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96年11月中旬 |
【11月19日(火)】
▼SFマガジン恒例の「マイ・ベスト5」を電子メールで送る。もっとも、昨年初めて投票させてもらったばかりの駆け出しなので、人様の書いたいずれ劣らぬ(もしくは、いずれ優らぬ)作品に公の場所で順位をつけるなどという大胆な作業にまだ慣れることができない。こんな気の弱いことではいかんと思うのだが、おれが一位に推しても5点、石原藤夫氏や梶尾真治氏が推してもやっぱり5点かと思うと、畏れおおさにキーボードを打つ手が顫える。
などと殊勝なことを書いているが、いざ選びはじめれば、おれはおれである。誰もおれの文学的鑑賞眼や学識を期待しているわけではない。おれのような好み、おれのような生い立ち、おれのような立場の読者(たとえそれが少数であれ)を、おれが代表できればそれでよいのだ。
おれの選びかたはこうだ。まず早川書房から来た本年度ベスト選考用の作品リスト(あくまで参考資料である。リストにないものを選んでもよいのだ)の中から、読んだ作品のタイトルを全部秀丸エディタで打ち込む。さらに、読書記録のファイル、本棚、床に積んである本などを見渡し、漏れているものがないかチェックする。ここがいちばん大事なところだ。くれぐれも読んでいない作品を選考対象にしてはならない。あたりまえじゃないかと人は怒るかもしれないが、長年パソ通の会議室なんかを読んでいると、これが意外とあたりまえでないことを学習なさると思う。さて、それから、あーでもないこーでもないとカット&ペーストを繰り返しながら順位を変えてゆく。結局、『OKAGE』(梶尾真治著、早川書房)は5位以内に入れなかった。カジシンファンとしては心苦しいが、楽しく懐かしく読んだものの、秀丸のカット&ペーストで押し出されてしまったものはしようがない。『サラマンダー殲滅』が今年出ていたとしたら、文句なしに一位にしたのだが……。
というわけで、今年は思いきり独断と偏見で選んだ。そうだ、おれごときに求められているものは、ほかならぬ独断と偏見であるにちがいない! これで気が楽になった。
▼zabadakのベストアルバム Pieces of the Moon を買う。先月出ていたのはホームページで知っていたが、ついつい延ばしのばしにしていたのだ。ボーナス・トラックのライブ録音やCM曲を除いては持っているものばかり。それでも買ってしまう。おれの好きな「遠い音楽」と「アジアの花」が同じ盤に入ったのは、これが初めてである。連奏デッキを持っていないおれにはありがたい。おれは音楽の好みに関しては思想性というものがまったくなく、聴いて快ければよいという単純なやつだから、上野洋子の声が聴ければそれでしあわせだ。吉良知彦も嫌いではないが、器用すぎてかえって印象が薄いような気がする。上野様がいらしたころのzabadakを見ていると、なんとなくカーペンターズを連想したものである。「ああ心地よいなあ」という快感と「お行儀がよいのもほどほどにしろ」という苛立ちが同時にやってくる(ちなみに、おれはカーペンターズも大好きだ)。ま、とにかくzabadakはいい(笑)。
▼zabadakと言えばkarakだが、 flow の次のアルバムはいつ出るのだろう。小峰公子の声も大好きだ(要するに、ただの女声フェチなのである)。
【11月18日(月)】
▼トンボ鉛筆のホームページに行ってみたら、これがなかなかいい雰囲気だ。勤続10年以下の社員ばかりで作成委員会を組織しているそうである。若けりゃいいってもんじゃないけど、いっそ若い衆に任せてしまっているところが潔くていい。“世界に向けて発信する”などと聞いて怖気づき、あれはいかん、これはいかんとカチンコチンになっているのが丸見えのページをお持ちの企業は、一度覗いてご覧になるといいと思う。けっして洗練されているわけではないが(自分のページは棚に上げる)、若い社員が素朴に手作りしている空気が伝わってくる。創業者の奥さんが書いたというトンボ鉛筆創業物語のタイトルが『蜻蛉日記』だというのだから洒落ている。“かげろふにっき”ではない、“せいれいにっき”なのである。鉛筆なんてまったく使わなくなってしまったけれども、子供のころはMONOにはずいぶんお世話になった。象が踏んでも壊れないが人が踏むと壊れる筆入れに、削りたてのMONOをずらりと並べると、なんだかそれだけで頭がよくなったような気がしたものだ。もっとも、その鉛筆でマンガばかり描いていたわけだが――。いまの子には、こういう思い出話は通じないのだろうな。
【11月16日(土)】
▼そうだった。よく考えたら、おれは朝日ネットのIDを持っていたではないか。パソ通にしか使わないため、プロバイダであることを忘れていた。先日、NIFTY-Serveのチャットで岡田靖史氏に指摘されて、それもそうだと手持ちの資源を使うことにした。朝日ネットのID=アカウント名は見るからにタイプしにくそうな文字列であり、あそこにホームページの表玄関を置く気にはなれなかったが、中身を置くだけなら使わにゃ損である。というわけで25MB分増えたから、容量の心配はない。さっそく、掌篇小説コーナー『十月は立ち枯れの国』の中身を朝日ネットに移動させた。コンテンツを物理的に分散させるとメンテナンスやFTP転送が面倒なので、内容の変わらないものを置いておくのが得策だろう。
それにしても、あたりまえのこととはいえ、内容がどこにあろうとホームページの外見にはなんの影響もないことに改めて感心した。理屈でわかっているのと自分でやってみるのとでは、やはり実感がちがうものである。
で、はたと思った。『遠き神々の炎』(上・下、ヴァーナー・ヴィンジ著、中原尚哉訳、創元SF文庫)に出てくる“鉄爪族”という異星人は、ひょっとしてWWWから発想したものではあるまいか。未読の方のためにご説明すると、この種族は個体では知性を持たず、群れになった数匹が音波で情報交換することで、はじめてまとまった思考や人格を持つというヘンなやつらなのである。より進んだ種族から強引に無線機を与えられた彼らは、各個体が物理的に離れていても人格が維持できるような用途を考案したりするのだ。五つくらいのプロバイダに分散して置いてある資源を繋ぎ合わせ、“ひとつ”のホームページとして機能させるようなものである。この手の集合精神、または、物理的に分割されたひとつの精神というアイディアは目新しいものではないが、この作品の設定やガジェットはインターネットをもろに意識しているから、鉄爪族をホームページのカリカチュアと読んでもまちがってはいないだろう。そう考えると、作品世界全体の構造を端的に可視化しているのが鉄爪族だとも言える。本業でも早くからネットを使っているというヴィンジだから、職場で割り当てられたディスク容量が足らずに困ったことが何度もあるのかもしれない。
【11月14日(木)】
▼最近、会社からの帰りがむちゃくちゃに寒い。そろそろコートがいるかな。
おれの住んでいる団地の随所には電話ボックスがあり、息が白くなる季節になると、闇の中に浮かび上がる灯りがやたら暖かげなものに見える。今日もそう思いながら歩いていると、ふとなにかが決定的に変わってしまったことに気づき愕然とした。
電話ボックスの中に人がいないのだ。べつにいなくたっていいだろうと、あなたは思うかもしれないが、ここいらの電話ボックスは、おれが帰宅する時間には必ず若者が座り込んで長電話をしているのが常だったのだ。家の人に聞かれたくない電話を頻繁にする年ごろの子だな――そう思って、おじさんは微笑ましく見ていたものである。それが、わずかここ一年ばかりのあいだに、そういう若者を見かけなくなったのだ。いや、そういえば見かけなくなっていたのだなと今日気づいたのである。
原因はもう、あれしかない。携帯電話である。PHSである。そうにちがいない。請求書は家に来るとしても、家人に耳をそばだてられるくらいなら、彼らはあえて通話料を支払うのだろう。
団地の電話ボックスは、旅人に忘れられたオアシスのように、今夜も寒空に青白く輝いている。テクノロジーはこうやって人々の暮らしを変えてゆくのだ。
【11月12日(火)】
▼テレビで筑紫哲也が、沖縄政策協議会の事業構想名にやたら横文字が多いのを皮肉っていた。SF読みにはあまり気にならないけど、たしかにカタカナにすりゃいいってもんでもないわな。かといって、“多媒体特区構想”だの“数値計数島構想”だのと言われてもなにやらわからない。もっと発想自体が大和言葉にならんものかと筑紫氏は言いたいのかもしれないが、沖縄の場合、県民にとっては大和言葉ですらどこかよそよそしい響きを持つにちがいない。いっそ県民に命名してもらってはどうかと思うのはおれだけだろうか。
それはともかく、おれには筑紫哲也の“横文字”という言葉遣いのほうがよほど気になったのである。日本語がこれほど横書きにされるようになってしまったからには、外国語を指しての“横文字”なる言葉はもはや死語になりつつあるのではなかろうか。ここ十年ばかり、年下の人からもらう郵便物の表書きには、俄然、横書きが増えてきている。ワープロやパソコンのせいとばかりも言い切れない。手書きだって、若い人は横書きにする。ある純文学作家が「私は横書きは日本語とは認めない」と雑誌に書いていたのを読み、「すげえ度胸だなあ」と思ったことがある。さて、若い世代に“横文字”という言葉がどのくらい通じるものか、どこかの新聞社ででも調査しないものかな。
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