間歇日記

世界Aの始末書


ホームプロフィール間歇日記ブックレヴューエッセイ掌篇小説リンク

← 前の日記へ日記の目次へ次の日記へ →


96年12月中旬

【12月20日(金)】
▼ばんざーい\(^o^)/――と、なにを喜んでいるかというと、もちろん筒井康隆の断筆解除を喜んでいるのである。おお、来年から新作が読める。うるうる。作家は書かなきゃ作家じゃないのだ。きっと断筆中にどろどろと書き貯められた作品が出てくるにちがいない。なにしろ、おれが全作品をくまなく読んでいると言える作家は、坂口安吾と筒井康隆くらいのものだ(著書が二十冊に満たない作家は除く)。むかし荻野アンナが同じことを言っていたので、やたら親近感を覚えたものだが、あの和田勉風の駄洒落は人前ではやめたほうがよいと思いますよ、荻野先生。
 筒井康隆のいいところは、蛇蠍の如く嫌う人と美酒の如く愛する読者がきれいに分かれるところだ。そうでなくて、なんの作家であるものか。箸にも棒にもかからない、毒にも薬にもならないものを読むのは時間の無駄である。人生は短い。教科書なんかに載らなくて大いに結構。これからも蛇蠍の如く嫌われ、美酒の如く愛されてほしい。さて、祝杯だ。

【12月19日(木)】
▼ウォルター・M・ミラー・ジュニアの『黙示録3174年』(創元SF文庫)の続編は、テリー・ビッスンが引き継いで完成させるとのこと。三十年かかって続編に取り組んでいたミラーが、死期を悟って引き継いでくれる作家を捜していたのだそうだ。本人が生きているうちに捜していたというところに、作家としての悲愴な決断が垣間見える。どういうもんなんだろうなあ。「おれがここまで書いたものは、おれが選んだほかの作家の手でも完成させてほしい」と思うものなのか、「ほかの作家にいじくり回されるくらいなら、あえて未完として死んでいきたい」と思うものなのか――。もっとも、モニュメンタルな名作を書いてしまった者の宿命で、どのみちエージェントや出版社が勝手に続編の完成を企画するのは目に見えているから、命のあるうちに自分で作家を選定しておきたいと思ったのかもしれないな。詳しくは、 Science Fiction Weekly のページにビッスンとのインタヴューが載っているので、まだの方はそちらをご参照ください。
 それにしても、ビッスンといい、ジーターといい、あたら才能と技量を兼ね備えた作家が、この手の仕事ばかりしているのはもったいないことである。一読者としては、ミラーの続編だって未完のまま読みたいし、『ブレードランナー』の続編なんか要らない(あれはあれで、映画化するつもりさえないのなら、小説と映画をよく消化した秀作ではある。こんなふうに器用すぎるのが、ジーターの欠点だ。どう考えても映画化不可能な書きかたをしたのは、一家を成している作家としての意地かもしれないが……)。才能のある人もない人も、みんな生活があるのね。

【12月16日(月)】
▼この時期になると毎年気になってしかたがないのが、街のあちこちで見かける「X’mas」というアポストロフィ付きの誤表記。コピーライターやデザイナーには、辞書を引く人が少ないのだろうか。デザインとして意図的にやっているのかもしれないが、小中学生の英語教育に悪いのでやめてほしい。
▼どうでもいいことだけど、今日はアーサー・C・クラークとフィリップ・K・ディックの誕生日だ。

【12月13日(金)】
▼ふだん二時間ドラマなるものを全部観ることはほとんどないのだが、金曜エンタテイメント「せつない探偵柚木草平の殺人レポート2」を、原作すら読んだことがないくせに全部観てしまう。毯谷友子が好きなのである。ほかの女優があの役をやってたらたぶん観ない。概しておれは悪女好みであり(実生活ではどうかはコメントを避ける)、NHKの“お話のお姉さん”だったころの吉行和子(わかる人はもうおじさんかおばさんだ)にほのかな憧れを抱いて以来、秋吉久美子、毯谷友子、蜷川有紀洞口依子など、幼女だか老婆だかわからない非現実的な過剰と欠落を感じさせる女優には弱いのだった。この好みには厳格な法則性というものがあって、「この女優が雪女か吸血鬼を演じるところが観たい」と思えば、おれはもう彼女のファンになっているのである。実生活に適用するとずいぶん危ない嗜好であるが、そういう好みなんだからしかたがない。せいぜい女難には気をつけることにしよう。もっとも、「おまえはそんなものに気をつける必要はまったくない」という説得力のある説があり、おれもその説をしぶしぶ支持している。

【12月12日(木)】
▼NIFTY-Serve・FSF「創作の部屋」の常連数人とミニオフをやる。あそこの「創作の部屋」はここ一、二年でずいぶん賑わってきた。玉石混淆なのはどこも同じだろうが、ごちゃごちゃと青臭い文学論など展開せず、プロ志向の人もアマとして楽しんでいる人も、とにかく読者を楽しませてやろうと作品だけで勝負しているのがさわやかでいい。
 初対面の人ばかりのオフは久しぶりだ。創作系の人ばかりというのも、また雰囲気がちがって面白い。勤め人でヘンなものを書く人ほど外見はふつうだというのは妙なものだ。こういう人たちがプロになって自由業に転ずるとプツンと本性を現わし、志茂田景樹みたいなファッションになってしまうこともあるのだろう(?)。まあ、おれが会ったことのある専業作家は、サラリーマンと言っても通る外見の人がほとんどだけども。やっぱり、人によるんだろうな、ああいうカッコするかどうかは。

【12月11日(水)】
▼HP200LXの電話帳ファイルがぶっ壊れる。何度か経験しているが、こいつはもちろんただのテキストファイルではないから、部分的にでも破壊されると、そもそも開くことすらできなくなってしまうのである。電池が消耗したままで使っていて、やばいなと思ってはいたのだ。少々もったいなくとも、電池を早めに替えるのがフラッシュメモリカードを使っている場合の鉄則である。わかっちゃいるけど、警告音が鳴るまでチェックしないでいることが多いのだ。
 まあ、毎日バックアップを取ってるから、実害はさほどあるまい――とバックアップファイルをコピーして開こうとしてみると、これが壊れている。なんてことだ――と、こんなこともあろうかとガミラスの反射衛星砲をヒントに秘かに開発した空間磁力メッキ――じゃなく、十日前に取っておいたもうひとつのバックアップファイルを200LXにコピーする。壊れたファイルをバックアップファイルに上書きするなんてことはよくあることだ。バックアップはふたつ以上、周期を変えて取っておきましょう。
 が、なんたることだ! こいつも壊れている――さしものおれもあわてた。運が悪いときはとことん運が悪いものだ。こいつには2000件近くのデータが入っているのだ。まあ、ほんとうになくてはならないものは別ソースから再入手可能だが、ここまで育て上げたデータベースだ。ちょっとやそっとで諦められるものか!
 なんとか修復の方法がないかと頭をひねってみたが、バイナリファイルが素人に修復できるわけがない。こういうときは、諦めた気になって、冷静に情報を収集することだ。おれは、猛者揃いのNIFTY-Serve・FHPPCの会議室をつぶさに覗きまわった。すると、garlicなる海外製の修復ソフトがあるという。さっそくダウンロードして試してみた。こいつでも修復できないケースはままあるとは書いてあるが、だめでもともとである。まさに、一縷の望み、a ray of hope にすがった。
 おおおお、おれもそこまで運が悪くはなかったか! データは数件失われただけで、ほぼ完全に読み込めた。修復状態をチェックしなければならないけれども、開けさえすればこっちのものだ。なんとかなる。
 いやあ、世の中には、ほんとうにありがたいソフトを(しかもタダで)作っている人がいるものである。Andy Grycさん、ありがとう。あとでお礼のメールを出しておこう。
 おれと同じ災厄に見舞われるLXer(とスジ者は呼ぶ)もいるやもしれないので、ソフトの所在を書いておこう。NIFTY-Serve・FHPPCの15番ライブラリ・379番「Garlic.lzh」である。手練れのLXerには常識なのかもしれないが、ご存じない方はダウンロードしておかれるとよろしいと思う。


↑ ページの先頭へ ↑

← 前の日記へ日記の目次へ次の日記へ →

ホームプロフィール間歇日記ブックレヴューエッセイ掌篇小説リンク



冬樹 蛉にメールを出す