間歇日記

世界Aの始末書


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96年11月上旬

【11月10日(日)】
『さよならダイノサウルス』(ロバート・J・ソウヤー著、内田昌之訳、ハヤカワ文庫SF)読了。いやあ、これは面白い。恐竜なんて、あんなばかでかい動物がどうやって進化できたんだという話になると必ず出る与太を、ほんとうに書いてしまうとは。しかも、すっきりくっきり、飽きさせないハードSFに仕上がってる。年賀状書いてるあなた、そっちもいいけど、これを読まないと年越せませんよ。
▼エッセイ『迷子から二番目の真実』をようやく再開。こうした気楽な与太話からしばらく離れていたものだから、ホームページで第二期をはじめると宣言してから調子を取り戻すのに一か月もかかってしまった。心配なのは500KBという容量制限だなあ。ま、足りなくなったときは、どこかの部屋から古いのを削ろう。
▼どうもホームページのVLINK色が昼行灯なので、思い切って派手な色にしてみた。ちょっとやかましいが、このほうが見やすいかもしれない。なにしろ9インチのDSTN液晶で確認しているので、他所でCRTで見たのとまるで印象がちがうのだ。適当に妥協せねばなるまい。
▼なんてことだ。FTPで今日の分を送ろうとしたら、もう容量が足りないではないか。やむを得ず、やくたいもない小説を撤収する。やくたいもないと言えば、みんなそうなのではあるが。

【11月8日(金)】
▼朝ラジオを聴いていたら、どこぞで“いかさまレース”というのが行なわれるという。開催地を聞き漏らした。まさかと思って耳を傾けると、そのまさかであった。なんでも、そこで獲れたイカがイカに活きがいいかをアピールするため、レース用の水槽に入れて競争させるのだそうだ。こういうバカな企画は大好きだ。イカだからできるのであって、野菜で“八百長レース”をやるわけにはいかない。

【11月7日(木)】
▼おれのページからリンクを張らせていただいている蝦夷乃蜻蛉ホームページを見に行ってみると、あちらからもリンクを張ってくださっていた。ペンネームが取り持つご縁である。
 蝦夷乃蜻蛉ページの画像が非常に美しいので通っているうち、アンケートのコーナーができていたのでURLを添えてお答えしたところ、先方からリンクを張らせてほしいというご挨拶のメールをいただいた。なにしろ、あちらは学術的価値と美を兼ね備えたすばらしいページだから、ヘンなペンネームのやつが雑文を書いているだけのローテクなページを紹介していただけるとは夢にも思っておらず、恐縮してご返事した。実際にリンクしてくださっているのをこうして見てみると、箸休めのお役くらいには立っているかもしれない。運営なさっている広瀬良宏さんにお会いしたことはないが、きっと洒落のわかる紳士でいらっしゃるのだろう。ほかのトンボページが貧相だというつもりは毛頭ないけれども、広瀬さんのページの美的センスはピカ一である。トンボというのはこんなに美しい昆虫だったのかと目を見張ること請け合いだ。ぜひご覧いただきたい。

【11月6日(水)】
▼京都SFフェスティバルの案内が送られてきた。金欠で出不精のおれが、ここ数年来唯一毎年参加しているコンベンションである。今年も行こう。
 数年前に初めて参加したときには度肝を抜かれた。そもそもおれはファンダムとかコンベンションとかいったものにまったく関ってこなかった隔離SFファンで、パソ通で大森望さんに誘われて行った京フェスがSFコンベンション初体験だったのだ。目が三つあるのか、いや、手の代わりに触手が生えているにちがいないなどと妄想していた作家・翻訳家・評論家・編集者・その他有名人諸氏が眼前で日本語を話しているのを聞くのは、それはそれは異様な体験であった。ほかの参加者や学生諸君を見渡しても、いかにも森羅万象に通暁していそうな顔つきをしており、「この中で最もSFを読んでいないのは、おれであるにちがいない」と思わせる雰囲気があった(ほんとにそうなんじゃないかと毎年疑う)。こんなことを書いて、今年初めて参加しようとしている人が怖がってもいけないので誓って言うが、べつにふつうのSFファンであればたっぷり楽しめるし、なにしろ趣味を同じゅうする人々ばかりであるから、居心地はよい。まあ、中には、「あ、その作品は197*年のSFマガジン○月号に誰某の訳で載りました」などとケロリとした顔でのたまう某山岸真さんのような超人もいるが、この人にしてからが柱にしがみついて「さなぎ」を演じてみたりする楽しい催しである。裸踊りをする人もいないし、酔って男にキスしてまわる男もいない。おれはほかのコンベンションを知らないのでなんとも言えないのだが、海千山千の人々が言うには、どうやら京フェスはSFコンベンションの中でも非常におとなしい部類に入るのだそうだ。だとすれば、病弱なおれにはちょうどよいのかもしれない。
 本会のゲストには、森下一仁氏、久美沙織氏、菅浩江氏などがいらっしゃるそうである。合宿で予定されている企画の中に、「バラード礼賛〜梅原克文氏に捧ぐ」というのが書いてある。これは面白そうだ。なにしろ未熟なおれは、まだ“SFイデア主義者”とやらの実物を見たことがないのだ。目が三つあるのか、いや、手の代わりに触手が……。

【11月5日(火)】
▼会社から帰って飯食ってアクセスしてみると、なにやらいつもよりトップページのカウンタが上がっている。はて? 看板作っただけでこんなに上がるもんか? と、いつものルートを巡回しているうちに理由が判明した。我孫子武丸さんがおれの『知ってるつもり!?』嫌いに共感してくださっているのだった。ううむ、おそるべし『ごった日記』、ちょいと人名が出ただけでこんな辺鄙なところにまで人が訪れるようになるのだ。我孫子さん、お越しいただいた皆さま、ありがとうございます。
 で、『知ってるつもり!?』の話に戻るが、そーでしょー!? そーでしょー! あれならまだ『驚きももの木20世紀』のほうが、いろものを自覚している姿勢に好感が持てるでしょう!
 だいたい『知ってるつもり!?』というタイトルからして気に食わない。あれは、“おまえら無知蒙昧な大衆は知ってるつもりになっているだろうが、ぬはははは、愚か者どもめ。これからエラ〜いテレビ様が真実を下賜してくれよう”という意味であるにちがいない。
 それにひきかえ、『驚きももの木……』の奥ゆかしさはどうだ。『驚きももの木20世紀』――ああ、情けないタイトルだ。だって、“おどろきもものきにじゅっせいき”だよ。いまどき、小田島雄志だって、否、和田勉ですら、赤面せずして口にはできまい。“まあ、あのその、こういうタイトルですから。三宅裕司ですから。ね、ね”と、後発の引けめといろものたらんとする決意を胸に秘めてひたすら下手に出ている男の背中に秋風が寂しい今日このごろ、みなさまいかがお過ごしでしょうか――などと、突如、大森望文体になってしまうほどである。
 そこで提案なのだが、かの番組、いっそ偉人の人生がほんとうはどうだったか、スタジオの100人に聞きながら進行してはどうか?

【11月4日(月)】
▼連休なので、ついついホームページのお化粧をしてしまう。といっても、看板作っただけだが、少しはましになるもんである。ホームページなんぞテキストをたくさん載せられればいいと当初は思っていたが、いざ開設してみるとあまりにも無愛想で、リンクを張ってくれている方々に申しわけないような気になってきたのも一因だ。もっとも、京都iNETの個人ページは500KBが上限だから、調子に乗ってお化粧していると肝心のテキストを載せるスペースがなくなってしまいかねない。おっと、“肝心のテキスト”などという感性自体が、すでにして爺いなんだよな。
 読み残している今年のSF話題作をそろそろ爆読していなければならない時期だというのに、こんなことしてていいのか。SFスキャナーのネタも漁らねばならんし――などと言いつつ、タイミングの悪いことに、奥野健男の『坂口安吾』が文春文庫で復刊されてしまったため、うっかり100ページほど読んでしまう。ああ、文春のいじわる。

【11月3日(日)】
▼日テレ系『知ってるつもり!?』の題材が吉行淳之介だったので、つい観てしまう。おれはこの番組大嫌いなのだ。だが、好きな作家が取り上げられると、なにを言われるかわかったものでないので、監視のつもりで観るのである。ファン心理だ。坂口安吾のときなど、テレビを叩き壊してやろうかと思った。
 他人の人生という設定とキャラを安易に借りてきては、大衆受けする解釈で勝手な再現フィルムなど作り、必要以上に矮小化したり偉人に奉り上げたりする。著作権などどこ吹く風の三流同人誌とどうちがうというのか。いや、うしろめたさがないぶんテレビのほうが重罪である。
 なるほど、テレビがきっかけでその作家の作品を読んでみようと思い立つ人が増えるという効果はあるやもしれないが、ウィークエンダー(っても、若い人は知らないだろうな)ばりの手法で強引に画にするのは暴力的である。テレビという媒体の最大の力をこのような形で使うのは、度しがたい傲慢だ。『見てきたつもり!?』とでも番組名を変えるがよい。文献と資料映像のみで作れば、もう少し品のいい番組になるだろう。視聴率はガタ落ちになるだろうけどね。

【11月1日(金)】
『宇宙のランデヴー3(上・下)』(アーサー・C・クラーク&ジェントリー・リー、山高昭・訳、ハヤカワ文庫SF)の解説で触れたラーマのゲームだが、そろそろかなと Sierra Online を見に行ってみると、おお、ちゃんと発売されている。画像付きでゲームの概要が楽しめるので、ぜひ行ってみてください。バイオットやヘンな生物の画像がなかなかキテる。ちょうど文庫の解説を書いていたころ、もっと大きな別の画像が公開されていて助かったのだが、Sierra はすぐに引っ込めてしまった。ちゃっかり保存はしてあるが。
 といっても、じつはおれはゲームはほとんどしないのである。たまにソリテアとさめがめをやるくらいである。知人の話を聞くと、みな楽しんでいるというよりも求道者と化してやっているかのように思える(まあ、仕事でやってる人もいるけれども)。おれもああいうエネルギーが欲しい。


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