間歇日記

世界Aの始末書


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96年12月下旬

【12月31日(火)】
▼絶対当たる映画を思いついた。ミトコンドリアに操られたヒラリー・クリントンが大統領選に出馬、みごと当選し就任演説で叫ぶ。"Today is our Independence Day!"
▼それにしても、テレビはどうでもいいものばかりやっている。もっとも、どうでもよくないものをやられても困るのだ。年末年始は家族や親戚と過ごす人も多かろうが、同じ部屋で顔を突き合わせたところで家族や親戚と話すことなどとくにあるわけがなく、どうでもいい番組を観ながら間をもたせるしかない。濃密な番組を観ながら藝術や政治の議論でもはじめた日には、喧嘩になってしまうに決まっている。

【12月30日(月)】
▼旅館で朝食を食い、喫茶店でだべってSF忘年会はお開き。帰りにカレンダーを買い忘れていたことを思い出し、本屋で捜すもなかなかお目当てのものが見つからない。おれはここ十数年来、パルコの“御教訓カレンダー”を愛用しているのだが、今年は買いそびれたままだったのだ。あのカレンダーも年々パワーダウンしているのはたしかだけれど、もはやあれなくして新年は迎えられない体質になっている。ドジったなあと思いながら何件か本屋をハシゴして、やっと丸善で一部だけ残っていたのを発見。ああ、これで無事97年がやってくる。ついでだからと洋書売場へ向かったら、本を詰め込んだ紙袋を提げた浅田彰とすれちがった。頭の中身はいざ知らず、あの先生はどうも人相風体がおれと似ているので、ドッペルゲンガーを見たようで気色が悪い。まさか御教訓カレンダーを買いにきていたわけではないだろう。
 京阪神ではアイドル・タレントとすれちがうことはあまりないが(撮影所のある太秦近辺は知らない)、代わりに吉本芸人だとか顔の知れた学者だとかを見かけることになる。一度、ジーンズを履いた西川のりおが京阪電車四条駅でひとり電車を待っているのに遭遇した。藝ではなく、ほんとうに顔がでかいのだ。学生時代、社会心理学の講義を最前列で受けていると(厭な学生だ)、同じ列で藤本義一夫人が聴講していた。思わず、麦茶を薦められるのではないかと身構えた(関西の人しかわからんか)。
 東京の友人に言わせると、京阪神というのは吉本芸人がうようよ歩いていていいなあということになる。隣の芝生は青い。おれとしては、浅田彰だの西川のりおだのと出くわすよりも、ぜひ葉月里緒菜とすれちがってみたいのだ。

【12月29日(日)】
▼餅が届いた。さっそく食う。子供のころから餅は好きだったが、ひとつ不満があった。焼いた餅というのは、膨らんで中からはみ出してくるあの軟らかいところがうまいのだ。なのに、餅を焼くと外殻が煎餅のように堅くなり、せっかくの餅の半分くらいが無駄な外殻を構成する材料に使われてしまう。これはじつにもったいないと、おれはかねがね思っていた。ああ、餅が全部軟らかいところだけになればいいのに……。
 やがて、科学技術はおれの夢を実現した。電子レンジの登場である。電子レンジがわが家にやってきて以来、餅は必ず電子レンジで調理して食う。深めの皿に三〜四個の餅を並べ、軽く水を振りかける。これを電子レンジに三分ほどかけると、個々の餅はやがてそのアイデンティティーを失い、巨大なひとつの餅となって膨らみはじめる。人食いアメーバ、生物都市、ヌーサイトといった単語がおれの頭の中を乱舞し、食欲がいや増す。チーン! ほかほかと湯気を立てるそいつを電子レンジから取り出すと、醤油をたぶたぶと流し込み、箸を持つ手ももどかしくぐちゃぐちゃにかき回して、ずるずるずると呑む。この喉ごしがたまらない。毎年、年末年始は、この調子で一日に餅を七〜八個は呑む。こんなことをすれば多少は肥りそうなものだが、おれの体重はここ十年来ほとんど変動しない。いまに堰を切ったように肥りはじめるんじゃあるまいか。
▼京都で忘年会。会場の旅館の入口には、麗々しく“SF忘年会”と書いた例の札がかけてある。フロントの人に、「あのー、SFですが……」「あ、どうぞこちらへ」。どうも目が合わせられない。人前で弁当を食うときに蓋で隠して食う人は、きっとこういう気持ちなんだろうな。“SF忘年会”というのは、青心社の方々と関西のSFの人(と言っても、大森望さんや堺三保さんのような“元関西”のSFの人もいる)が毎年年末に集まり、飯食ってビンゴゲームして旅館に泊まり込むという京フェスみたいなノリの会である。数年前からほぼ毎年参加させていただいている。家族連れの人が多いので、最初は「こんな濃いSFの人たちにも家族があるのだ」といささか驚いたものである。
 それはともかく、宴会の世話をしてくれた仲居さんが高木美保みたいでよかった。景品つきのビンゴゲームでは、ID4のエイリアン人形(米国製)が当たる。おれがこういうものでなにかを当てることなど皆無に近い。来年はいい年になるのだろうか。それにしても、さすがと言おうかなんと言おうか、このエイリアン人形にフロッピィがついている。簡単なゲームらしい。アメリカのガキはみんなパソコン持ってるのか。
 食後、すでに布団が敷き詰めてある旅館の一室で、そのID4のビデオ上映会。アメリカに注文したら三日で届いたのだそうだ。こりゃいい。観ておかねばと思っていた映画を忘年会で観られるとは思わなかった。十数人で突っ込みながら観る。噂には聞いていたが、まさに定番定番、お約束お約束で塗り固めたような映画だ。堀ちえみの『スチュワーデス物語』を観ているかのようである。SFだと思って観さえしなければ、ある種のツボを押さえた作品と言えないこともなく、ご家族連れでも楽しめることはまちがいない。ただ、人からふだん“小うるさい”と言われるような人は、あなたの批判精神だとか論理的思考だとか過去の映画の知識だとかいったものを絞め殺してコンクリート詰めにし、大阪湾(べつに東京湾でもよい)に沈めてからご覧になるほうがよい。日本人であることも忘れなくてはいけない。ブルース・スプリングスティーンとやらが「アメリカに生まれた」だけのことをアホダラ経のように繰り返す歌がむかしあったが、あれでも口ずさみながら「私はアメリカ人だ、私はアメリカ人だ、自立するぞ自立するぞ自立するぞ自立するぞ」と自己暗示をかけて観れば、これほどすばらしい映画もないと思う。

【12月27日(金)】
▼会社の納会。年に一回だけオフィスで酒を食らう日だが、もちろん税金で買った酒ではない。
▼旭屋と紀伊國屋をはしごして帰る。優先して読む気は起こらないけど、とりあえず目についた BLADE RUNNER 3 Replicant Night を買う。どのみちこれは邦訳が出るだろう。で、読もうが読むまいが、訳が出たらまたそれも買うわけだ。こんなことをしていて金が残るわけがない。本読みというのは、ほんまに極道やと思う。そこの娘さん、本読みには惚れるなよ。山で吹かれなくても年中若後家さんだよ。
▼帰るとSFマガジン2月号が届いている。今年のは、うまくバランスを取らないと立たない。
 それにしても「ベストSF1996」にはびっくりだ。まあ海外部門は妥当だと思う。おれの投票したやつは全部ベスト10に入った。問題は国内部門であって、個々の投票を見ても完全にばらばらである。じつに象徴的な現象だ。
 石堂藍氏が日野啓三『光』に言及なさっていたのは嬉しい。おれの感性では本質的にいちばんSFだと思ったのだが、客観的に見ればプロパーSFではけっしてない。一位に推したりするのは大人げなかったかもしれない。でも、安心した。笙野頼子『母の発達』は、入れるとすればあの人しか入れないだろうと思っていた小谷真理さんがやっぱり入れていた。驚いたのは『ヒュウガ・ウイルス』(村上龍)だ。SFらしいSFだし、正篇の『五分後の世界』よりよほど面白いので、相当の票を集めるだろうと思っていたところが、おれのほかに入れたのは菊池誠さんだけ。意外だ。いまだから言うけれども、おれはそろそろ村上龍が『ヒュウガ・ウイルス』で日本SF大賞を取るんじゃないかとすら思っていた。これ一作では弱いが、功労賞の性格が強い賞だから、ちっともおかしくはない。菊池さんのコメント「村上龍の後書きを読むべし。これこそSF作家が本来とるべき姿勢だったはずだ」には、びゅんびゅん音を立てて首を縦に振る。
 川上弘美『物語が、始まる』に投票した水鏡子さんのコメント「川上弘美の評価には、SFファンダムから出た芥川賞作家ということへのゲットー意識丸出しのひいき目が多分まちがいなく入っている」――って、なんて正直な人だろう! ファンダム・メンタリティーのないおれでさえ、一SFファンとして、川上弘美の快挙には心の中で快哉を叫んでいるところはあり、だから余計に意識して“SFを選ぶ”ようにとバランス感覚に気を配った結果、ベスト5からは外すことになったのだ。まあ、それを言えば、日野啓三は「SF作家になろうとしなかったSF作家」だし、笙野頼子は「SF作家になれなかったSF作家」だ。しかも、両者とも芥川賞を取っている。おれの投票にも、水鏡子さんの言う“ひいき目”が、広義の同属意識として反映されているのかもしれない。
▼パソ通の友人・明院鼎さんが、『山藍紫姫子の世界 PART III』(イマージュ・ブックス VOL.6、コアマガジン)を送ってくださった。明院さんのユニークな『長恨歌』論・「弁天は電気湯沸器の風呂に入るか」が載っているのだ。「耽美まで読んでる暇があったら、もっと海外SF読んで紹介せんかい」と言われそうだけど、面白いものは面白い。おれには山藍紫姫子が実感としてはわからない。が、小説としては優れていると思う。一見ポルノのように見えて、そのじつ、抽象的ですらある関係性の錯綜と解体に筆が冴える一種のメタ小説だ。ファンタジーのような問答無用の不信の停止を要求するにも関わらず、知らずしらず純文学を読むときの精神の使いかたをしている――などと聞いたふうなことをほざくとまるで書評家みたいだが、おれはこういう小説を熱烈に支持する層がいるという現象そのものに興味があって、山藍ファンにスターター・キット(?)として薦められた『アレキサンドライト』『長恨歌』を読んだ程度のにわか読者なんである。とんちんかんを言ってるかもしれない。
 あ、そうそう、『山藍紫姫子の世界 PART III』をお求めになった方、「弁天は電気湯沸器の風呂に入るか」の筆者名が“明神鼎”になっていますが、彼女のペンネームは“明院鼎”が正しいので、訂正しておいてください。

【12月24日(火)】
▼なんとなく寝苦しく、朝五時に起き出してしまう。これではまるで中野善夫さんだ(もっとも中野さんにとっては、朝五時起きは“寝坊”なのであるが)。慢性睡眠不足でいつどこででも細切れに睡眠を取ることができるおれには珍しいことである。
 布団の中でぼうっとよしなしごとを考えていると、おととい友人が言っていたことを思い出した。「冬のいまの時期に三連休があると、なんとなく厭な胸騒ぎがするわ」というのである。95年の1月14日〜16日は三連休だった。彼女は芦屋にあった家が全壊し、運よく二階に寝ていたから助かったものの、一階にいたらぺしゃんこだったのだ。
 京都のこのあたりは震度5で、本棚の本が全部ポルターガイストのように飛び出し、書庫にしている部屋は入室不能になった。むかし東京に住んでいたわが家には、家具一切を針金で壁に固定するという、京都人が聞いたら笑うような習慣があり、おかげで家財は大破を免れた。例外は冷蔵庫で、こいつだけが這いずるようにして1メートルくらい移動した。
 あの日の早朝、やっぱり寝つかれなかったおれは、面倒なので起きていることにし、積読だった大原まり子の『エイリアン刑事(デカ)2』を一気読みしていた。読み終えてラーメンを食い、そろそろ身仕度をしようかと歯を磨いている最中にあれが来たのである。カタカタカタと来て、おやと手を止めると、遠くから潮騒のようなものが迫ってくる音が聞こえ、巨大な一波が来たのだった。神戸だとこんな悠長なことはなかっただろう。なんの前触れもなく、いきなり真下から突き上げてきたという人が多い。
 泡を食って跳び起きてきた母とダイニング・キッチンのテーブルの下にもぐり数秒様子を見ていたが、揺れはどんどん強くなってくるばかりで、「こいつはいつもとちがう」と腹をくくった。人間、ああいうときには妙なことを考えるものである。母はなにやら「ひやあああ」と弱々しく泣きながら念仏のようなものを唱えている。おれは揺れる家具を映画を見るように眺めながら、「今日は1995年1月17日だな」と明確に思った。自分の死ぬ日を確認したのだ。いま思えば、京都でこんなことを考えているなどお笑い草だが、そのときは本気でそう思った。揺れはまだ続く。次におれは、「助かったとしても、日本の機能は麻痺しているだろうな」と思った。さすがと言おうかアホと言おうか、『日本沈没』『首都消失』の展開を想起していた。そのときは、これはてっきり東海大地震にちがいないと思っていたのだ。京都でこれなら、関東は壊滅だろう。沈んでいるかもしれぬ。やがて、テレビが復旧し(母がたったいままで寝ていた布団の上に落下していた)、震源地を見て驚いたのだった。明るくなってから、さらに阪神高速の“あの映像”がテレビに現れたとき、家の中を片づけながら見ていたおれは、思わずテレビの前にへたりこんで「わー」と書いたものを読むように言った。なにか音波を発せずにはおれなかった。
 日記じゃなくて地震の回想になってしまった。でも、不思議なもんだな。大した被害を受けたわけでもないおれですら、“この時期の三連休”というのは深層心理が憶えているのだろうか。
 まだ仮設住宅暮らしの人もたくさんいる。こら、どこぞの税金泥棒ども、おまえら、いま住んでる家を明け渡して、代わりに仮設に住め。

【12月23日(月)】
▼先日申し込んだ講談社ブルーバックス/現代新書のブックカバーを送ってきた。タダでもらって文句を言うのもなんだが、ラクダのステテコみたいな色である。ブラックにすればかっこいいのに。
▼友人から胃薬とクリスマス・プレゼントが送られてくる。彼女は最近チュアブル・タイプの胃薬に凝っていて、片っ端から味見をしては、おすそ分けをしてくれるのである。今度のはけっこうおいしい。プレゼントはヤドクガエルのパズルとカエルの爪切り。いつもカエルグッズをありがとう。
▼間歇日記と言いながら、このところ毎日書いている。ま、いいじゃないか。

【12月22日(日)】
▼夜中の三時にNIFTY-Serveのメールを見ると、会社関係の友人からクリスマスパーティーの招集。ふと思い立って招集をかけたというのだが、当日零時にメール出すかね、ふつー(^ ^;)。出かけてゆくと、誘われたメンバー全員(といっても四人だが)が揃っていた。お好み焼き食ってカラオケ。

【12月21日(土)】
▼昨日喜んだと思ったら、今日は悲しまねばならない。カール・セーガン氏の訃報が入った。六十二歳とは若すぎる。奇しくも筒井康隆氏と同い年ではないか。
 セーガン氏は、SFファンにとっても、いろいろと話題の多かった人だ。彼のSF小説『コンタクト』が登場したときには、少なからず驚かされた。一流のSF作品とは評価しないが、その素人離れした学者藝に感嘆したのは事実である。なにより、少年のような素朴な宇宙への憧れをなんの衒いもなく描いているところに親しみを覚えた。どんなに洗練された“文学的”なSFを好む者でも、SFファンであるかぎり、自分たちを生んだこの宇宙に対する畏怖と憧れを心の底に原点として抱いているはずである。それはけっして文学とも無縁なものではない。いや、文学の原点にあるものも、まさにそれだとおれは思っている。そして、同胞カール・セーガンには、その核(コア)があった。
 マスメディアに頻繁に登場する学者は、とかく本業がおろそかなのではないかとか、大衆に媚びているだけだとか批判を受けがちで、セーガン氏も“科学のセールスマン”などと揶揄されていたものである。たしかに本業がおろそかで大衆に媚びているだけのタレント学者も少なくはないにしても、ことカール・セーガンに関しては、そうした批判など意味のないものだった。彼は、科学を親しみやすくするためにのみ曲げることはけっしてしなかったし、科学の冷たく、しかし、すばらしい側面を根気強く大衆と分かち合おうとしたのだ。いわゆる“超科学”の信奉者に対しても、彼らの主張を頭から否定するようなことはせず、科学者としての客観的・実証的な思考で余裕を持って反駁していた。「空飛ぶ円盤に乗って宇宙人がやってきていることはない」「霊魂など存在しない」と根拠なく断言することも非科学的な態度なのだと、彼を通して学んだ青少年も多いにちがいない。
 彼のような科学者に対して“冥福を祈る”ようなことはしたくない。カール・セーガンは死んでも、彼の業績は消えないし、彼の言葉、彼のミームは、炭素や水素で――あるいはシリコンで――できた情報処理装置に宿る他の意識に引き継がれてゆくであろう。そして、いつの日か、彼の肉体を構成していた物質は、彼が見上げ続けた他の天体にも降り立つだろう。
 カール・セーガン氏には、“科学のセールスマン”の名を、いま一度、尊称として捧げたい。


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