性”という漢字が読めない人がいてバツの悪い思いをしたりする。おれは天気の話でもするようにふつうにしゃべっているのだが、どうも相手の頭には漢字が浮かんでいないような空気を感じると、まるでおれがインテリぶっているかのように聞こえているのではあるまいかなどと妙に気を使う。国語の先生、ちゃんと教えておいてね。もっとも、“脆弱性”というのもかなり世間寄りの用語で、マイクロソフト用語ではそのようなまわりくどい表現を避け、単に“仕様”と呼ぶ。マイクロソフトでは、“仕様”を“よりよい仕様”に修正するためのプログラム(ふつう世間では“パッチ”と呼ぶが、すなわちこれは“ツギあて”のことであって、もちろんマイクロソフトはこのような人聞きの悪い言葉は使わない)を非常にしょっちゅう頻繁にしばしば公開するものだから、たいていの人は、マイクロソフトがなにか発表すると、「狼少年がまたなにか言っているぞ」程度の注意しか向けなくなっているにちがいない。通常の忍耐力の持ち主であれば、“よりよい仕様”に修正するプログラムがそこそこ貯まってからアップデートしようとする。マイクロソフトの人々自身がそのようにしているらしく、手前が発表した不具合を手前自身が速やかに修正していなかったため、SQL Slammer というワームにやられてしまい、世界中のユーザが呆れたり怒ったり大笑いしたりしたのは記憶に新しい。
 どうも凶悪そうなワームだから、一応、会社のインフラ管理担当者にメールを転送しておく。むろん、担当者だってセキュリティ関連のあちこちのニュースレターを読んでいるはずであるが、早く気がついた者が注意を喚起しておくに越したことはない。このワームこそ、向こう二週間以上にわたって世間を騒がすことになる「Blaster」なのだが、一般のマスコミまでが毎日報道するような 「Nimda」クラスの大騒ぎになるとは、まだこの時点では思っていなかった。そうなり得るポテンシャルはある、くらいの認識だ。
 ワームのニュースが来たから無意識が刺激されたのか、久々に映画でも観に行こうと、『マトリックス・リローデッド』を観にゆく。おれは映画を観にゆくと必ずパンフレットを買うのだが、おいおい、九百円もするのかよ。そりゃまあ、ずいぶん紙は上等で、美しい写真が満載されておるが、読むところはあまりないぞ。もう少し粗末な紙でいいから、観終わってからたっぷり読めるようなものにしてほしいものである。
 で、肝心の本篇だが、あの独特のアクションをこれだけ見せられると、さすがに飽きますな。スーパーマンのように空を飛び、手をかざすだけで弾丸を止められる男が、なにが哀しゅうてわざわざカンフーアクションで闘わねばならんのか、そこはかとない疑問が湧き起こり、やがてスクリーンいっぱいに膨れ上がってくる。「不信の停止、不信の停止……」と頭の中で唱えながら、楽しむべきところを楽しんで元を取ろうと妙な努力をしながら観る。金払ってる者は、要するに、楽しめば勝ちである。しかし、北野勇作さんが日記(2003年6月10日)に書いていた「なんだか『マカロニほうれん荘』みたいにしか見えない」というのは、けだし名言であると実感するばかりなのであった。そういえば、あの“オラクルのおばちゃん”は、きんどーさんに似ている。いやまあ、やっぱり三部作の続きは気になるし、面白いっちゃ面白いのよ、あれよあれよと口あけて観るアクション映画としては。一作めほどのインパクトはないんだけどね。ま、ほとんど、キャリー=アン・モスを観にいったような気もしないではない。三作めもキャリー=アン・モスを観にいくんだろうなあ。


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